
旧友ヶ島砲台跡
明治23年(1890年)から同44年(1911年)にかけて、大阪湾入口の要衝・紀淡海峡を守るため、陸軍は淡路島の由良を司令部として、友ヶ島に5ヶ所の砲台を構築した。第3砲台は全周360度の射撃が可能な28糎榴弾砲砲台で、砲座・観測所・弾薬庫・地下兵舎のほか、照明所と小型発電所が配置された。これらの施設はイギリス積みの煉瓦造りで、現在も島内各所にその痕跡が残存している。要塞は絶対防衛態勢の重要施設であり、戦時中は詳細な地形図から抹消され、一般人の立ち入りが禁止されていた。太平洋戦争中、航空戦力が主流となったため砲台は実戦を経験せず、戦後はGHQにより破壊され、現在は瀬戸内海国立公園の一部として観光地化が進んでいる。
