埼玉県

嵐山町の心霊スポット

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嵐山町の人気スポット TOP2

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笛吹峠

埼玉県比企郡嵐山町と鳩山町の境、標高80メートル前後の小さな峠が笛吹峠(ふえふきとうげ)である。武蔵野台地の北縁、比企丘陵の南端にあたる地形で、現在は嵐山町笛吹峠史跡公園として整備されている。 この峠が日本史に登場するのは、南北朝動乱期の正平7年(1352年)閏2月の武蔵野合戦である。新田義興・義宗の兄弟と宗良親王率いる南朝方と、足利尊氏率いる北朝方の関東軍との大規模な合戦で、関東における南朝勢力の最後の組織的抵抗となった。『太平記』巻三十一に詳述される合戦の経過によれば、両軍合わせて10万を超える兵力が比企丘陵周辺で衝突し、新田勢は壊滅的な打撃を受けた。 敗走した宗良親王が、峠の頂で月夜に笛を吹いて落命した将兵を弔ったという伝承が、峠名の由来として伝えられている。宗良親王は後醍醐天皇の皇子で、和歌に優れた歌人でもあり、自選歌集『李花集』を残している。武蔵野合戦の前後に詠まれた歌が同集に収録されており、敗戦の悲しみと武家の世への嘆きが折り込まれた歌が文学史的にも重要な作品として評価されている。 峠の麓には、合戦の犠牲者を弔う供養塔と「太平記の里」を冠した史跡公園が整備された。1990年代以降、嵐山町と隣接自治体が共同で武蔵野合戦の歴史を学べる案内板を設置し、史跡ハイキングのコースとして整備が進められている。 埼玉県と関係市町村の郷土史資料には、笛吹峠周辺で発掘された中世の遺物(鎧の断片、太刀、矢じり)の記録があり、合戦の場としての考証が裏付けられている。これらは嵐山町博物館や埼玉県立歴史と民俗の博物館に収蔵展示されている。 アクセスは東武東上線武蔵嵐山駅から徒歩約30分、または車で関越自動車道嵐山小川ICから10分程度。史跡公園の駐車場が整備され、自由見学可能。武蔵野合戦と中世関東の歴史を学べる貴重な歴史散策スポットとなっている。

山道・峠
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嵐山町蝶の谷戸の廃村

埼玉県比企郡嵐山町は、嵐山渓谷と槻川の清流に彩られた里山の町で、古くから養蚕・畑作・茶の栽培、薪炭の生産などで暮らしを立ててきた地域である。蝶の名を冠する谷戸の奥には、過疎化と高齢化の進行に伴って居住者を失った小さな集落の跡が残り、雑木林の中に石垣や井戸、桑畑や茶畑の名残が静かに眠っている。離村の経緯は穏やかで、村人は戦後の生活様式の変化のなかで近隣の市街地などへ徐々に移り住んでいったと伝えられている。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、夕暮れから夜にかけて谷戸へ続く小径を歩くと、廃屋の煙突の方角から細い煙のような揺らぎが立ち昇り、奥の障子窓に灯りに似た淡い光が点ったように見える、というものである。誰もいない畑の畝の脇で農作業の音に似た響きが聞こえた、軒先で機織りに似た音が遠くから流れてきた、谷の奥から子どもが遊ぶような声がふと届いた、と語る来訪者もいる。 地元では、谷戸を離れざるを得なかった方々への思いが、墓参や桑の木の手入れ、地区に伝わる小さな祭事を通じて静かに継承されている。茶や蚕にまつわる年中行事も形を変えながら細々と続けられており、廃村は忘却の場所ではなく、土地の記憶を静かに保つ祈りの場として受け止められている。 谷戸の奥地は道が荒れ、廃屋は倒壊の危険があり、私有地・農地への無断立入は不法侵入にあたる。心霊目的の深夜訪問や器物への接触は厳に控え、訪れる場合は公道や遊歩道から景観を眺める程度に留め、ここで暮らしを営んだ方々への深い敬意を欠かさないこと。

集落・廃村

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笛吹峠
山道・峠·埼玉県 嵐山町

笛吹峠

埼玉県比企郡嵐山町と鳩山町の境、標高80メートル前後の小さな峠が笛吹峠(ふえふきとうげ)である。武蔵野台地の北縁、比企丘陵の南端にあたる地形で、現在は嵐山町笛吹峠史跡公園として整備されている。 この峠が日本史に登場するのは、南北朝動乱期の正平7年(1352年)閏2月の武蔵野合戦である。新田義興・義宗の兄弟と宗良親王率いる南朝方と、足利尊氏率いる北朝方の関東軍との大規模な合戦で、関東における南朝勢力の最後の組織的抵抗となった。『太平記』巻三十一に詳述される合戦の経過によれば、両軍合わせて10万を超える兵力が比企丘陵周辺で衝突し、新田勢は壊滅的な打撃を受けた。 敗走した宗良親王が、峠の頂で月夜に笛を吹いて落命した将兵を弔ったという伝承が、峠名の由来として伝えられている。宗良親王は後醍醐天皇の皇子で、和歌に優れた歌人でもあり、自選歌集『李花集』を残している。武蔵野合戦の前後に詠まれた歌が同集に収録されており、敗戦の悲しみと武家の世への嘆きが折り込まれた歌が文学史的にも重要な作品として評価されている。 峠の麓には、合戦の犠牲者を弔う供養塔と「太平記の里」を冠した史跡公園が整備された。1990年代以降、嵐山町と隣接自治体が共同で武蔵野合戦の歴史を学べる案内板を設置し、史跡ハイキングのコースとして整備が進められている。 埼玉県と関係市町村の郷土史資料には、笛吹峠周辺で発掘された中世の遺物(鎧の断片、太刀、矢じり)の記録があり、合戦の場としての考証が裏付けられている。これらは嵐山町博物館や埼玉県立歴史と民俗の博物館に収蔵展示されている。 アクセスは東武東上線武蔵嵐山駅から徒歩約30分、または車で関越自動車道嵐山小川ICから10分程度。史跡公園の駐車場が整備され、自由見学可能。武蔵野合戦と中世関東の歴史を学べる貴重な歴史散策スポットとなっている。

嵐山町蝶の谷戸の廃村
集落・廃村·埼玉県 嵐山町

嵐山町蝶の谷戸の廃村

埼玉県比企郡嵐山町は、嵐山渓谷と槻川の清流に彩られた里山の町で、古くから養蚕・畑作・茶の栽培、薪炭の生産などで暮らしを立ててきた地域である。蝶の名を冠する谷戸の奥には、過疎化と高齢化の進行に伴って居住者を失った小さな集落の跡が残り、雑木林の中に石垣や井戸、桑畑や茶畑の名残が静かに眠っている。離村の経緯は穏やかで、村人は戦後の生活様式の変化のなかで近隣の市街地などへ徐々に移り住んでいったと伝えられている。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、夕暮れから夜にかけて谷戸へ続く小径を歩くと、廃屋の煙突の方角から細い煙のような揺らぎが立ち昇り、奥の障子窓に灯りに似た淡い光が点ったように見える、というものである。誰もいない畑の畝の脇で農作業の音に似た響きが聞こえた、軒先で機織りに似た音が遠くから流れてきた、谷の奥から子どもが遊ぶような声がふと届いた、と語る来訪者もいる。 地元では、谷戸を離れざるを得なかった方々への思いが、墓参や桑の木の手入れ、地区に伝わる小さな祭事を通じて静かに継承されている。茶や蚕にまつわる年中行事も形を変えながら細々と続けられており、廃村は忘却の場所ではなく、土地の記憶を静かに保つ祈りの場として受け止められている。 谷戸の奥地は道が荒れ、廃屋は倒壊の危険があり、私有地・農地への無断立入は不法侵入にあたる。心霊目的の深夜訪問や器物への接触は厳に控え、訪れる場合は公道や遊歩道から景観を眺める程度に留め、ここで暮らしを営んだ方々への深い敬意を欠かさないこと。