宮崎県

日南市の心霊スポット

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日南市の人気スポット TOP2

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飫肥城廃墟区域

飫肥城は宮崎県日南市の城下町中心部に位置する江戸期の城跡である。天正15年(1587)に伊東祐兵が豊臣秀吉から領地を与えられて以来、伊東氏14代が1871年の廃藩まで支配した。城域は東西750メートル、南北500メートルの規模を有し、シラス台地の段差を活かした複数の曲輪で構成されている。 現在、本丸跡、大手門、旧藩校振徳堂(天保2年開校)といった施設は復元・整備されて公開されている一方で、城域の外縁部には石垣の崩落や雑草地が残存している。これらの手つかずの領域は、活発に保存整備される中心部と対照的に、訪問客の少ない静謐な空間を形成している。1977年に九州で初めて重要伝統的建造物群保存地区に指定され、城下町全体が歴史的景観として位置づけられている。

公園・城址
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旧矢立隧道

宮崎県北諸県郡三股町と日南市北郷町の境、鰐塚山の山腹に位置する旧矢立隧道は、昭和36年(1961年)に完成した長さ373.3メートル、幅5メートルの隧道である。平成10年(1998年)に新矢立トンネルが開通したことで主要地方道(都城北郷線)としての役目を終え、旧隧道は使われなくなった。掘削工事中に発破事故が発生し、複数の作業員が命を落としたと伝わるが、被害人数などの詳細は確認されておらず、あくまで噂の域を出ないとする紹介も見られる。この経緯を背景に、隧道内での人魂や火の玉、幽霊の目撃談が多く語られ、旧道のカーブミラーにはいるはずのない女性の姿が映るという噂も広まった。内部を撮影すると白いもやの中に複数の顔らしきものが浮かび上がって写り込むとの報告も見られ、宮崎県内でも古くから知られる心霊スポットの一つとして紹介されることが多い。隧道の入口は現在、コンクリートの壁で厚く閉鎖されており、公式には内部の崩落による危険性が封鎖理由とされている。三股町側は鰐塚山への登山道として一部整備され通行できるが、日南市側の道路は完全に廃道化しており、新トンネル脇から旧道に入っても隧道自体には近づけない状態が続いている。

隧道・トンネル

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飫肥城廃墟区域
宮崎県 日南市·公園・城址

飫肥城廃墟区域

飫肥城は宮崎県日南市の城下町中心部に位置する江戸期の城跡である。天正15年(1587)に伊東祐兵が豊臣秀吉から領地を与えられて以来、伊東氏14代が1871年の廃藩まで支配した。城域は東西750メートル、南北500メートルの規模を有し、シラス台地の段差を活かした複数の曲輪で構成されている。 現在、本丸跡、大手門、旧藩校振徳堂(天保2年開校)といった施設は復元・整備されて公開されている一方で、城域の外縁部には石垣の崩落や雑草地が残存している。これらの手つかずの領域は、活発に保存整備される中心部と対照的に、訪問客の少ない静謐な空間を形成している。1977年に九州で初めて重要伝統的建造物群保存地区に指定され、城下町全体が歴史的景観として位置づけられている。

旧矢立隧道
宮崎県 日南市·隧道・トンネル

旧矢立隧道

宮崎県北諸県郡三股町と日南市北郷町の境、鰐塚山の山腹に位置する旧矢立隧道は、昭和36年(1961年)に完成した長さ373.3メートル、幅5メートルの隧道である。平成10年(1998年)に新矢立トンネルが開通したことで主要地方道(都城北郷線)としての役目を終え、旧隧道は使われなくなった。掘削工事中に発破事故が発生し、複数の作業員が命を落としたと伝わるが、被害人数などの詳細は確認されておらず、あくまで噂の域を出ないとする紹介も見られる。この経緯を背景に、隧道内での人魂や火の玉、幽霊の目撃談が多く語られ、旧道のカーブミラーにはいるはずのない女性の姿が映るという噂も広まった。内部を撮影すると白いもやの中に複数の顔らしきものが浮かび上がって写り込むとの報告も見られ、宮崎県内でも古くから知られる心霊スポットの一つとして紹介されることが多い。隧道の入口は現在、コンクリートの壁で厚く閉鎖されており、公式には内部の崩落による危険性が封鎖理由とされている。三股町側は鰐塚山への登山道として一部整備され通行できるが、日南市側の道路は完全に廃道化しており、新トンネル脇から旧道に入っても隧道自体には近づけない状態が続いている。