広島県

呉市の心霊スポット

3 スポット3 カテゴリ

呉市の人気スポット TOP3

1

灰ヶ峰

広島県呉市に位置する標高737メートルの灰ヶ峰は、瀬戸内海と呉市街を一望できる夜景の名所として知られ、夜景100選にも選ばれている。山頂には気象レーダー観測所や電波塔が並び、展望台の基礎には第二次世界大戦中に置かれたとされる高射砲台の台座が転用されている。もとは「蝿ヶ峰」と表記されていたが、後に現在の字が当てられたとされる。 2013年には、山中で当時16歳の少女の遺体が発見される事件が起きた。同級生だった少女が死体遺棄容疑で逮捕され、LINE上のトラブルに端を発した暴行の末に殺害されたとする供述が伝えられ、大きく報道された。これ以外にも、付近で身元不明の遺体が発見されたとの話が心霊関連の記録に伝えられている。 こうした経緯を背景に、灰ヶ峰は展望台や駐車場、トイレ付近で少女や女性の霊が目撃される、うめき声が聞こえるといった噂を持つ場所として知られるようになった。山中で人影を見た、視線を向けると姿が消えたという報告も伝えられている。

山道・峠
2

旧呉海軍工廠廃墟

呉海軍工廠は1889年の呉鎮守府設置に伴い造船部として発足し、1903年に造兵廠と統合された。東洋一と称される設備を備え、戦艦大和をはじめ戦艦長門・扶桑、航空母艦赤城・蒼龍など数多の艦艇を建造した。明治から昭和初期にかけて日本海軍の主要な軍事工場として機能した。戦中には工廠での製造作業に従事する工員と軍属が過酷な労働環境下で働き、その過程で多くが命を落とした。1945年6月22日の軍港空襲ではB-29爆撃機が来襲し、呉海軍工廠関係の死者は約1900名に上った。戦後は1945年10月に廃止され、現在は民間の造船施設として運営されている。跡地には煉瓦造りの遺構や石積みの岸壁といった往時の施設の一部が現存し、戦争の記憶を伝える物理的な証拠として残されている。訪れる場合は日中の訪問に限定し、立入制限区域への侵入は厳に慎むこと。

水辺
3

魔女の館野呂山

広島県呉市の野呂山は、弘法大師が修業したと伝えられる古い霊山だ。730年には山麓に堂が建てられ、以降、行人が修行地として拠点を置いてきた。瀬戸内海国立公園の区域に指定される観光地だが、その一角に「魔女の館」と呼ばれる廃墟がひっそり立っている。 この建物は1970年代、野呂山の別荘地開発に伴って建設された。ドイツのドラッヘンブルク城を模した3階建ての西洋館で、当初はレクリエーション施設として計画されていた。完成は1976年。高度経済成長の終焉とほぼ同時に建てられたこの構造物は、バブルの最後の光と陰を象徴するような存在である。 1973年のオイルショックは、野呂山一帯の観光開発を一変させた。同じ山上に営業していた遊園地は1974年に閉鎖。この経済的激変のなか、城館風の別荘地開発も投資家の熱を失い、多くの施設が未完成のまま、あるいは完成後も利用されぬまま放置された。「魔女の館」もその一つだ。窓には鉄格子が嵌め込まれ、かつての居住の痕跡を重く留めている。 ネット上では、この廃墟を訪れた者の間で超常現象の語り伝えが行われている。バーの鍵がかかった窓に人影が映るとの証言、2階の揺り椅子に座ると憑依されるとの言説、あるいは山道に首のない乗り手の姿が見えるという、複数の怪異報告が並んでいる。しかし、これらは往々にして根拠の定かでない経験談である。むしろ注目すべきは、この建物が立つ場所そのものが、経済転換の挫折を物質化した地点であるという現実だ。古い信仰地と新しい投機の産物が重なる野呂山のなかで、城館は時の経過を凝結させる装置として機能している。

公園・城址

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灰ヶ峰
広島県 呉市·山道・峠

灰ヶ峰

広島県呉市に位置する標高737メートルの灰ヶ峰は、瀬戸内海と呉市街を一望できる夜景の名所として知られ、夜景100選にも選ばれている。山頂には気象レーダー観測所や電波塔が並び、展望台の基礎には第二次世界大戦中に置かれたとされる高射砲台の台座が転用されている。もとは「蝿ヶ峰」と表記されていたが、後に現在の字が当てられたとされる。 2013年には、山中で当時16歳の少女の遺体が発見される事件が起きた。同級生だった少女が死体遺棄容疑で逮捕され、LINE上のトラブルに端を発した暴行の末に殺害されたとする供述が伝えられ、大きく報道された。これ以外にも、付近で身元不明の遺体が発見されたとの話が心霊関連の記録に伝えられている。 こうした経緯を背景に、灰ヶ峰は展望台や駐車場、トイレ付近で少女や女性の霊が目撃される、うめき声が聞こえるといった噂を持つ場所として知られるようになった。山中で人影を見た、視線を向けると姿が消えたという報告も伝えられている。

旧呉海軍工廠廃墟
広島県 呉市·水辺

旧呉海軍工廠廃墟

呉海軍工廠は1889年の呉鎮守府設置に伴い造船部として発足し、1903年に造兵廠と統合された。東洋一と称される設備を備え、戦艦大和をはじめ戦艦長門・扶桑、航空母艦赤城・蒼龍など数多の艦艇を建造した。明治から昭和初期にかけて日本海軍の主要な軍事工場として機能した。戦中には工廠での製造作業に従事する工員と軍属が過酷な労働環境下で働き、その過程で多くが命を落とした。1945年6月22日の軍港空襲ではB-29爆撃機が来襲し、呉海軍工廠関係の死者は約1900名に上った。戦後は1945年10月に廃止され、現在は民間の造船施設として運営されている。跡地には煉瓦造りの遺構や石積みの岸壁といった往時の施設の一部が現存し、戦争の記憶を伝える物理的な証拠として残されている。訪れる場合は日中の訪問に限定し、立入制限区域への侵入は厳に慎むこと。

魔女の館野呂山
広島県 呉市·公園・城址

魔女の館野呂山

広島県呉市の野呂山は、弘法大師が修業したと伝えられる古い霊山だ。730年には山麓に堂が建てられ、以降、行人が修行地として拠点を置いてきた。瀬戸内海国立公園の区域に指定される観光地だが、その一角に「魔女の館」と呼ばれる廃墟がひっそり立っている。 この建物は1970年代、野呂山の別荘地開発に伴って建設された。ドイツのドラッヘンブルク城を模した3階建ての西洋館で、当初はレクリエーション施設として計画されていた。完成は1976年。高度経済成長の終焉とほぼ同時に建てられたこの構造物は、バブルの最後の光と陰を象徴するような存在である。 1973年のオイルショックは、野呂山一帯の観光開発を一変させた。同じ山上に営業していた遊園地は1974年に閉鎖。この経済的激変のなか、城館風の別荘地開発も投資家の熱を失い、多くの施設が未完成のまま、あるいは完成後も利用されぬまま放置された。「魔女の館」もその一つだ。窓には鉄格子が嵌め込まれ、かつての居住の痕跡を重く留めている。 ネット上では、この廃墟を訪れた者の間で超常現象の語り伝えが行われている。バーの鍵がかかった窓に人影が映るとの証言、2階の揺り椅子に座ると憑依されるとの言説、あるいは山道に首のない乗り手の姿が見えるという、複数の怪異報告が並んでいる。しかし、これらは往々にして根拠の定かでない経験談である。むしろ注目すべきは、この建物が立つ場所そのものが、経済転換の挫折を物質化した地点であるという現実だ。古い信仰地と新しい投機の産物が重なる野呂山のなかで、城館は時の経過を凝結させる装置として機能している。