
大久野島
瀬戸内海に浮かぶ無人島・大久野島(竹原市)は、今や野生ウサギの生息地として知られるが、その地下には第二次大戦という特異な歴史が刻まれている。昭和4年から20年にかけて、この島は日本帝国陸軍の毒ガス製造拠点となった。血液剤、催涙剤、びらん剤、嘔吐剤といった4種類の化学兵器が、約16年間で6000トンを超す規模で製造され、本土からの爆撃を避けるため地形上も秘匿性の高い場所が選ばれた。島内に居住していた民家7戸の住民は強制退去を余儀なくされ、製造に従事した労働者のうち約300人が戦中に、さらに戦後を含めると3000人を超える人命が失われたとされる。不十分な防護装備と化学物質に関する知見の欠如が、多くの死傷の要因となった。この事実が国民に広く知られるようになったのは、昭和59年(1984年)のことである。 戦後は朝鮮戦争期にアメリカ軍による接収を経て、1963年の国民休暇村開場とともに観光地へと転換した。現在のウサギ個体群は、1971年に地元小学校で飼われていた8羽が放たれて野生化したものが源流とされ、現在では約500羽が生息し、年間20万人超の観光客が訪れるほどに増殖している。一方で島内には、焼けた陸軍施設の遺構や廃棄された発電装置など、当時の痕跡が今なお残されている。 大久野島が心霊スポットとして語られるのは、この歴史の濃密さと物理的な廃墟性が相俟ってのことである。ネット上では、旧軍事施設跡から聞こえる低い呻き声や、廃墟の窓に浮かぶ白い影といった現象が報告されている。カメラの不具合や身体の寒冷感についての証言も存在する。ただし、こうした現象の多くは、暗い廃墟環境における心理的影響、風による音響現象、あるいは構造物の劣化に伴う物理的事象として解釈される場合も多い。 重要なのは、この島が心霊スポットとして消費される背景には、戦時中の人的損失と国家秘密としての隠蔽という、実在の悲劇が存在するということである。現在、島には毒ガス資料館が設置され、当時の製造施設や労働条件に関する歴史記録が保存されている。観光地としての兎の島と、戦争遺跡としての毒ガス島の二つの相は、訪問者に異なる層の思考を促す。心霊現象として解釈される違和感は、ある意味では戦中の集団的な苦悶と、その後の歴史的忘却との境界に立つ場所だからこそ生じるものとも言える。