
旧陸軍被服支廠
旧陸軍被服支廠では、夜間に赤煉瓦の壁沿いを歩くと、どこからともなく呻き声や泣き声が聞こえてくるという噂が語られている。「助けてくれ」という声が聞こえた、焦げたような異臭が漂ってきた、という体験談がSNSや心霊掲示板に複数投稿されているとされる。また、外周の柵越しに建物を撮影した写真に、無数の白い人影や手形のようなものが写り込んでいたという報告もあると言われている。原爆投下直後、多くの被爆者がこの倉庫に運び込まれ、そのまま息を引き取ったという歴史的背景を知る地元の人々の間では、「あの場所には今も魂が残っている」と囁かれることがあるようだ。 広島市南区出汐2丁目に建つ4棟の赤煉瓦倉庫は、旧陸軍被服支廠の現存遺構である。1913年に軍服・軍靴の製造・保管を目的として建設され、鉄筋コンクリートと煉瓦を組み合わせた当時最先端の構造を持つ。1945年8月6日の原爆投下時、爆心地から約2.7キロメートルという距離にありながら躯体は倒壊を免れ、市内の医療施設が次々と機能を失う中、救護所として使用された。その後は民間企業の倉庫や広島大学医学部の倉庫を経て広島県の所有となり、被爆建造物としての保存問題が長年議論されてきた。2019年には3棟を耐震化のうえ保存する方針が示され、現在も活用方法の協議が続いている。敷地は柵で囲まれており、年に数回の公開イベント以外は内部への立ち入りはできない。
