広島県宿泊・居住跡系 心霊スポット

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広島県の心霊文化

瀬戸内の要衝・広島県は、近代日本の戦争の傷跡を最も深く刻む地である。1945年8月6日、十数万の命を奪った原爆の記憶、軍需を支えた巨大な旧陸軍被服支廠の赤煉瓦、毒ガス製造の島・大久野島の廃墟群——平和記念公園の静寂の地下には、被服廠の壁が今も焼夷の熱を抱え、瀬戸内の青い海は二十世紀の重い歴史を映し続けている。

宿泊・居住跡という場所

廃旅館や廃ホテルは、無数の他人が一夜の眠りと欲望を残していった「念の貯蔵庫」である。家主の急死、廃業、長期滞在者の執着が、色褪せた壁紙や朽ちた寝具に沈殿する。誰のものでもない部屋ほど、誰かの気配で満たされている。

安芸高田市の旧武家屋敷
宿泊・居住跡·広島県 安芸高田市

安芸高田市の旧武家屋敷

安芸高田市の旧武家屋敷は、毛利元就が生涯の本拠とした吉田郡山城の城下町に遺存する家臣団の屋敷跡である。郡山城は戦国期に東西1.1km、南北0.9kmの山全体に及ぶ中国地方最大級の山城として築かれ、280以上の防御施設を配置した複雑な要塞体系を持っていた。城下では組織的な町割りによって商家や武家の屋敷が配置され、吉田町として機能していた。関ヶ原の戦い後、毛利氏が広島城へ本拠を移すと郡山城は廃城となったが、市内に残存する屋敷跡や町並みの遺構は戦国期の都市構造を今に伝える。現在、郡山城跡は国指定史跡として、また毛利一族の墓所は史跡として保全されており、市による慰霊と顕彰が継続されている。訪問者の間では夜間に屋敷跡から複数の男声が重なり合うような響きが聞こえるという報告があるが、これは戦国期に当地に集った人々への記憶がもたらすものと解釈される傾向にある。

のうが高原廃墟群
宿泊・居住跡·広島県 東広島市

のうが高原廃墟群

広島県廿日市市の野貝原山に位置するのうが高原廃墟群は、かつての大規模リゾート施設跡地である。1965年に廿日市観光農園として営業を開始し、1971年に「のうが高原」と改名して本格的な開発が進められた。バブル景気のさなか、ホテル、キャンプ場、温泉施設など多くの建造物がこの山頂に立ち並んでいた。 この場所が独特の磁場を持つ理由は、施設開発以前に遡る。山頂には古代から磐座(いわくら)と呼ばれる神聖視される巨石群が散在しており、広島県の古社・速谷神社の奥院として位置付けられていた。開発時には、ホテルの大規模な岩風呂などがこれら既存の磐座を施設に取り込む形で建設されたことが知られている。1970~80年代には音楽フェスティバルやイベント大会が開催され、多くの観光客を集めた。 しかし建設費が嵩み、1980年代の観光減退とともに経営難に直面。1986年に倒産して以来、建物は急速に朽ち果てた。老朽化した建造物の危険性から、2000年代には立ち入りが困難になり、廃墟探訪の対象と化していった。2020年代には跡地がメガソーラー建設予定地となり、残存していた建物もほぼ消失した。 古代の聖地が観光地化され、さらに廃墟化するという急速な衰退の過程で、この場所は心霊スポットとしての評判を帯びるようになった。実際の怪異報告は限定的だが、失われた繁栄と場所の由来という構図が、ネット上では「正体不明の霊が徘徊する」という伝聞として流通している。建築廃墟としての物理的な危険性と、失われた時代への郷愁が、このスポットの「霊性」を生み出しているといえよう。

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