
伊予郡砥部町の廃農家
愛媛県のほぼ中央、松山平野の南に位置する伊予郡砥部町は、二百年以上の歴史を持つ砥部焼の産地として知られる山あいの町である。窯元が点在する谷筋には、後継者を失って放置された農家や作業小屋が残り、土壁が崩れかけたまま蔦に覆われている家屋もある。陶土と田畑が隣り合う暮らしの記憶が色濃く残る土地として、ひっそりと語り継がれる場所がある。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、日が落ちて間もない時刻、廃農家の前を通りかかると、納屋の奥から薪の爆ぜるような乾いた音と、湿った土と煙の匂いがふいに漂ってきた、というものである。誰も住んでいないはずの家屋の縁側に、作業着姿の人影がしばらく座っていた、土間の方向から轆轤を回すような低い唸りが聞こえた、と語る訪問者がいる。砥部焼に生涯を捧げた職人の暮らしが、感覚の残像として立ち現れているように受け止められている。 地元では、廃家の主であった陶工や農家への弔いを最優先に置く姿勢が共有され、無断で踏み込むことは強く戒められてきた。怪異の話も、産業と暮らしの記憶を伝える静かな語り口として地域に根づいている。 廃農家は私有地であり、無断侵入は不法侵入に問われる。屋根や床の老朽化による落下・崩落のリスクも大きい。心霊目的の立入は厳に控え、砥部焼を訪ねるならば窯元や陶芸館など正規の場所を日中に巡り、住民の生活と職人文化への敬意を欠かさないこと。