
四谷怪談お岩稲荷
東京都新宿区左門町に、於岩稲荷田宮神社という小さな神社がある。江戸初期の御家人・田宮家の屋敷神で、寛永13年(1636年)に没した実在の田宮家4代目の娘お岩を祀る。お岩は夫婦仲が良く家を再興した賢妻として近隣の信仰を集めた人物で、文政8年(1825年)に四代目鶴屋南北が江戸中村座で初演した『東海道四谷怪談』とは別人格であり、毒殺や顔の崩壊といった逸話は歌舞伎脚本の創作上のものに過ぎない、と整理する必要がある。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、参道に入ると周囲の喧騒が一段静まり、空気が引き締まったように感じられる、というものである。社殿の前で背筋が伸びるような感覚を覚えたと話す参拝者、上演や撮影の前に参拝した関係者が穏やかな手応えを受け取ったと述べる証言、隣接する陽運寺と合わせて訪れると気持ちが落ち着くと語る人々がおり、怪異というよりも、祈りと礼節の空気として静かに共有されている印象が強い場所である。 地元では、芝居の関係者が上演前に必ず田宮神社へ参拝する慣習が長く受け継がれてきた。新作発表や撮影の前に役者・スタッフが連れ立って参拝する姿は、現在もたびたび報じられ、実在の人物の家名を借りることへの礼節として位置づけられている。 神社は無料で参拝可能だが、住宅街に位置するため騒擾や深夜の滞留は近隣の迷惑となる。実在のお岩への敬意と、参拝の作法、そして創作と史実を区別する姿勢を欠かさないでほしい。


