
世田谷区廃倉庫(用賀地区)
用賀は江戸時代の宿場町から、戦後の高度経済成長期に首都圏の物流拠点へと急速に変貌した。1969年の東名高速全線開通と1971年の首都高速との接続、同時期の環状八号線整備により、用賀地区は流通ネットワークの要所として位置づけられた。この時期、環状八号線と東名高速インターチェンジ周辺に多数の倉庫・物流施設が集積し、戦後日本の物資流通を支える重要な機能を担った。その後1977年の東急新玉川線(現・田園都市線)開業、1993年の世田谷ビジネススクエア竣工など、地区の再開発に伴い、物流機能は徐々に郊外へ移転。廃業した倉庫建築の一部は、かつての産業景観を今に伝える遺構として地区に点在している。これらの施設は、高い天井と広大な内部空間、複雑な構造を特徴とし、音響環境(低周波の残響や環境音)が独特である。敷地周辺の現在の様相は、活発な産業地から混合用途地域への移行期の状態を物理的に示している。





