
七人坊主の呪い
東京都八丈町の中之郷地区から東山(三原山)にかけて伝わる話である。江戸時代、上方から船で流れ着いた七人の僧侶が、当時大飢饉に苦しんでいた村から食料を求めたものの受け入れられず、東山へ追われて次々と山中で命を落としたとされる。流刑者だったという説、天然痘を患っていたため拒まれたという説など複数の伝承が存在する。僧侶らの死後、村の周辺では白装束姿の僧侶の霊が家々を歩き回るとの噂が広まり、農作物の不作や蚕・家畜の相次ぐ死が続いたという。村では供養のための塚が建てられたものの、それでも山頂付近で僧侶たちの悪口を言うと災いが起きるという言い伝えが残った。この伝承は、後年「七」という数字に関わる出来事とも結び付けられている。昭和二十七年には東山の道路工事現場で土砂崩れが発生し作業員七名が死亡、平成六年には八丈町の火葬場で身元不明の人骨七体分が発見される事件が起き、いずれも真相は解明されていない。こうした一致から、僧侶たちの祟りが今も続いているとする見方が語られている。
