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目黒区の心霊スポット

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目黒区の人気スポット TOP2

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大圓寺(行人坂大火供養塔)

大圓寺は寛永年間に創建された天台宗の古刹で、目黒の行人坂に位置する。1772年(明和9年)2月、武州熊谷の無宿坊主・真秀による放火で、寺から大火が発生した。この火災は江戸城周辺、日本橋、上野、浅草など広範な地域に延焼し、934の町区を焼き、14,700人以上の死亡者を出した江戸三大大火の一つとなった。火元とされた寺は幕府の命により70年以上再建が禁止され、1848年に薩摩藩主の帰依によってようやく再興された。境内には火災の犠牲者追悼のため天明年間に造立された520体の石仏群が現存する。このうち本尊の釈迦三尊は356センチメートルの大像で、五百羅漢像491体は高さ78~90センチメートル程度。これらは松雲元慶禅師が十数年の歳月をかけて寄木造で彫刻したもので、東京都の指定有形文化財に指定されている。現在、参拝者や研究者の関心の対象となる一方で、ネット上では羅漢像の並ぶ斜面で背後からの足音や読経の音が聞こえるとの体験が語られている。

神域・霊場
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目黒不動尊(瀧泉寺)

泰叡山護國院瀧泉寺は、慈覚大師・円仁が大同3年(808年)に創建したと伝わる。15歳の円仁が比叡山へ向かう途中、不動明王の夢告を受けてその像を彫刻し安置したことが寺の濫觴とされ、天安2年に堂宇が造営され「瀧泉寺」の寺号を得た。貞観2年(860年)には清和天皇から「泰叡」の勅額を賜り、江戸期には五色不動の一として五方位の不動尊の中央に置かれ、徳川家の祈祷寺として厚く庇護された。 本堂裏に流れる独鈷の滝は、円仁が密教の法具・独鈷を投じたところから霊泉が涌き出したという縁起をもつ。かつての修行者たちの水場であり、今も参詣者を集める。同じく本堂裏の墓地には、江戸中期の幕臣・青木昆陽(1698-1769)が眠る。昆陽は享保の大飢饉に際してサツマイモの栽培を幕府に提案し、1734年に江戸へ伝来させた人物で、その遺績を偲ぶ甘藷祭りが毎年営まれている。1200年以上にわたり信仰と修行の場として保たれてきた境内には、山林と清水が今も往時の佇まいを留める。

神域・霊場

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大圓寺(行人坂大火供養塔)
東京都 目黒区·神域・霊場

大圓寺(行人坂大火供養塔)

大圓寺は寛永年間に創建された天台宗の古刹で、目黒の行人坂に位置する。1772年(明和9年)2月、武州熊谷の無宿坊主・真秀による放火で、寺から大火が発生した。この火災は江戸城周辺、日本橋、上野、浅草など広範な地域に延焼し、934の町区を焼き、14,700人以上の死亡者を出した江戸三大大火の一つとなった。火元とされた寺は幕府の命により70年以上再建が禁止され、1848年に薩摩藩主の帰依によってようやく再興された。境内には火災の犠牲者追悼のため天明年間に造立された520体の石仏群が現存する。このうち本尊の釈迦三尊は356センチメートルの大像で、五百羅漢像491体は高さ78~90センチメートル程度。これらは松雲元慶禅師が十数年の歳月をかけて寄木造で彫刻したもので、東京都の指定有形文化財に指定されている。現在、参拝者や研究者の関心の対象となる一方で、ネット上では羅漢像の並ぶ斜面で背後からの足音や読経の音が聞こえるとの体験が語られている。

目黒不動尊(瀧泉寺)
東京都 目黒区·神域・霊場

目黒不動尊(瀧泉寺)

泰叡山護國院瀧泉寺は、慈覚大師・円仁が大同3年(808年)に創建したと伝わる。15歳の円仁が比叡山へ向かう途中、不動明王の夢告を受けてその像を彫刻し安置したことが寺の濫觴とされ、天安2年に堂宇が造営され「瀧泉寺」の寺号を得た。貞観2年(860年)には清和天皇から「泰叡」の勅額を賜り、江戸期には五色不動の一として五方位の不動尊の中央に置かれ、徳川家の祈祷寺として厚く庇護された。 本堂裏に流れる独鈷の滝は、円仁が密教の法具・独鈷を投じたところから霊泉が涌き出したという縁起をもつ。かつての修行者たちの水場であり、今も参詣者を集める。同じく本堂裏の墓地には、江戸中期の幕臣・青木昆陽(1698-1769)が眠る。昆陽は享保の大飢饉に際してサツマイモの栽培を幕府に提案し、1734年に江戸へ伝来させた人物で、その遺績を偲ぶ甘藷祭りが毎年営まれている。1200年以上にわたり信仰と修行の場として保たれてきた境内には、山林と清水が今も往時の佇まいを留める。