
旧三井三池炭鉱跡
福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがる三池炭鉱は、1469年(文明元年)に農民が発見したと伝わる石炭の露頭に始まる、日本でも最古級の歴史を持つ炭鉱である。江戸期は柳川藩・三池藩の支配下にあり、明治6年(1873年)に官営化、明治22年(1889年)に三井組(後の三井財閥)に払い下げられた。以降1997年(平成9年)の閉山まで、約108年にわたり三井系企業の経営下で日本最大級の炭鉱として国内のエネルギー需要を支え続けた。 三池炭鉱の特徴は、海底にまで採炭区域が広がる海底炭鉱だった点である。有明海の海底深部に走る石炭層を採掘するため、宮原坑、万田坑、三川坑、四山坑など複数の坑口が海岸沿いに整備された。明治期から大正期にかけての近代化過程で、ドイツ製の最先端機械、英国の鉱山技術、米国の経営手法が次々と導入された日本の鉱業近代化を主導する位置にあった。 2015年(平成27年)、宮原坑、万田坑、専用鉄道敷跡、三池港の4資産が「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録された。明治期日本の重工業化の象徴的施設として国際的に評価された結果である。 一方、三池炭鉱は労働災害史の上でも重要な現場として記憶されている。1963年(昭和38年)11月9日午後3時12分、三川坑で発生した炭塵爆発事故は、日本国内の労働災害として戦後最大規模の犠牲を出した。労働省の災害報告書によれば、死者458名、一酸化炭素中毒の重症患者839名。一酸化炭素による中毒患者の多くが脳に重い後遺症を残し、戦後の労働災害史と公害史の研究において継続的に取り上げられてきた。 この事故とその後の長い後遺症問題は、労働運動と労働基準法、労災補償制度の発展に大きな影響を与えた。三池争議(1960年)と並んで、戦後労働史の重要な事例として教科書や労働運動史の研究文献にも繰り返し言及されている。 大牟田市と荒尾市は2005年から共同で三池炭鉱跡の文化財整備を進め、宮原坑、万田坑、三池港、専用鉄道敷跡の見学コースを整備した。万田坑には資料展示館が併設され、三池炭鉱の歴史と労働災害の記録が公開されている。歴史ガイドツアーは予約制で、世界遺産案内員による解説付きで巡れる。
