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大野城市の心霊スポット

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牛頸ダム

牛頸ダムは福岡県大野城市を流れる牛頸川に、治水と水質改善を目的として建設されたロックフィルダムで、1990年代初頭に完成した。この一帯には古くから、通行の難所であった沼地に少女が自ら人柱として身を投じ、その後に道が開かれたという言い伝えが伝わっており、供養のための祠が近隣に残るとされる。こうした由来もあってか、ダム周辺は九州でも知られた心霊スポットとして複数の怪談サイトや取材記事で取り上げられてきた。語られる内容は、湖面に立つ白い服の女性、ベンチに腰掛ける男女の霊、鈴の音、赤い服を着ると異変に遭うという禁忌など多岐にわたる。かつて山道にあった廃屋では、首のない少女の霊を見た者が災難に遭うという噂が中高生の間で語られていたとの記録もある。実際にこの地域では、1998年に建設中の重機が転落し児童が死亡する事故、2008年には近くの道路で車両火災による焼死体の発見、2017年には公園敷地内で複数の遺体が発見される事案が起きており、こうした出来事が心霊の噂と結び付けられて語られている。

水辺
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旧大野城廃墟跡

四王寺山に位置する大野城跡は、663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた日本が、領土防衛のため翌665年に築造した古代山城である。総延長8kmの土塁・石垣に囲まれ、9つの城門と約70棟の建物跡が確認されている。百済出身の軍人が指揮して朝鮮式の山城工法が採用され、北側の百間石垣(150m以上、高さ4m)は唐軍の北からの侵攻を想定した最大の防塁として機能した。 城内の建物跡の大部分は米の備蓄倉庫と考えられており、有事の籠城戦だけでなく、災害や飢饉への対応も想定された多機能な防衛拠点であった。水城とともに博多湾側からの防御を強化し、大宰府政庁を守る外郭防衛施設として機能した。 8世紀後半には信仰の対象へと変化し、774年には四天王寺が建立された。平安時代以降は経塚が営まれ、江戸時代には信仰拠点として確立される。現在は国指定特別史跡として保護され、遊歩道から古代遺構を探索できる。

公園・城址

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牛頸ダム
福岡県 大野城市·水辺

牛頸ダム

牛頸ダムは福岡県大野城市を流れる牛頸川に、治水と水質改善を目的として建設されたロックフィルダムで、1990年代初頭に完成した。この一帯には古くから、通行の難所であった沼地に少女が自ら人柱として身を投じ、その後に道が開かれたという言い伝えが伝わっており、供養のための祠が近隣に残るとされる。こうした由来もあってか、ダム周辺は九州でも知られた心霊スポットとして複数の怪談サイトや取材記事で取り上げられてきた。語られる内容は、湖面に立つ白い服の女性、ベンチに腰掛ける男女の霊、鈴の音、赤い服を着ると異変に遭うという禁忌など多岐にわたる。かつて山道にあった廃屋では、首のない少女の霊を見た者が災難に遭うという噂が中高生の間で語られていたとの記録もある。実際にこの地域では、1998年に建設中の重機が転落し児童が死亡する事故、2008年には近くの道路で車両火災による焼死体の発見、2017年には公園敷地内で複数の遺体が発見される事案が起きており、こうした出来事が心霊の噂と結び付けられて語られている。

旧大野城廃墟跡
福岡県 大野城市·公園・城址

旧大野城廃墟跡

四王寺山に位置する大野城跡は、663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた日本が、領土防衛のため翌665年に築造した古代山城である。総延長8kmの土塁・石垣に囲まれ、9つの城門と約70棟の建物跡が確認されている。百済出身の軍人が指揮して朝鮮式の山城工法が採用され、北側の百間石垣(150m以上、高さ4m)は唐軍の北からの侵攻を想定した最大の防塁として機能した。 城内の建物跡の大部分は米の備蓄倉庫と考えられており、有事の籠城戦だけでなく、災害や飢饉への対応も想定された多機能な防衛拠点であった。水城とともに博多湾側からの防御を強化し、大宰府政庁を守る外郭防衛施設として機能した。 8世紀後半には信仰の対象へと変化し、774年には四天王寺が建立された。平安時代以降は経塚が営まれ、江戸時代には信仰拠点として確立される。現在は国指定特別史跡として保護され、遊歩道から古代遺構を探索できる。