福岡県

福岡市東区の心霊スポット

3 スポット3 カテゴリ

福岡市東区の人気スポット TOP3

1

潮見公園

志賀島の入口付近、標高170mほどの島内最高所に位置する展望公園で、駐車場と展望台、万葉歌碑を備える。博多湾から玄界灘まで見渡せる眺望地として整備され、正月には初日の出を仰ぐ人々が訪れる観光地としても知られる。一方でインターネット上の複数の心霊系サイトでは、この展望台にまつわる噂が古くから取り上げられている。展望台の周辺でかつて命を絶った人物がいたとする話があり、その人物とされる男性の霊が海を見つめて佇む、あるいは辺りをさまよっているという目撃談が伝えられている。うめき声のような声が聞こえた、黒い影がふっと現れて消えたといった報告のほか、駐車した車の後部座席を叩くような音を聞いたという体験や、利用者がいない公衆トイレで水音が続いたとする話も見られる。これらの噂は単発の投稿ではなく、複数の心霊情報サイトでおおむね共通した内容として取り上げられており、展望台という場所を中心とした一連の言い伝えとして広まっている状況がうかがえる。

公園・城址
2

米一丸地蔵尊(米一丸の塔)

福岡市東区箱崎の住宅地に、花崗岩を九層に積み上げた高さ約4.2メートルの石塔が立つ。福岡県の指定文化財で、様式と風化の程度から鎌倉時代末期、1300年代初頭の造立と推定されている。塔の南東には米一丸地蔵尊の堂が並び、堂内に米一丸と妻の位牌が納められている。 塔に添えられた言い伝えでは、文治年間(1185〜1189年)、京の一条殿が家臣・米一丸の妻に横恋慕し、博多へ質入れされた太刀を取り戻せという名目で彼を九州へ向かわせた。米一丸は博多で夜襲を受け、箱崎まで退いたところで力尽き、自ら命を絶ったとされる。恨みを残した死者を慰めるために塔が築かれたと伝えられるが、文治年間と塔の推定年代には100年以上の隔たりがある。『筑前国続風土記』を著した貝原益軒も、この手の話は「乱雑にしてまことしからぬ事多ければ、信じがたし」と留保を付けていた。 怪異の噂が集まった舞台は、塔の東を走る鹿児島本線の踏切である。米一丸踏切と呼ばれた地点で人身事故が繰り返されたという記述が複数の紹介記事にあり、それを米一丸の祟りに結び付ける見方が広まったという。塔の前を自転車で通ると荷台が重くなる、夜になると塔のまわりを人魂が飛び交う、誰もいない方向から視線を感じる——そうした話が伝えられてきた。一方、事故を裏づける記録は確認できなかったとする現地訪問記もある。線路の高架化で踏切が消えて以降は噂も退き、塔と堂は清掃の行き届いた状態で守られている。

神域・霊場
3

志賀島蒙古塚

福岡市東区の志賀島は博多湾と玄界灘を隔てる細長い島で、中道でつながっています。志賀島に立つ蒙古塚は、文永十一年(1274年)の元寇(文永の役)の翌日、座礁した元軍の船から投降した兵士約220名がこの地で斬首されたことに由来し、「首切り塚」とも呼ばれてきました。供養塔は日中友好を掲げて昭和2年、日蓮宗の僧侶の提唱で建立され、揮毫は当時の首相、供養塔賛は満州の軍閥によるものと伝えられています。もとは島北部の丘陵にありましたが、平成17年(2005年)の福岡県西方沖地震で被害を受け、玄界灘を望む南側の現在地に移設・再建されました。 海風や波音が響く静寂のなかで塚を前にすると、元寇という国際的な戦の記憶が、海の景観に深く融け込んでいることに気づかされます。古戦場としての性質から心霊スポットとしても知られ、かつては祟りを恐れて近寄らない者もいたと伝えられています。ネット上では、訪れた際に不穏な出来事に見舞われたとする体験談も見られますが、目撃情報の多くは伝聞にとどまり、実際の被害が確認された記録は乏しいとされています。 塚の周辺は岬の急斜面と岩場が近く、足場が悪い地形です。訪れる際は日中に限定し、慎重な行動をお勧めします。

水辺

カテゴリ

福岡市東区のすべてのスポット

潮見公園
福岡県 福岡市東区·公園・城址

潮見公園

志賀島の入口付近、標高170mほどの島内最高所に位置する展望公園で、駐車場と展望台、万葉歌碑を備える。博多湾から玄界灘まで見渡せる眺望地として整備され、正月には初日の出を仰ぐ人々が訪れる観光地としても知られる。一方でインターネット上の複数の心霊系サイトでは、この展望台にまつわる噂が古くから取り上げられている。展望台の周辺でかつて命を絶った人物がいたとする話があり、その人物とされる男性の霊が海を見つめて佇む、あるいは辺りをさまよっているという目撃談が伝えられている。うめき声のような声が聞こえた、黒い影がふっと現れて消えたといった報告のほか、駐車した車の後部座席を叩くような音を聞いたという体験や、利用者がいない公衆トイレで水音が続いたとする話も見られる。これらの噂は単発の投稿ではなく、複数の心霊情報サイトでおおむね共通した内容として取り上げられており、展望台という場所を中心とした一連の言い伝えとして広まっている状況がうかがえる。

米一丸地蔵尊(米一丸の塔)
福岡県 福岡市東区·神域・霊場

米一丸地蔵尊(米一丸の塔)

福岡市東区箱崎の住宅地に、花崗岩を九層に積み上げた高さ約4.2メートルの石塔が立つ。福岡県の指定文化財で、様式と風化の程度から鎌倉時代末期、1300年代初頭の造立と推定されている。塔の南東には米一丸地蔵尊の堂が並び、堂内に米一丸と妻の位牌が納められている。 塔に添えられた言い伝えでは、文治年間(1185〜1189年)、京の一条殿が家臣・米一丸の妻に横恋慕し、博多へ質入れされた太刀を取り戻せという名目で彼を九州へ向かわせた。米一丸は博多で夜襲を受け、箱崎まで退いたところで力尽き、自ら命を絶ったとされる。恨みを残した死者を慰めるために塔が築かれたと伝えられるが、文治年間と塔の推定年代には100年以上の隔たりがある。『筑前国続風土記』を著した貝原益軒も、この手の話は「乱雑にしてまことしからぬ事多ければ、信じがたし」と留保を付けていた。 怪異の噂が集まった舞台は、塔の東を走る鹿児島本線の踏切である。米一丸踏切と呼ばれた地点で人身事故が繰り返されたという記述が複数の紹介記事にあり、それを米一丸の祟りに結び付ける見方が広まったという。塔の前を自転車で通ると荷台が重くなる、夜になると塔のまわりを人魂が飛び交う、誰もいない方向から視線を感じる——そうした話が伝えられてきた。一方、事故を裏づける記録は確認できなかったとする現地訪問記もある。線路の高架化で踏切が消えて以降は噂も退き、塔と堂は清掃の行き届いた状態で守られている。

志賀島蒙古塚
福岡県 福岡市東区·水辺

志賀島蒙古塚

福岡市東区の志賀島は博多湾と玄界灘を隔てる細長い島で、中道でつながっています。志賀島に立つ蒙古塚は、文永十一年(1274年)の元寇(文永の役)の翌日、座礁した元軍の船から投降した兵士約220名がこの地で斬首されたことに由来し、「首切り塚」とも呼ばれてきました。供養塔は日中友好を掲げて昭和2年、日蓮宗の僧侶の提唱で建立され、揮毫は当時の首相、供養塔賛は満州の軍閥によるものと伝えられています。もとは島北部の丘陵にありましたが、平成17年(2005年)の福岡県西方沖地震で被害を受け、玄界灘を望む南側の現在地に移設・再建されました。 海風や波音が響く静寂のなかで塚を前にすると、元寇という国際的な戦の記憶が、海の景観に深く融け込んでいることに気づかされます。古戦場としての性質から心霊スポットとしても知られ、かつては祟りを恐れて近寄らない者もいたと伝えられています。ネット上では、訪れた際に不穏な出来事に見舞われたとする体験談も見られますが、目撃情報の多くは伝聞にとどまり、実際の被害が確認された記録は乏しいとされています。 塚の周辺は岬の急斜面と岩場が近く、足場が悪い地形です。訪れる際は日中に限定し、慎重な行動をお勧めします。