
鎌北湖
埼玉県毛呂山町、奥武蔵の山ふところにたたずむ農業用の人造湖。1935年に灌漑用として築かれた古い溜め池で、「乙女の湖」とも呼ばれ、紅葉やヘラブナ釣りの名所として親しまれてきた。一方で、湖畔に長く廃墟のまま残ってきた旅館をはじめ、入水にまつわる暗い噂が積み重なり、埼玉県内でも知られた心霊スポットとして語られるようになった。湖を取り巻く杉木立は日中でも薄暗く、水面に山影が落ちる夕方には、釣りや紅葉でに
SUMMER SPECIAL
怪談の夜、百物語、そしてお盆——夏は霊が最も近くなる季節とされ、肝試しが年間で最も盛んになる。 水辺・トンネル・峠・廃墟、夏の定番カテゴリから、語り継がれてきたスポットを閲覧数の多い順に集めた。 出かける前に、ページ末尾の注意点とマナーには必ず目を通してほしい。
水難事故や入水の伝承が残る湖沼・ダム・橋。夏の夜、水面から漂う冷気が「出る」と言われる所以である。

埼玉県毛呂山町、奥武蔵の山ふところにたたずむ農業用の人造湖。1935年に灌漑用として築かれた古い溜め池で、「乙女の湖」とも呼ばれ、紅葉やヘラブナ釣りの名所として親しまれてきた。一方で、湖畔に長く廃墟のまま残ってきた旅館をはじめ、入水にまつわる暗い噂が積み重なり、埼玉県内でも知られた心霊スポットとして語られるようになった。湖を取り巻く杉木立は日中でも薄暗く、水面に山影が落ちる夕方には、釣りや紅葉でに

京都市北区上賀茂、市街中心から車で二十分ほどの北山麓に広がる深泥池は、氷河期から続く植生が浮島のかたちで残る国の天然記念物に指定された水辺で、学術的にも極めて貴重な湿地生態系を抱える古池である。室町期の説経節『小栗判官』には池の大蛇伝承が記されており、近代以降は深夜のタクシーにまつわる怪談で全国的に名を知られた、関西を代表する心霊水辺として、信仰と怪異と自然の三層が重なる土地として語り継がれてきた

群馬県沼田市利根町追貝の片品川中流に位置する吹割の滝(ふきわれのたき)は、河床を侵食して形成された独特の滝である。一般的な滝のように川幅の端で落差を作るのではなく、片品川の流れが河床に走る亀裂を縫って横方向に流れ落ちるため、川幅全体が滝になっているような独特の景観を持つ。 地質は新第三紀の凝灰岩(白色から淡黄色のもの)で、約900万年前の海底火山活動で堆積した地層である。当時は海底だった場所が後

広島県竹原市忠海沖の瀬戸内海に浮かぶ大久野島は、周囲わずか四キロほどの小さな島で、太平洋戦争期に旧陸軍の毒ガス製造施設が置かれた歴史を持つ土地である。当時、地図からも消されたとされる秘匿の島であり、製造作業に従事した動員工員や軍属、学徒の方々の多くが、過酷な労働環境と有毒物質への曝露とにより健康を著しく損ない、戦中・戦後にわたって命を落とされたと伝えられてきた。現在はウサギの島として知られ、毒ガス

静岡県熱海市の錦ヶ浦は、相模灘に面した断崖絶壁が連なる景勝地で、海と空のコントラストが鮮やかな観光名所として古くから知られ、文人墨客にも愛されてきた土地である。一方で、断崖の高さと潮流の険しさから、海難や転落の痛ましい出来事が幾重にも重なってきた場所でもあり、熱海の歴史と海への畏れが切り離せない景勝地として、地元の語り口の中で静かに位置づけられ、温泉観光地の華やかさの裏で穏やかな弔いの土地としても

静岡県沼津市の千本浜は、駿河湾に沿って黒松の防潮林が長く続く海岸で、江戸期から地域の生活と漁を守ってきた由緒ある場所である。明治期、暴風雨で大木が倒れた際に地中から多数の頭骨が出土し、戦国期の合戦に関わる供養の場であったと地元では伝えられ、土地の人々が首塚を建てて静かに弔ってきた経緯がある。海と松林の景観のなかで、地域の記憶と無名の死者への祈りを伝える静かな場として、今も世代を超えて語り継がれてい
肝試しの王道。施工時の事故や旧道化で取り残された隧道には、灯りの届かない闇が今も残る。

山梨県甲州市勝沼、ぶどう畑の広がる丘陵を貫く旧国鉄中央本線の煉瓦造りトンネル。1903年(明治36年)に開通し、急勾配の難所として長く列車を通してきたが、新線への切り替えにより1997年に役目を終えた。その後は遊歩道として整備された時期もあったが、老朽化のため立ち入りが制限され、ひんやりと暗い廃隧道として、心霊スポットとしても語られるようになった。全長は約1.3kmあり、内部に入ると外の光がまった

大阪府能勢町、兵庫県との境に近い国道173号の天王峠に残る旧トンネル。新道とトンネルの整備によって幹線の役目を終えた旧道沿いにあり、薄暗く狭い隧道として、大阪近郊では知られた心霊スポットとして語られている。府県境の山あいという立地と、峠道で繰り返されてきた事故とが、怪異の噂を育ててきた。都市部から車で気軽に行ける立地もあって、関西の若者の肝試しの定番として古くから名前が挙がってきた場所でもある。旧

長野県松本市と上田市を結ぶ国道254号、三才山峠を貫く三才山トンネル。1976年(昭和51年)に有料道路のトンネルとして開通し(2020年に無料開放)、松本平と東信地方を最短で結ぶ要路として多くの車が行き交う。一方で、トンネル内外で起きてきた事故とともに、長野県内でもよく知られた心霊スポットとして語られている。 トンネルを夜間に走ると、ミラーに女性の姿が映る、後部座席に人が座っている気配がする、

神奈川県秦野市と伊勢原市の境、国道246号が善波峠を貫く善波トンネル。古くからの交通の難所で、トンネルの開通以前から善波峠は事故や遭難の多い峠道として知られていた。現在も交通量の多い幹線でありながら、神奈川県内でも指折りの心霊スポットとして語られている。 最もよく知られるのは、トンネル付近で白い服や赤い服をまとった女性の霊が現れ、走行中の車やバイクの前に立つ、追い越していくバイクの後ろに人がまた

福岡県京都郡みやこ町と田川郡香春町の境にある旧仲哀トンネルは、明治期に開削された手掘り煉瓦巻きトンネルとして知られ、近代土木史の貴重な遺構である。日豊路と筑豊を結ぶ要衝として人や物資の往来を支え、開削工事には多くの労働者が従事し、難工事のなかで殉職された方もいたと記録にも伝えられている。新トンネルの開通後は旧道として静かに残され、夜間の通行はほとんどなくなり、煉瓦の坑門と樹々の闇だけが残る場所とな

愛知県豊田市にある旧伊勢神トンネルは、明治三十年に完成した石積みの隧道で、当時の土木技術と職人技を伝える貴重な近代化遺産である。三河と伊那谷を結ぶ街道筋の難所として開削され、急峻な山中での工事には多くの労苦と犠牲が伴ったと伝わっている。現在は新トンネルに役目を譲り、旧道沿いに苔むした坑口とアーチ状の石組みだけが残り、深い山林の静寂のなかで往時の交通史と工事の重みを今に伝えている。 寄せられる体験
深夜の峠道は古くから怪談の舞台。カーブミラーや慰霊碑にまつわる目撃談が多い。

長野県松本市と岐阜県高山市の境にある標高1672mの峠。明治から大正にかけて、飛騨の貧しい家の少女たちが信州・諏訪の製糸工場へ出稼ぎに向かう際、この険しい雪の峠を越えた。過酷な労働と長旅で体を壊し、峠の途中で力尽きた少女も少なくなく、「ああ飛騨が見える」と言い残して兄に背負われたまま息を引き取った政井みねの逸話は、女工哀史を象徴する物語として語り継がれている。多くの若い命が失われた峠として、慰霊と

栃木県、塩原温泉と那須を尾根づたいに結ぼうとした県道266号「塩那道路」のうち、ついに開通しないまま自然へ還りつつある山岳廃道区間。標高1700m近い稜線を貫く壮大な計画のもと、陸上自衛隊の施工も加えて巨額が投じられたが、採算や環境の問題から全線開通は果たされず、中ほどの区間が車両の通れない廃道として取り残された。深い霧と切り立った斜面に閉ざされたその姿から、栃木県を代表する廃道・心霊スポットとし

三重県尾鷲市と熊野市を隔てる標高800m級の難所・矢ノ川峠(やのことうげ)。かつての国道42号はこの峠を九十九折で越えており、急峻な地形と濃い霧、たびたびの転落事故で知られた。1968年(昭和43年)に矢ノ川トンネルを含む新道へ切り替えられた後、峠の旧道と古いトンネルは打ち捨てられ、廃道・廃隧道として、また紀伊半島を代表する心霊スポットとして語られるようになった。 旧道や廃隧道では、霧の中に人影

滋賀県甲賀市と三重県亀山市の境をなす、旧東海道屈指の難所・鈴鹿峠。古来より箱根と並ぶ東海道の険所として知られ、山賊が旅人を襲ったという記録や、鬼女・立烏帽子(鈴鹿御前)の伝説が残る土地である。峠の旧道沿いには片山神社が鎮座し、行き交う旅人の安全が長く祈られてきた。現在は国道1号や峠の旧道に、心霊にまつわる話が数多く語られている。 旧道や峠の周辺では、夜間に甲冑姿の武者を見た、首のない人影が立って

福岡市の南西部、城南区・早良区・南区にまたがる標高五百九十七メートルの油山は、市民に親しまれる自然公園と牧場、市民の森を擁する一方、太平洋戦争末期に旧日本軍が撃墜機の連合軍搭乗員を山中で処刑したいわゆる油山事件の現場として知られる。戦後にBC級戦犯裁判で関係者が処罰され、現地には犠牲となった搭乗員と戦争全般の犠牲者を悼む慰霊のための碑が建立され、平和の祈りの場として大切にされてきた歴史を持つ。

福岡県宮若市と糟屋郡久山町の境界をまたぐ峠で、旧称を「久原越」という。古くから筑前と粕屋を結ぶ難所として往来があり、林業や炭焼き、生活道として地域の暮らしを長く支えてきた歴史を持つ。昭和末期以降、現実の痛ましい事件と頻発する交通事故の記憶が積層し、ネット時代以降に流通した定型的な語りと結びついて、心霊スポット文化の象徴的存在として全国に名を知られる場所となった。 寄せられる体験談で繰り返し語られ
人の営みが途絶えた建物は夏でも空気が冷たい。崩落の危険があるため、立入らず外観に留めること。

宮城県栗原市の山あいに広がる、奈良時代にさかのぼる歴史を持つ鉛・亜鉛の鉱山跡。近代以降は国内有数の規模を誇ったが、1987年に閉山した。坑道の一部は「細倉マインパーク」として公開される一方、山中には選鉱場や事務所、社宅の跡が朽ちるにまかせて残り、最寄りの鉄道(くりはら田園鉄道)も廃止されて、廃鉱と廃線の地として心霊スポットとしても語られている。かつて鉱山とともに栄えた町は閉山とともに急速に静まり、

群馬県安中市、信越本線の難所として知られた碓氷峠の旧線跡にたたずむ煉瓦造りの建物。1912年(明治45年)、急勾配を登るアプト式鉄道の電化にあわせて建てられた変電所で、二棟が向かい合う重厚な姿は重要文化財に指定されている。新線への切り替えで碓氷峠の旧線は廃止され、いまは遊歩道「アプトの道」として歩けるが、沿線に点在する廃トンネル群とともに、心霊・廃墟の語りが寄せられる場所でもある。二棟の煉瓦建築が

秋田県鹿角市、米代川の支流沿いに広がる古い銅山の跡。およそ1300年前から採掘が伝わるとされる歴史ある鉱山で、近世には南部藩の財政を支え、近代には日本有数の銅山として栄えたが、1978年に閉山した。掘り進められた坑道は積み重ねると数百kmに達するといわれ、その一部が「史跡尾去沢鉱山」として公開される一方、山中には朽ちた施設や古い坑口が点在し、廃鉱の地として心霊スポットとしても語られている。総延長が

長崎市の西、外海に浮かぶ周囲約4kmの小さな島・池島に残る炭鉱の跡。1959年に本格出炭を始め、2001年に閉山するまで九州最後の炭鉱として島を支え、最盛期には人口7700人を数える炭鉱の島として栄えた。閉山後は人口が激減し、高層アパート群や巻揚機、選炭施設などが半ば無人のまま残されて、「軍艦島の弟分」とも呼ばれる廃墟・心霊スポットとして知られるようになった。島の中心部には今も巨大な集合住宅が立ち

北海道羽幌町の内陸、日本海側の市街から山あいへ入った旧炭鉱町・築別炭砿に残る一連の廃墟。羽幌炭鉱は1940年代に本格的に開発され、最盛期には炭鉱とその家族で人口一万を超える町を形づくったが、1970年の閉山によって人々は去り、町は無人となった。コンクリートのアパート群や、石炭を積み出した巨大なホッパー、選炭場の残骸が森に呑まれつつ立ち並び、北海道を代表する炭鉱廃墟・心霊スポットとして知られる。石炭

奈良市北部の丘に1961年に開園した大型遊園地・奈良ドリームランドの跡地。アメリカのディズニーランドを範とした夢の国として親しまれたが、来園者の減少で2006年に閉園した。その後、観覧車やジェットコースター、城の建物などがそのまま約10年も放置され、草木に埋もれて朽ちていく姿が、日本を代表する廃墟・心霊スポットとして全国に知られるようになった(建物群は2016年から解体された)。海外の写真家や廃墟
日本では夏、特に7月下旬からお盆(8月中旬)にかけてが定番です。怪談・百物語の文化に加え、お盆には死者の霊が帰ってくるという言い伝えがあり、心霊スポット巡りが年間で最も盛んになります。
立入禁止区域・私有地には絶対に入らないこと(不法侵入は犯罪です)。夜間は足元と周囲の安全を確保し、単独行動を避け、近隣住民への騒音や路上駐車などの迷惑行為をしないこと。廃墟は崩落や落下物の危険があるため、外観の見学に留めてください。
お盆は「霊が最も近くなる時期」とされ、肝試しが盛り上がる一方で、地域によっては慰霊の場でもあります。慰霊碑や墓地のあるスポットでは騒がず、手を合わせる気持ちで訪れるのがマナーとされています。
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