
玉川上水(太宰治入水の地)
玉川上水は、江戸時代の承応年間に江戸市中への給水を目的として開削された用水路で、多摩川の水を四谷方面までおよそ四十キロにわたって導いた歴史ある水路である。かつては水量が豊かで流れが速く、いったん落ちれば助かりにくい急流だったと伝えられ、近代以降は投身による死が相次いだ水辺としても知られた。東京都三鷹市を通る区間はその一部にあたる。 この流れが広く記憶されているのは、昭和二十三年六月、作家の太宰治
閲覧 403
SUMMER SPECIAL
怪談の夜、百物語、そしてお盆——夏は霊が最も近くなる季節とされ、肝試しが年間で最も盛んになる。 水辺・トンネル・峠・廃墟、夏の定番カテゴリから、語り継がれてきたスポットを閲覧数の多い順に集めた。 出かける前に、ページ末尾の注意点とマナーには必ず目を通してほしい。
水難事故や入水の伝承が残る湖沼・ダム・橋。夏の夜、水面から漂う冷気が「出る」と言われる所以である。

玉川上水は、江戸時代の承応年間に江戸市中への給水を目的として開削された用水路で、多摩川の水を四谷方面までおよそ四十キロにわたって導いた歴史ある水路である。かつては水量が豊かで流れが速く、いったん落ちれば助かりにくい急流だったと伝えられ、近代以降は投身による死が相次いだ水辺としても知られた。東京都三鷹市を通る区間はその一部にあたる。 この流れが広く記憶されているのは、昭和二十三年六月、作家の太宰治
閲覧 403

千葉県銚子市、関東最東端の犬吠埼に立つ白亜の灯台は、1874年(明治7年)にイギリス人技師ブラントンの設計で初点灯した近代灯台である。黒潮と親潮がぶつかる沖合は古くから航海の難所とされ、1910年(明治43年)の暴風雪では銚子から鹿島灘にかけて多数の漁船が遭難し九百人を超える犠牲者を出したほか、2008年には犬吠埼の東方はるか沖合で漁船が沈没するなど、海の事故の記憶がこの岬の名とともに幾重にも積み
閲覧 373

市川市八幡の国道14号線沿いに、わずか20メートル程の竹藪がひっそり存在する。江戸時代から記録された「八幡の藪知らず」は、「足を踏み入れると二度と出られなくなる」という禁足地の伝承として、と伝えられてきた。 この伝説の起源は、超自然的な呪いというより、むしろ土地利用の歴史に根ざしている可能性が高い。藪知らずは元来、行徳の入会地(共同で所有・利用される山林)であり、八幡住民の立ち入りが明確に禁止さ
閲覧 259

秋ヶ瀬公園は、埼玉県さいたま市桜区、荒川左岸に広がる県営の都市公園である。羽根倉橋と秋ヶ瀬橋のあいだ、荒川と鴨川に挟まれた河川敷におよそ百ヘクタール規模で開かれ、旧浦和市時代の一九七一年に開園した。園内は野球場やテニスコート、広場、雑木林などから成り、日中は家族連れや自然観察、スポーツを楽しむ人で賑わう。一方でこの一帯は荒川第一調節池の範囲に含まれ、増水時には水を受け止める遊水地として機能する低地
閲覧 238

小野川温泉は山形県米沢市の湯治場で、834年に平安時代の歌人小野小町が発見したと伝わる1200年余りの歴史を持つ。戦国時代には伊達政宗が骨折の治療に訪れ、江戸期には米沢藩主の上杉家が地域開発に関わった。含硫黄ナトリウム塩化物泉で、高い塩分濃度が特徴である。 戦後の1957年に観光協会が設立され、地域の統一的な管理と観光化が進められた。1981年のホタル祭開始、2013年の景観保存地区指定などによ
閲覧 179

岐阜県各務原市の南部、木曽川に近い低地に位置する溜め池。農業用水を担う日常の水辺だが、周辺は幹線道路と田畑が交差する交通動線上にあり、夜間は交通量が限定的になる。 各務原市内ではバイク事故による死亡例が複数報告されており、うち二輪車に関わるものが占めている。こうした交通事故の悲劇が、夜間走行時の心理的緊張と結びついた。ネット上では、深夜の通過時に水面に二輪車のシルエットが映り込んで見えたという投
閲覧 176
肝試しの王道。施工時の事故や旧道化で取り残された隧道には、灯りの届かない闇が今も残る。

千駄ヶ谷トンネルは、その真上に江戸期創建の仙寿院という日蓮宗の寺院と墓地が広がることから、古くから「霊が集まりやすい場所」として都内の心霊マニアの間で語り継がれてきたとされる。トンネル内で白い人影を目撃した、突然エンジンが止まった、後部座席に人が乗り込む気配がしたなどの体験談がネット上に散見され、「墓地の真下を走るトンネル」という特異な立地がそうした噂に拍車をかけているとも言われている。また、深夜
閲覧 888

愛知県豊田市の伊勢神峠に遺る石造トンネル。1897年(明治30年)の完成から初めての隧道開削は、1960年の新線完通まで地域交通の生命線だった。 構造は花崗岩を「二重迫石」で積み上げた堅牢な設計で、全長308m、幅3m。この明治期の土木技術遺産は2000年に国の登録有形文化財に指定され、現在も旧隧道として現役の新トンネルの脇に並び立つ。中馬(ちゅうま)の難所と呼ばれた伊勢神峠は、江戸期から昭和ま
閲覧 200

福岡県京都郡みやこ町と田川郡香春町の境、仲哀峠に位置する旧仲哀トンネル(仲哀隧道)は、明治17年(1884年)に着工され明治22年(1889年)に完成した、日本最古級の国道トンネルとして知られる。全長432メートル、内壁の両端部は煉瓦と石造で固められ、中央部は素掘りのまま残されている。馬蹄形の坑口周りには花崗岩の切石が用いられ、煉瓦積みの坑門がその意匠を引き立てている。昭和4年に幅員が拡張されたが
閲覧 189

福島県西白河郡西郷村と下郷町を結ぶ国道289号甲子道路は、1970年の国道指定から38年間、自動車での通行を遮断された交通難所だった。標高1,400メートルの甲子峠を越える唯一のルートでありながら、険しい地形と豪雪のため、1975年の着工から2008年の開通まで33年の歳月を要した。この長い工期の中で、地形と工事は幾度となく衝突した。2002年の台風6号による集中豪雨は甲子峠付近で大規模な地滑りを
閲覧 189

旧小峰トンネル(小峰隧道)は、東京都あきる野市と八王子市の境、標高288メートルの小峰峠に架かる煉瓦造りの隧道で、大正5年(1916年)に完成した。生糸輸送路の整備を目的に開削され、2002年に新トンネルが開通した後は車両通行ができず、徒歩のみ通れる旧道として残る。 この場所が心霊スポットとして知られる経緯には複数の要因が絡む。ある大きな事件が発覚する以前、地元紙に「峠に幽霊が出る」という趣旨の
閲覧 159

神奈川県厚木市七沢の山間部にある旧道トンネル。戦後の道路改良に伴い役目を終えた坑道で、名称は坑口付近に山の神を祀る祠があったことに由来するとされます。坑口の先には廃キャンプ場跡が残り、その後周辺は「山の神沢広場」「不動尻広場」として再整備されています。 この場所は「化けトン」の通称でも知られ、1980〜90年代の心霊番組でも有名霊能者から取り上げられてきました。噂として語られるのは、トンネル建設
閲覧 150
深夜の峠道は古くから怪談の舞台。カーブミラーや慰霊碑にまつわる目撃談が多い。

埼玉県比企郡嵐山町と鳩山町の境、標高80メートル前後の小さな峠が笛吹峠(ふえふきとうげ)である。武蔵野台地の北縁、比企丘陵の南端にあたる地形で、現在は嵐山町笛吹峠史跡公園として整備されている。 この峠が日本史に登場するのは、南北朝動乱期の正平7年(1352年)閏2月の武蔵野合戦である。新田義興・義宗の兄弟と宗良親王率いる南朝方と、足利尊氏率いる北朝方の関東軍との大規模な合戦で、関東における南朝勢
閲覧 380

山梨県南都留郡富士河口湖町と鳴沢村、富士山北西麓に広がる青木ヶ原樹海(あおきがはらじゅかい)は、面積約30平方キロメートルの広大な原生林である。深い緑の樹冠が海原のように連なる景観から「樹海」と呼ばれ、富士箱根伊豆国立公園の一部として国の特別保護地区に指定されている。 樹海の地質は、864年(貞観6年)から866年にかけて発生した富士山の貞観大噴火に由来する。噴火に伴う溶岩流(青木ヶ原溶岩)が、
閲覧 172

万座毛は沖縄県恩納村の海岸に立つ絶景の名所として知られる一方、古くから「崖の縁で人影を見た」「夜間に女性の泣き声が聞こえた」という噂が地元で語り継がれているとされる。太平洋戦争末期、沖縄各地では多くの民間人が追い詰められた末に命を落としたとされており、万座毛周辺もその悲劇と無縁ではなかったという言い伝えが残っている。日没後に崖の縁へ近づいた観光客が「背後から肩を叩かれた気がした」「カメラに白い靄が
閲覧 157

埼玉県久喜市桜田三丁目にある沼井公園は、1985年に当時の北葛飾郡鷲宮町が開設した都市公園で、近隣の東鷲宮ニュータウン開発と同時期に整備されたとされ、園内には洪水対策とされる調節池が広がる。周辺はもともと低湿な土地だったと伝えられ、池には野鳥観察施設やビオトープが整えられ、葦の茂る岸辺が静かな景観を作っている。 この調節池では過去に入水自殺や溺死事故が相次いだとされ、その記憶が公園の噂に重なるよ
閲覧 142

埼玉県飯能市と秩父郡横瀬町の境に位置する正丸峠は、標高636メートル、奥武蔵の主要峠のひとつである。江戸時代から続く秩父往還の難所として、生糸・絹織物の輸送路として、また秩父三十四箇所観音霊場の巡礼路の一部として、長く利用されてきた。 1936年(昭和11年)、自動車交通のための旧道(県道)が開削され、急傾斜と九十九折を多用した山岳道路として整備された。1982年(昭和57年)、現在の国道299
閲覧 142

大阪府八尾市と奈良県生駒郡平群町を結ぶ標高約440メートルの十三峠は、生駒山地南部を越える古道として古代から使われてきた。古事記・日本書紀の記述にもこの周辺の街道が登場し、大和と河内を結ぶ最も古い経路のひとつに数えられている。 峠名の由来は諸説あり、十三塚地蔵(明和2年・1765年建立)の十三体の地蔵尊が並ぶ「十三塚」に由来するという説、十三回ねり歩く修験道の数霊に由来するという説などが伝えられ
閲覧 133
人の営みが途絶えた建物は夏でも空気が冷たい。崩落の危険があるため、立入らず外観に留めること。

近鉄奈良駅から北へ徒歩約25分、般若寺町の高台に、赤煉瓦の正門が見えてくる。正面のロマネスク様式の門は左右対称、両翼に切妻屋根の見張り塔を備え、その奥に放射状の収容棟が広がる。旧奈良監獄、近代日本が建てた最後の五大監獄のひとつである。 設計したのは司法省技師の山下啓次郎、明治末から大正期に活躍した建築家で、ジャズピアニスト山下洋輔の祖父にあたる。山下は欧州の刑務所建築を学んで帰国し、千葉、金沢、
閲覧 405

用賀は江戸時代の宿場町から、戦後の高度経済成長期に首都圏の物流拠点へと急速に変貌した。1969年の東名高速全線開通と1971年の首都高速との接続、同時期の環状八号線整備により、用賀地区は流通ネットワークの要所として位置づけられた。この時期、環状八号線と東名高速インターチェンジ周辺に多数の倉庫・物流施設が集積し、戦後日本の物資流通を支える重要な機能を担った。その後1977年の東急新玉川線(現・田園都
閲覧 359

岡山城下の発展に並行して、江戸時代を通じて複数の処刑場が機能していた。岡山藩の統治下では万成・柳原・宍甘坂・半田坂・川口の五カ所が設置され、特に旭川沿いの万成と柳原が頻繁に使用された。処刑の種類によって施設が分かれており、首切りは柳原で、磔は半田坂で、晒し首は万成に設けられた台上で行われたとされている。 歴史に記された処刑の一例として、1668年の矢田部六人衆がある。日蓮宗の不受不施という教義に
閲覧 289

佐倉城の西方、かつて「八町森」と呼ばれた場所に所在した江戸時代の処刑地。佐倉藩の公開処刑が行われ、高位の武士から平民まで斬首刑に処せられた。1796年(寛政8年)、法華宗の信仰者たちが「南無妙法蓮華経」を刻んだ供養塔を建立して、多くの亡き者を弔った。 この地の歴史が人々に記憶される所以は、単なる処刑場という性質ではなく、日本の医学史に占める独特な役割にある。1843年(天保14年)、佐倉藩医の鏑
閲覧 274

福岡県糟屋郡志免町志免4丁目。平地のただ中に、地上47.6メートルのコンクリート塔が立つ。志免鉱業所竪坑櫓と呼ばれるこの建造物は、現存する塔櫓型立坑では国内最古のもので、2007年に国の重要文化財に指定された。 炭鉱としての歴史は古い。明治22年、海軍が艦艇の燃料を確保するため筑豊炭田の南端に位置するこの地を直営の海軍炭鉱として開発。第二次大戦下の昭和16年から18年にかけて、海軍第四燃料廠が現
閲覧 247

大分県大分市にある旧県立精神病院の建物。精神医療施設として長年運営されていた敷地が、機能の移転と統合を経て一部が使われない状態で現在も残されている。 訪問者からは「なんとなく長居したくない気分になる」という印象が報告されており、地域に関わる人からは「昔からここでは色々な体験談がある」「夜は近づかない方がいい」という話がある。建物の歴史と外観そのものが、訪問者の感覚に影響を与えているようである。
閲覧 183
日本では夏、特に7月下旬からお盆(8月中旬)にかけてが定番です。怪談・百物語の文化に加え、お盆には死者の霊が帰ってくるという言い伝えがあり、心霊スポット巡りが年間で最も盛んになります。
立入禁止区域・私有地には絶対に入らないこと(不法侵入は犯罪です)。夜間は足元と周囲の安全を確保し、単独行動を避け、近隣住民への騒音や路上駐車などの迷惑行為をしないこと。廃墟は崩落や落下物の危険があるため、外観の見学に留めてください。
お盆は「霊が最も近くなる時期」とされ、肝試しが盛り上がる一方で、地域によっては慰霊の場でもあります。慰霊碑や墓地のあるスポットでは騒がず、手を合わせる気持ちで訪れるのがマナーとされています。
当サイトの全国ランキング(閲覧数・恐怖度・体験談数)や、都道府県別・カテゴリ別の一覧から探せます。各スポットページには由来・目撃情報・実際に訪れた人の体験談がまとまっています。
全国ランキング
閲覧数・恐怖度・体験談数で探す
近くの心霊スポットを探す
現在地・都道府県・キーワードから検索