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出雲市の心霊スポット

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出雲大社を核とした神域・霊場の噂が出雲市の心霊スポットの大半を占める。1744年造営の国宝本殿が立つ大社は約60年ごとの式年遷宮を続け、最新は2013年に完了した。裏手の禁足地や、高天原の使者が降り立ったという国譲り神話の舞台とされる稲佐の浜、白兎が海の鰐に騙されたという古事記の伝説を持つ身干山の白兎神社など、いずれも神話と結びついた場所として語られる。日本海沿いには昭和後期以降に廃業した旅館群が点在し、旧大社駅は1912年開業、木造平屋の駅舎が大正期の参詣客で賑わった歴史を今に伝える旧駅舎だ。

出雲市の人気スポット TOP6

1

出雲大社 稲佐の浜

稲佐の浜は出雲大社の西方約1km に位置する遠浅の海岸で、古事記の国譲り神話の舞台とされている。神話では、高天原の使者タケミカヅチが「伊耶佐の小浜」に降り立ち、大国主大神に国の譲渡を迫ったとされ、浜の名は「否(いな)」と「然(さ)」から付いたと伝わる。出雲国風土記の国引き神話にも登場し、古代から神聖な地として信仰されてきた。 旧暦10月(神在月)には、全国から集まった八百万の神々がこの浜に最初に降り立ち、その後出雲大社へ向かうとされている。毎年11月に神迎神事が執行され、聖火が炊かれ神籬が立てられて神々を迎える。浜から出雲大社までの道は「神迎の道」と呼ばれ、古来より神々の通路として重視されてきた。沖合の弁天島には豊玉毘古命が祀られており、遠浅の浜辺と組み合わせた独特の景観が形成されている。長年の波の作用により弁天島は次第に岸に近づき、現在では歩いて到達可能な位置にある。

水辺
2

旧島根廃海辺旅館群

出雲市が日本海沿岸に位置し、古くから出雲大社への参拝地として信仰を集めてきた背景において、観光形態の変化と経営環境の悪化により、昭和期の旅館経営は転換期を迎えた。海岸沿いに点在していた旅館施設の多くが昭和後期以降に廃業し、老朽化が進行する中、当地域の産業史と沿岸生活の記憶が時間とともに風化してきた。ネット上では、これらの廃建物に関する目撃談や怪異報告が散見されるが、具体的な裏付けを欠く。出雲という信仰地と海辺の衰退した宿場という空間的背景が、心理的な畏怖感や興味を生み出す環境として機能していると考えられる。

水辺
3

白兎神社

白兎神社は『古事記』に記される「因幡の白兎」の伝説に由来する神社で、古来より白兔神を主祭神とする信仰の地である。神話では大穴牟遅神(大国主命)が海の鰐に騙された白兎を救い、その後縁結びが成就したと述べられており、この物語は江戸時代の再興以来、地域の人々に語り継がれてきた。 神社は身干山と呼ばれる丘に位置し、その名は白兎が身を乾かした場所と伝えられている。境内には「御身洗池」と呼ばれる池があり、旱天豪雨を問わず水位が変わらないとされる。創建の由緒は明らかでないが、戦国期に焼失した後、慶長年間に戦国大名亀井茲矩により再興され、現本殿は明治期の再建である。皮膚疾患の治癒と特定の人との縁結びに効く神として信仰されており、2010年には「恋人の聖地」に認定された。 古事記の記述が国語教材として広く認識される現代、この神話の舞台を体験できる場所として参拝者に訪れられている。参拝は日中に行うことが推奨される。

神域・霊場
4

かもめ荘

島根県出雲市大社町日御碕、稲佐の浜から日御碕灯台へ向かう県道29号沿いの海際に、かつて宿泊施設が建っていた。1970年に障害者向けの保養施設として建設され、翌1971年に開業。その後、日本海を望む景観を売りに一般向けの宿泊施設へ転用されたが、立地の不便さから利用が伸びず、1970年代後半には休業に至ったとされる。以降40年近くにわたり手入れされないまま放置され、地上2階・地下1階のコンクリート建物は風雨にさらされて荒廃した。廊下の奥にある頑丈な扉は錠と蝶番が錆びついて開かないままになっており、「開かずの扉」として恐れられた。内部を調べた記録では、冷蔵設備の跡とみられる機械が残るのみだったという。著名な霊能力者がこの建物を訪れ、あまりに多くの霊の存在を感じて除霊を断念し立ち去ったという話も広まり、テレビ番組で取り上げられたことで知名度が上がった。肝試し目的の来訪者が後を絶たず敷地内への立ち入りが問題化したため、2021年秋から解体工事が進められ、2022年2月に建物は完全に撤去された。跡地は現在グランピング施設として整備されている。

宿泊・居住跡
5

出雲大社跡の怪奇現象

島根県出雲市に鎮座する出雲大社は、大国主神を祀る古社で、社伝では国譲り神話に由来する。現在の国宝本殿は1744年に造営され、高さ約24メートルの大社造様式を特徴とする。約60年ごとの式年遷宮を続け、最新は2013年に完了した。旧暦10月には全国の神々が集う神在月として知られ、神在祭が執り行われる。 参道は木々に囲まれた下り坂で、全国的に珍しい設計。四つの鳥居を通って進むことで、段階的に神聖性が高まる空間構成となっている。参拝作法も二礼四拍手一礼と独特である。 参拝者が周囲の音が遠のくように感じたり、参道で雰囲気の変化を感知したりする体験は、多くの神社参拝に共通する心理的反応である。古代から継続する信仰空間の重みと、建築的に設計された段階的神聖化が、参拝者の内省や体験の質を高めることが要因と考えられる。

神域・霊場
6

出雲大社の禁足地の怪

出雲大社は島根県出雲市に鎮座する大国主大神を祀る古社で、現在の本殿は1744年の造営にあたる。本殿は「大社造」と呼ばれる日本最古の神社建築様式であり、高さ約24メートルの破格の規模を持つ。祭祀の中核は、神在月(旧暦10月)に全国の八百万の神々が出雲に集い、縁結びの神議を行うとされる神迎祭・神在祭にある。 本殿の後背には八雲山が聳え立ち、この一帯は古来より人の立ち入りが厳しく制限されてきた禁足地となっている。素鵞社は本殿直後の唯一の摂社として、八雲山の岩肌を背にして鎮座する。八雲山そのものが御神体、もしくは磐座(いわくら)を有する聖域と考えられており、神職であっても立ち入ることが許されない最高レベルの禁忌が守られている。本殿は玉垣・瑞垣・荒垣の三重の垣根に厳重に守護された構造であり、大社の空間全体が段階的な聖域指定によって構成されている。 この厳格な禁足領域が存在することは、出雲大社の信仰基盤そのものを示している。神域はそのものが祭祀の対象であり、人間による「見学」や「侵入」ではなく、祈りの場として機能することが本質である。

その他

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出雲市のすべてのスポット

出雲大社 稲佐の浜
島根県 出雲市·水辺

出雲大社 稲佐の浜

稲佐の浜は出雲大社の西方約1km に位置する遠浅の海岸で、古事記の国譲り神話の舞台とされている。神話では、高天原の使者タケミカヅチが「伊耶佐の小浜」に降り立ち、大国主大神に国の譲渡を迫ったとされ、浜の名は「否(いな)」と「然(さ)」から付いたと伝わる。出雲国風土記の国引き神話にも登場し、古代から神聖な地として信仰されてきた。 旧暦10月(神在月)には、全国から集まった八百万の神々がこの浜に最初に降り立ち、その後出雲大社へ向かうとされている。毎年11月に神迎神事が執行され、聖火が炊かれ神籬が立てられて神々を迎える。浜から出雲大社までの道は「神迎の道」と呼ばれ、古来より神々の通路として重視されてきた。沖合の弁天島には豊玉毘古命が祀られており、遠浅の浜辺と組み合わせた独特の景観が形成されている。長年の波の作用により弁天島は次第に岸に近づき、現在では歩いて到達可能な位置にある。

旧島根廃海辺旅館群
島根県 出雲市·水辺

旧島根廃海辺旅館群

出雲市が日本海沿岸に位置し、古くから出雲大社への参拝地として信仰を集めてきた背景において、観光形態の変化と経営環境の悪化により、昭和期の旅館経営は転換期を迎えた。海岸沿いに点在していた旅館施設の多くが昭和後期以降に廃業し、老朽化が進行する中、当地域の産業史と沿岸生活の記憶が時間とともに風化してきた。ネット上では、これらの廃建物に関する目撃談や怪異報告が散見されるが、具体的な裏付けを欠く。出雲という信仰地と海辺の衰退した宿場という空間的背景が、心理的な畏怖感や興味を生み出す環境として機能していると考えられる。

白兎神社
島根県 出雲市·神域・霊場

白兎神社

白兎神社は『古事記』に記される「因幡の白兎」の伝説に由来する神社で、古来より白兔神を主祭神とする信仰の地である。神話では大穴牟遅神(大国主命)が海の鰐に騙された白兎を救い、その後縁結びが成就したと述べられており、この物語は江戸時代の再興以来、地域の人々に語り継がれてきた。 神社は身干山と呼ばれる丘に位置し、その名は白兎が身を乾かした場所と伝えられている。境内には「御身洗池」と呼ばれる池があり、旱天豪雨を問わず水位が変わらないとされる。創建の由緒は明らかでないが、戦国期に焼失した後、慶長年間に戦国大名亀井茲矩により再興され、現本殿は明治期の再建である。皮膚疾患の治癒と特定の人との縁結びに効く神として信仰されており、2010年には「恋人の聖地」に認定された。 古事記の記述が国語教材として広く認識される現代、この神話の舞台を体験できる場所として参拝者に訪れられている。参拝は日中に行うことが推奨される。

かもめ荘
島根県 出雲市·宿泊・居住跡

かもめ荘

島根県出雲市大社町日御碕、稲佐の浜から日御碕灯台へ向かう県道29号沿いの海際に、かつて宿泊施設が建っていた。1970年に障害者向けの保養施設として建設され、翌1971年に開業。その後、日本海を望む景観を売りに一般向けの宿泊施設へ転用されたが、立地の不便さから利用が伸びず、1970年代後半には休業に至ったとされる。以降40年近くにわたり手入れされないまま放置され、地上2階・地下1階のコンクリート建物は風雨にさらされて荒廃した。廊下の奥にある頑丈な扉は錠と蝶番が錆びついて開かないままになっており、「開かずの扉」として恐れられた。内部を調べた記録では、冷蔵設備の跡とみられる機械が残るのみだったという。著名な霊能力者がこの建物を訪れ、あまりに多くの霊の存在を感じて除霊を断念し立ち去ったという話も広まり、テレビ番組で取り上げられたことで知名度が上がった。肝試し目的の来訪者が後を絶たず敷地内への立ち入りが問題化したため、2021年秋から解体工事が進められ、2022年2月に建物は完全に撤去された。跡地は現在グランピング施設として整備されている。

出雲大社跡の怪奇現象
島根県 出雲市·神域・霊場

出雲大社跡の怪奇現象

島根県出雲市に鎮座する出雲大社は、大国主神を祀る古社で、社伝では国譲り神話に由来する。現在の国宝本殿は1744年に造営され、高さ約24メートルの大社造様式を特徴とする。約60年ごとの式年遷宮を続け、最新は2013年に完了した。旧暦10月には全国の神々が集う神在月として知られ、神在祭が執り行われる。 参道は木々に囲まれた下り坂で、全国的に珍しい設計。四つの鳥居を通って進むことで、段階的に神聖性が高まる空間構成となっている。参拝作法も二礼四拍手一礼と独特である。 参拝者が周囲の音が遠のくように感じたり、参道で雰囲気の変化を感知したりする体験は、多くの神社参拝に共通する心理的反応である。古代から継続する信仰空間の重みと、建築的に設計された段階的神聖化が、参拝者の内省や体験の質を高めることが要因と考えられる。

出雲大社の禁足地の怪
島根県 出雲市·その他

出雲大社の禁足地の怪

出雲大社は島根県出雲市に鎮座する大国主大神を祀る古社で、現在の本殿は1744年の造営にあたる。本殿は「大社造」と呼ばれる日本最古の神社建築様式であり、高さ約24メートルの破格の規模を持つ。祭祀の中核は、神在月(旧暦10月)に全国の八百万の神々が出雲に集い、縁結びの神議を行うとされる神迎祭・神在祭にある。 本殿の後背には八雲山が聳え立ち、この一帯は古来より人の立ち入りが厳しく制限されてきた禁足地となっている。素鵞社は本殿直後の唯一の摂社として、八雲山の岩肌を背にして鎮座する。八雲山そのものが御神体、もしくは磐座(いわくら)を有する聖域と考えられており、神職であっても立ち入ることが許されない最高レベルの禁忌が守られている。本殿は玉垣・瑞垣・荒垣の三重の垣根に厳重に守護された構造であり、大社の空間全体が段階的な聖域指定によって構成されている。 この厳格な禁足領域が存在することは、出雲大社の信仰基盤そのものを示している。神域はそのものが祭祀の対象であり、人間による「見学」や「侵入」ではなく、祈りの場として機能することが本質である。