島根県

松江市の心霊スポット

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松江市の人気スポット TOP3

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嫁ヶ島(宍道湖)

宍道湖の東岸から約200メートル沖に浮かぶ無人島、嫁ヶ島。周囲約240メートル、最高標高4メートルほどの小さな島で、約1200万年前に噴出した玄武岩の溶岩からなる。奈良時代の『出雲国風土記』には「蚊島」として記録され、後に現在の名で呼ばれるようになった。名の由来として伝わるのは、姑にいじめられていた若い嫁が冬の夜に家を出て、氷の張った湖を渡り実家へ戻ろうとしたところ氷が割れて湖に沈んでしまい、これを哀れんだ水神が一夜のうちに島を湖面に浮かび上がらせ、嫁の遺体を引き上げたという話である。島の弁財天を祀る祠は1611年に建てられ、湖畔には水難で亡くなった人々を供養する地蔵も置かれている。こうした歴史を背景に、湖面に白い服の女性の姿が浮かび上がり、やがて沈むように消えていったという話や、子を抱いた女性の姿が見えたという話、漁の最中に背中を叩かれて振り返ると白い靄が漂っていたという話などが、心霊にまつわる噂として語り継がれている。

水辺
2

旧島根県庁旧本館

松江市の島根県庁舎が建つ一帯は、明治期から県政の中枢が置かれてきた場所である。明治42年に竣工した洋風の庁舎は、昭和20年8月24日のいわゆる県庁焼討事件で全焼し、その後再建された庁舎も昭和31年12月13日の火災で大半を焼失したと記録されている。現在の本庁舎は昭和34年に、島根県出身の建築家・安田臣の設計で完成した鉄筋コンクリート造で、地方のモダニズム建築を代表する庁舎として令和元年に国の登録有形文化財となり、現役の県庁舎として使われている。「旧本館」を廃墟とみなす説明が流布するが、実際には建て替えを重ねながら県政機能が引き継がれてきた場所であり、廃墟や心霊スポットとしての由来を裏づける確かな史料は確認できない。夜に窓へ光が灯るといった話がネット上で断片的に触れられることはあるものの、その出所ははっきりしない。

廃墟・残骸
3

一畑電車 矢上鉄橋

島根県松江市の一畑電車北松江線は、大正末期から昭和初期の1914年から1928年にかけて段階的に開業した私鉄路線である。出雲大社参詣輸送を主な目的として敷設され、宍道湖の北岸を長く走る現在の路線は、地形的にも歴史的にも複雑な水辺空間を横断している。宍道湖周辺は平野が広がる地域だが、水準点の変動が大きく、特に昭和47年(1972年)7月の豪雨災害では堤防決壊により湖岸部の一帯が甚大な被害を受けた。こうした水害と地形の特性を背景に、当地域では列車運行に伴う事故や水難に関する語り部の伝承が長く引き継がれてきた。

橋・高架

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嫁ヶ島(宍道湖)
水辺·島根県 松江市

嫁ヶ島(宍道湖)

宍道湖の東岸から約200メートル沖に浮かぶ無人島、嫁ヶ島。周囲約240メートル、最高標高4メートルほどの小さな島で、約1200万年前に噴出した玄武岩の溶岩からなる。奈良時代の『出雲国風土記』には「蚊島」として記録され、後に現在の名で呼ばれるようになった。名の由来として伝わるのは、姑にいじめられていた若い嫁が冬の夜に家を出て、氷の張った湖を渡り実家へ戻ろうとしたところ氷が割れて湖に沈んでしまい、これを哀れんだ水神が一夜のうちに島を湖面に浮かび上がらせ、嫁の遺体を引き上げたという話である。島の弁財天を祀る祠は1611年に建てられ、湖畔には水難で亡くなった人々を供養する地蔵も置かれている。こうした歴史を背景に、湖面に白い服の女性の姿が浮かび上がり、やがて沈むように消えていったという話や、子を抱いた女性の姿が見えたという話、漁の最中に背中を叩かれて振り返ると白い靄が漂っていたという話などが、心霊にまつわる噂として語り継がれている。

旧島根県庁旧本館
廃墟・残骸·島根県 松江市

旧島根県庁旧本館

松江市の島根県庁舎が建つ一帯は、明治期から県政の中枢が置かれてきた場所である。明治42年に竣工した洋風の庁舎は、昭和20年8月24日のいわゆる県庁焼討事件で全焼し、その後再建された庁舎も昭和31年12月13日の火災で大半を焼失したと記録されている。現在の本庁舎は昭和34年に、島根県出身の建築家・安田臣の設計で完成した鉄筋コンクリート造で、地方のモダニズム建築を代表する庁舎として令和元年に国の登録有形文化財となり、現役の県庁舎として使われている。「旧本館」を廃墟とみなす説明が流布するが、実際には建て替えを重ねながら県政機能が引き継がれてきた場所であり、廃墟や心霊スポットとしての由来を裏づける確かな史料は確認できない。夜に窓へ光が灯るといった話がネット上で断片的に触れられることはあるものの、その出所ははっきりしない。

一畑電車 矢上鉄橋
橋・高架·島根県 松江市

一畑電車 矢上鉄橋

島根県松江市の一畑電車北松江線は、大正末期から昭和初期の1914年から1928年にかけて段階的に開業した私鉄路線である。出雲大社参詣輸送を主な目的として敷設され、宍道湖の北岸を長く走る現在の路線は、地形的にも歴史的にも複雑な水辺空間を横断している。宍道湖周辺は平野が広がる地域だが、水準点の変動が大きく、特に昭和47年(1972年)7月の豪雨災害では堤防決壊により湖岸部の一帯が甚大な被害を受けた。こうした水害と地形の特性を背景に、当地域では列車運行に伴う事故や水難に関する語り部の伝承が長く引き継がれてきた。