
平将門首塚
東京都千代田区大手町1丁目、三井物産本社ビルの北東に約20平方メートルの空地がある。中央に石碑と祠が置かれたこの一画が、平将門の首塚と呼ばれる場所である。日本一の地価を誇るオフィス街の中で、ここだけが千年を超えて開発から取り残されてきた。 将門は10世紀前半に関東で勢力を伸ばし、新皇を称して京の朝廷に反旗をひるがえした武将である。940年(天慶3年)、藤原秀郷と平貞盛の連合軍に討たれ、首は京都に運ばれて晒された。その首が三日後に東国へ向けて飛び去ったという伝承が、各地の将門伝説の起点となっている。神田明神(千代田区外神田)に祀られたほか、武蔵国豊島郡芝崎村と呼ばれていた現在の大手町の地が、首の落ちた場所として伝承された。 1923年の関東大震災で大蔵省仮庁舎が建てられることになり、塚の取り壊しが計画された。工事関係者の事故死や急病が続発したため計画は中止され、塚は保存された。戦後の1940年代後半、進駐軍が同地に駐車場を整備しようとブルドーザーを入れた際にも事故が起きたと伝えられる。これらの逸話は当時の新聞や、戦後に出版された大手町・神田一帯の郷土史の中でも複数の文献に断片的に記録されている。 戦後、塚の管理は地元の保存会と周辺企業によって続けられた。2021年から2年にわたって行われた整備工事の前後にも、関係者が儀礼として神田明神の神職を招き、塚の前で祭儀を行っている。「首塚に背を向けてデスクを置かない」というオフィス街の慣習についてはしばしば紹介されるが、これも厳密に守られているわけではない、と関係者の証言は分かれる。 将門は神田明神の祭神として現在も信仰の対象であり、年に一度の神田祭は東京三大祭のひとつに数えられる。大手町の首塚も観光地として知られ、外国人観光客の姿も多い。怨霊か、地域の英雄か。受け取り方は人によって異なるが、千年を超えて開発から守られてきたこの土地そのものが、日本の都市と歴史の関係を考えるうえで稀有な事例であることは間違いない。



