
稲城市旧採掘跡地の怪火
稲城市を含む多摩川中流域では、明治中期から昭和40年まで、道路・鉄道用バラスト、コンクリート骨材、建築用石材として、大規模な砂利・石材採掘が行われた。特に関東大震災後の大正12年(1923年)から昭和初期にかけ、復興需要で採掘量は急増し、稲城周辺は採掘の最盛地となった。明治時代は人力によるジョレン作業が中心だったが、大正末期から大型掘削機や機械船が導入され、採掘現場の規模は飛躍的に拡大した。昭和39年に青梅市までの商業採掘が全面禁止され、昭和40年に多摩川全域での採掘が終了するまで、約70年間にわたり労働が続いた。 現在、丘陵地の採掘跡地には、崖面に掘削痕が残り、かつての鉄索道の支柱や石段が苔に覆われた状態で存在している。夜間にこれらの跡地を遠方から眺めると、岩肌に青白い光がぽつりと現れて消えるという現象が報告されている。この発光は、採掘による地盤露出部に含まれるリン成分や有機物の酸化、あるいは光の屈折など、自然現象に基づく可能性が指摘されている。地元では「怪火」と呼ぶ習慣が続いており、採掘作業で命を落とした労働者を追悼する小塚や祠に手向けをする風習がいまなお保たれている。 旧採石場跡は崖崩れ・転落の危険が極めて高く、立入禁止が示された区域へ踏み込むことは厳に避けねばならない。
