
燈明堂(浦賀燈明堂)
横須賀市浦賀の岬に建つ燈明堂は、江戸幕府の命により慶安元年(1648)に築かれた和式灯台で、浦賀水道を行く船の安全を支え明治5年(1872)まで灯りをともし続けた。堂の周辺には浦賀奉行所の処刑場が置かれ、罪人の首が落とされる場所であったと伝わるが、この由来を裏付ける江戸期の公的な記録は見つかっておらず、真偽は定かでないとの指摘もある。処刑の際に上がった悲鳴や遺族の泣き声は、対岸の鴨居まで届いたという逸話が残る。幕末期には周辺から多量の人骨が発掘され、合戦の犠牲者や難破船の遭難者のものとする説も唱えられてきた。供養のため天保11年(1840)に高さ約6メートルの題目碑と地蔵菩薩像が建立された。燈明堂跡は現在、横須賀風物百選の一つにも選ばれている。灯台は昭和末期に復元され公園として整備されたが、日没後に訪れた人からは首を失った人影の目撃、悲鳴のような声、オーブの浮遊、周囲の空気が急に冷え込む感覚などが報告されている。心霊系のまとめサイトでは、これらに加えて女性の声とみられる音声が録音されたとする報告や、訪れた者が脇腹や太腿に痛みを覚えたと訴える体験も紹介されており、目撃談の内容は年々細かく語られるようになっている。日中は海水浴や散策に訪れる人もいる穴場として親しまれる一方、こうした噂から日没後の訪問は避けたほうがよいとする声がネット上では多く見られる。




