米子城跡
米子城跡は鳥取県米子市の湊山にある城跡で、文明2年(1470年)に山名氏が築城したとされる。戦国時代の永禄12年(1569年)には、尼子氏再興を目指す動きに関わった城主・山名之玄が毛利方の吉川元春に攻められて落城し、自害したと伝わる。江戸時代初頭には吉川広家、続いて中村一忠が城を完成させて米子藩の藩庁となったが、明治4年(1871年)の廃城令により取り壊された。現在は湊山公園として整備され、国指定史跡になっている。この城には築城時、石垣の工事が大雨で何度も崩れて難航したため、盆踊りの輪の中から若い娘「お久米」が連れ去られ、人柱として石垣に埋められたとの言い伝えがある。以来、天守跡付近では白い着物姿の女性の姿が目撃されたり、近づくと消え去る間際に「助けて」と囁く声が聞かれるという話が伝わっている。また落城の際に討ち死にした武者たちの霊とされる甲冑姿の行列や、進軍時の足音・甲冑の音が夜間に響くとの噂も語られている。
