鳥取県

東伯郡琴浦町の心霊スポット

2 スポット2 カテゴリ

東伯郡琴浦町の人気スポット TOP2

1

船上山

鳥取県東伯郡琴浦町にある標高687メートルの山。1333年、隠岐を脱出した後醍醐天皇を名和長年が迎え入れ、鎌倉幕府軍との間で船上山の戦いが繰り広げられた古戦場である。幕府軍は夕刻に発生した暴風雨による混乱のなかで名和軍の襲撃を受け、多数の兵が断崖から転落したとされる。山上には後醍醐天皇の行宮跡や船上神社があり、麓には県立船上山少年自然の家が設けられている。この一帯では、甲冑姿の武士の霊や生首が霧の中に浮かぶという噂が古くから伝わる。登山道を外れた斜面から足音が聞こえたという証言や、山中で佇む人影に声をかけても返事がなく霧の中に消えたという証言も伝えられている。少年自然の家では夜間に木々の間に苦悶の表情を浮かべた落ち武者の生首が浮かんで見えたという話があり、霊感の強い人ほど目撃しやすいとも言われる。館内には近づいてはいけないとされる一室があり、以前は御札が貼られていたとの情報や、深夜に低い話し声やドアを叩くような音が聞こえるという報告もある。学校行事で宿泊した際に夜中に太鼓や笛の音を耳にしたという証言も残るが、同じ部屋にいても聞こえた者と聞こえなかった者がいたとされる。こうした噂は複数の心霊スポット紹介サイトで繰り返し取り上げられており、鳥取県内でも古くから知られる心霊スポットの一つとなっている。

山道・峠
2

花見潟墓地

花見潟墓地は鳥取県琴浦町の海岸沿いに広がる自然発生型の墓地で、東西約350メートルにわたり約2万基の墓石が並ぶ、海に面した墓地としては西日本最大級の規模を持つ。起源は明確でないが中世後期以降に形成されたとみられ、地域の人々によって維持管理されてきたと考えられている。敷地内には鎌倉時代末期の石造宝塔「赤碕塔」があり、平安期の陰陽師・安倍晴明と蘆屋道満の供養塔と伝わる。元禄7年(1694)の地誌「伯陽六社道乃記」に「晴明たうまん」、安永2年(1772)の「伯路記」にも「安倍道満晴明ノ墓アリ」と記され、江戸期から同じ伝承が繰り返し記録されてきたことがうかがえる。1891年には新婚旅行中に琴浦町を訪れていた作家・小泉八雲がこの墓地に立ち寄り、著作の中で人力車で墓石の間を抜けるのに15分ほどかかったと述べ、「霊気を感じた」との印象を記している。心霊スポットとしては、丑三つ時にこの墓地を訪れると、何かを探す様子の老婆の霊に遭遇し、その後よくないことが起こるという噂が知られている。具体的な被害の記録や噂の発生時期は確認されていない。現在も盆の時期には迎え火が灯される風習が続き、コロナ禍で参拝者が減った年にもこの行事は続けられたと報じられており、テレビ番組で紹介されるなど観光地としての側面も併せ持つ。

神域・霊場

カテゴリ

東伯郡琴浦町のすべてのスポット

船上山
鳥取県 東伯郡琴浦町·山道・峠

船上山

鳥取県東伯郡琴浦町にある標高687メートルの山。1333年、隠岐を脱出した後醍醐天皇を名和長年が迎え入れ、鎌倉幕府軍との間で船上山の戦いが繰り広げられた古戦場である。幕府軍は夕刻に発生した暴風雨による混乱のなかで名和軍の襲撃を受け、多数の兵が断崖から転落したとされる。山上には後醍醐天皇の行宮跡や船上神社があり、麓には県立船上山少年自然の家が設けられている。この一帯では、甲冑姿の武士の霊や生首が霧の中に浮かぶという噂が古くから伝わる。登山道を外れた斜面から足音が聞こえたという証言や、山中で佇む人影に声をかけても返事がなく霧の中に消えたという証言も伝えられている。少年自然の家では夜間に木々の間に苦悶の表情を浮かべた落ち武者の生首が浮かんで見えたという話があり、霊感の強い人ほど目撃しやすいとも言われる。館内には近づいてはいけないとされる一室があり、以前は御札が貼られていたとの情報や、深夜に低い話し声やドアを叩くような音が聞こえるという報告もある。学校行事で宿泊した際に夜中に太鼓や笛の音を耳にしたという証言も残るが、同じ部屋にいても聞こえた者と聞こえなかった者がいたとされる。こうした噂は複数の心霊スポット紹介サイトで繰り返し取り上げられており、鳥取県内でも古くから知られる心霊スポットの一つとなっている。

花見潟墓地
鳥取県 東伯郡琴浦町·神域・霊場

花見潟墓地

花見潟墓地は鳥取県琴浦町の海岸沿いに広がる自然発生型の墓地で、東西約350メートルにわたり約2万基の墓石が並ぶ、海に面した墓地としては西日本最大級の規模を持つ。起源は明確でないが中世後期以降に形成されたとみられ、地域の人々によって維持管理されてきたと考えられている。敷地内には鎌倉時代末期の石造宝塔「赤碕塔」があり、平安期の陰陽師・安倍晴明と蘆屋道満の供養塔と伝わる。元禄7年(1694)の地誌「伯陽六社道乃記」に「晴明たうまん」、安永2年(1772)の「伯路記」にも「安倍道満晴明ノ墓アリ」と記され、江戸期から同じ伝承が繰り返し記録されてきたことがうかがえる。1891年には新婚旅行中に琴浦町を訪れていた作家・小泉八雲がこの墓地に立ち寄り、著作の中で人力車で墓石の間を抜けるのに15分ほどかかったと述べ、「霊気を感じた」との印象を記している。心霊スポットとしては、丑三つ時にこの墓地を訪れると、何かを探す様子の老婆の霊に遭遇し、その後よくないことが起こるという噂が知られている。具体的な被害の記録や噂の発生時期は確認されていない。現在も盆の時期には迎え火が灯される風習が続き、コロナ禍で参拝者が減った年にもこの行事は続けられたと報じられており、テレビ番組で紹介されるなど観光地としての側面も併せ持つ。