山梨県

甲州市の心霊スポット

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甲州市の人気スポット TOP4

1

旧笹子トンネル

山梨県大月市と甲州市の境、標高1,096メートルの笹子峠の直下に、旧笹子トンネルは穿たれている。1938年(昭和13年)開通、全長239メートル、当時の国道8号(現国道20号、甲州街道)の改良工事の一環として建設された。 甲州街道の笹子峠は江戸期から「箱根八里より険しい」と評された難所で、馬車や荷車の通行には大きな障害だった。明治期から大正期にかけて改良工事が断続的に行われたが、決定的な改善は昭和初期のトンネル開通を待つことになる。当時の内務省土木局の指揮の下、両坑門は鉄筋コンクリート造で堂々たる装飾を施し、柱形と帯石、上部の蛇腹状装飾が施された。近代土木の美意識が色濃く表れた構造物として、土木学会の選奨土木遺産にも選定されている。 1958年(昭和33年)、より低い標高に新笹子隧道(中央自動車道の前身となる新道)が開通すると、旧笹子トンネルは国道指定を外れて山梨県道212号の一部となった。利用者の減少に伴って植生が両坑口周辺を覆い、トンネル内部も湿度が高く苔の生育が目立つようになった。 1997年(平成9年)、笹子隧道は国の登録有形文化財に登録された。建造から半世紀以上が経過した昭和初期土木構造物としての価値が認められた形である。トンネル自体は現在も通行可能だが、車道幅員が狭く照明設備がないため、夜間の通行は推奨されていない。 注意点として、2012年12月に中央自動車道の現役トンネル「笹子トンネル」で天井板崩落事故が発生しているが、これは旧笹子トンネルではなく、中央自動車道上り線の別構造物である。当時のメディア報道で混同が見られたが、両者は別の場所に位置する別のトンネルである。

隧道・トンネル
2

大日影トンネル

山梨県甲州市勝沼、ぶどう畑の広がる丘陵を貫く旧国鉄中央本線の煉瓦造りトンネル。1903年(明治36年)に開通し、急勾配の難所として長く列車を通してきたが、新線への切り替えにより1997年に役目を終えた。その後は遊歩道として整備された時期もあったが、老朽化のため立ち入りが制限され、ひんやりと暗い廃隧道として、心霊スポットとしても語られるようになった。全長は約1.3kmあり、内部に入ると外の光がまったく届かなくなる区間が長く続くため、わずかな物音や気配さえ増幅され、ひとりで歩くには勇気のいる場所だと言われる。 トンネルの内部では、出口の光が遠ざかる中ほどで人の気配を感じた、誰も歩いていないのに足音が反響してついてきた、壁の煉瓦に手をついた瞬間に強い寒気を覚えた、といった体験談が伝わる。百年以上にわたって列車と人を見送ってきた長い隧道の闇と、染み出す湧水の冷たさが、こうした語りを支えている。勝沼側と深沢側を結ぶこのトンネルは夏でもひやりと冷たく、暑い季節の肝試しスポットとしても語られてきた。 難工事の歴史を持つトンネルだけに、地元では建設や運行に携わった人々への敬意が受け継がれており、遺構を荒らす行為は戒められている。 トンネル内は照明や換気が乏しく、足元も悪い。立ち入りが制限されている区間も多く、無断での進入は事故や法令違反につながる。訪れる際は公開状況を確認し、開放された範囲と時間を必ず守ること。

隧道・トンネル
3

大菩薩峠

大菩薩峠は山梨県甲州市と小菅村の境に位置する標高1897メートルの峠で、江戸時代には青梅街道の主要な峠道として人や物資が行き交った。明治期に柳沢峠経由の道が整備されると通行量は減り、以後は登山道として利用されるようになった。この峠を全国に知らしめたのは中里介山が1913年から30年近くにわたり連載した未完の大河小説『大菩薩峠』で、物語の冒頭、主人公の剣士が峠で年老いた巡礼者を理由もなく斬り殺す場面が描かれている。1969年には共産主義者同盟赤軍派のメンバー数十名が峠近くの山小屋に集まり武装訓練を行っていたとして一斉検挙される事件も起きた。整備された現在も濃霧や急な天候変化により道に迷う登山者が後を絶たないとされ、この峠は「死の峠」とも呼ばれる。心霊スポットとしては、遭難して命を落とした人々の霊が目撃されるとする説が広く紹介されており、男性とみられる人影や正体不明の霊についての報告が多く見られる一方、霧の中で見知らぬ人物に付いていきそうになったという体験も伝えられている。

山道・峠
4

花魁淵

山梨県甲州市、国道411号旧道沿いで柳沢川に架かる淵は「花魁淵」と呼ばれ、通称は銚子滝である。伝承によれば、戦国時代末期に武田氏が滅亡した際、武田家が秘匿していた黒川金山の情報漏洩を防ぐため、金山奉行の指示で鉱山に仕えていた遊女55人が酒宴に招かれ、藤蔓で吊り上げた宴台の上で舞を披露させられた末に蔓を切られ、宴台とともに淵へ沈められて命を落としたとされる。この出来事が地名の由来と伝えられ、後年には慰霊のための堂(おいらん堂)が建立された。黒川金山は戦国期から江戸初期にかけて実在した金山で、武田家の軍資金を支えたと伝統的に語られている遺跡である(近年の研究では武田氏による直接経営には疑問も呈されている)。現在この一帯は土砂崩れが頻発する地形であることから2011年にバイパス道路が整備され、旧道は通行止めとなり現地への到達は難しい状態が続く。こうした経緯もあって、水面に女性の姿が浮かぶ、撮影した写真に異変が生じるといった噂がさまざまなメディアで紹介され、県内でも知られた場所として扱われている。

水辺

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旧笹子トンネル
山梨県 甲州市·隧道・トンネル

旧笹子トンネル

山梨県大月市と甲州市の境、標高1,096メートルの笹子峠の直下に、旧笹子トンネルは穿たれている。1938年(昭和13年)開通、全長239メートル、当時の国道8号(現国道20号、甲州街道)の改良工事の一環として建設された。 甲州街道の笹子峠は江戸期から「箱根八里より険しい」と評された難所で、馬車や荷車の通行には大きな障害だった。明治期から大正期にかけて改良工事が断続的に行われたが、決定的な改善は昭和初期のトンネル開通を待つことになる。当時の内務省土木局の指揮の下、両坑門は鉄筋コンクリート造で堂々たる装飾を施し、柱形と帯石、上部の蛇腹状装飾が施された。近代土木の美意識が色濃く表れた構造物として、土木学会の選奨土木遺産にも選定されている。 1958年(昭和33年)、より低い標高に新笹子隧道(中央自動車道の前身となる新道)が開通すると、旧笹子トンネルは国道指定を外れて山梨県道212号の一部となった。利用者の減少に伴って植生が両坑口周辺を覆い、トンネル内部も湿度が高く苔の生育が目立つようになった。 1997年(平成9年)、笹子隧道は国の登録有形文化財に登録された。建造から半世紀以上が経過した昭和初期土木構造物としての価値が認められた形である。トンネル自体は現在も通行可能だが、車道幅員が狭く照明設備がないため、夜間の通行は推奨されていない。 注意点として、2012年12月に中央自動車道の現役トンネル「笹子トンネル」で天井板崩落事故が発生しているが、これは旧笹子トンネルではなく、中央自動車道上り線の別構造物である。当時のメディア報道で混同が見られたが、両者は別の場所に位置する別のトンネルである。

大日影トンネル
山梨県 甲州市·隧道・トンネル

大日影トンネル

山梨県甲州市勝沼、ぶどう畑の広がる丘陵を貫く旧国鉄中央本線の煉瓦造りトンネル。1903年(明治36年)に開通し、急勾配の難所として長く列車を通してきたが、新線への切り替えにより1997年に役目を終えた。その後は遊歩道として整備された時期もあったが、老朽化のため立ち入りが制限され、ひんやりと暗い廃隧道として、心霊スポットとしても語られるようになった。全長は約1.3kmあり、内部に入ると外の光がまったく届かなくなる区間が長く続くため、わずかな物音や気配さえ増幅され、ひとりで歩くには勇気のいる場所だと言われる。 トンネルの内部では、出口の光が遠ざかる中ほどで人の気配を感じた、誰も歩いていないのに足音が反響してついてきた、壁の煉瓦に手をついた瞬間に強い寒気を覚えた、といった体験談が伝わる。百年以上にわたって列車と人を見送ってきた長い隧道の闇と、染み出す湧水の冷たさが、こうした語りを支えている。勝沼側と深沢側を結ぶこのトンネルは夏でもひやりと冷たく、暑い季節の肝試しスポットとしても語られてきた。 難工事の歴史を持つトンネルだけに、地元では建設や運行に携わった人々への敬意が受け継がれており、遺構を荒らす行為は戒められている。 トンネル内は照明や換気が乏しく、足元も悪い。立ち入りが制限されている区間も多く、無断での進入は事故や法令違反につながる。訪れる際は公開状況を確認し、開放された範囲と時間を必ず守ること。

大菩薩峠
山梨県 甲州市·山道・峠

大菩薩峠

大菩薩峠は山梨県甲州市と小菅村の境に位置する標高1897メートルの峠で、江戸時代には青梅街道の主要な峠道として人や物資が行き交った。明治期に柳沢峠経由の道が整備されると通行量は減り、以後は登山道として利用されるようになった。この峠を全国に知らしめたのは中里介山が1913年から30年近くにわたり連載した未完の大河小説『大菩薩峠』で、物語の冒頭、主人公の剣士が峠で年老いた巡礼者を理由もなく斬り殺す場面が描かれている。1969年には共産主義者同盟赤軍派のメンバー数十名が峠近くの山小屋に集まり武装訓練を行っていたとして一斉検挙される事件も起きた。整備された現在も濃霧や急な天候変化により道に迷う登山者が後を絶たないとされ、この峠は「死の峠」とも呼ばれる。心霊スポットとしては、遭難して命を落とした人々の霊が目撃されるとする説が広く紹介されており、男性とみられる人影や正体不明の霊についての報告が多く見られる一方、霧の中で見知らぬ人物に付いていきそうになったという体験も伝えられている。

花魁淵
山梨県 甲州市·水辺

花魁淵

山梨県甲州市、国道411号旧道沿いで柳沢川に架かる淵は「花魁淵」と呼ばれ、通称は銚子滝である。伝承によれば、戦国時代末期に武田氏が滅亡した際、武田家が秘匿していた黒川金山の情報漏洩を防ぐため、金山奉行の指示で鉱山に仕えていた遊女55人が酒宴に招かれ、藤蔓で吊り上げた宴台の上で舞を披露させられた末に蔓を切られ、宴台とともに淵へ沈められて命を落としたとされる。この出来事が地名の由来と伝えられ、後年には慰霊のための堂(おいらん堂)が建立された。黒川金山は戦国期から江戸初期にかけて実在した金山で、武田家の軍資金を支えたと伝統的に語られている遺跡である(近年の研究では武田氏による直接経営には疑問も呈されている)。現在この一帯は土砂崩れが頻発する地形であることから2011年にバイパス道路が整備され、旧道は通行止めとなり現地への到達は難しい状態が続く。こうした経緯もあって、水面に女性の姿が浮かぶ、撮影した写真に異変が生じるといった噂がさまざまなメディアで紹介され、県内でも知られた場所として扱われている。