愛媛県

今治市の心霊スポット

3 スポット2 カテゴリ

今治市の人気スポット TOP3

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古城の丘

愛媛県今治市の唐子山(からこやま)山頂に残る古い城跡。標高105メートルの小高い丘で、戦国時代から江戸時代初期にかけての歴史を秘めた場所である。この山頂には国分山城が築かれ、かつて伊予国の支配拠点として機能していた。16世紀末の豊臣秀吉による四国征伐では、小早川隆景の軍勢による砲撃に城主が抵抗せず降伏した。その後、福島正則、池田秀氏、小川祐忠といった武将が城主として統治に当たったが、1600年の関ヶ原の戦いで功績を立てた藤堂高虎が二十万石に加増され、より海運統制に適した位置に新しい今治城を築造したため、この山城は廃城となった。現在、山上には石垣や土塁の跡が残り、連なる代々の今治藩主の墓所が山麓に位置している。古い時代に権力が集中していた場所が次の時代に放棄される際、そこに納められた期待や思いが留まるものなのか、訪問者の中には夜間の山道で落ち着かぬ感覚を覚える者も多い。山頂からは瀬戸内海が見渡せ、かつての統治者たちが眺めたであろう景色が今も変わらず広がっている。

山道・峠
2

今治市廃造船所跡

今治市の造船業は波止浜湾での船舶修繕から発展した産業遺産である。来島海峡の急潮を航行する船舶が潮待ちで立ち寄り、その間の船舶修理が修繕技術の蓄積へと結実した。1901年の檜垣造船所創業に始まり、1940年代に複数の造船所が統合、今治造船株式会社へと成長した。太平洋戦争中の操業停止を経て、1955年に再スタート。戦後の海運需要拡大に応じて、波止浜地区では金属加工音と溶接作業が日常的に響き渡る産業現場となった。1960年代から1970年代の高度成長期には「20日で1隻建造」のペースで船舶を量産し、やがて「瀬戸の4強」と呼ばれる競争力を持つに至った。現在も多くの造船施設が稼働する一方で、廃止・遺棄された造船所跡も市内各地に残存している。 ただし、当該廃止施設及び周辺地域は私有・管理区域であり、足場の不安定性、残置物、および有害物質が存在する。無断立ち入りは重大な人身事故および法的責任を招くため厳に控えること。

廃墟・残骸
3

瀬戸内海・来島海峡

愛媛県今治市と大島の間の来島海峡は、瀬戸内海でも有数の急潮流を抱える難所である。一に来島、二に鳴門、三とさがって馬関瀬戸──かつての航海者たちにそう謳われた海峡で、潮流は時に秒速5メートルを超え、渦潮や湧潮が発生する。古来より多くの船舶がこの海域で遭難してきた。 14世紀中頃から戦国時代にかけて、瀬戸内海を支配した村上水軍のうち、来島村上氏がこの海峡を本拠として拠城を構えた。激流に守られた天然の要塞であり、彼らは平時には水先案内と海上警固の任にあたり、複雑な潮流を読む知識と技術で知られていた。江戸期以降、近代の来島海峡では一日千隻を超える船舶が行き交うようになり、1994年から2003年の間だけで百トン以上の船舶の座礁が20件以上記録されている。1998年の交通管制センター設置後、事故は大幅に減少した。現在、来島海峡大橋は三連吊橋として世界的に知られ、橋上からは激流と多島の景観が望める。

山道・峠

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古城の丘
山道・峠·愛媛県 今治市

古城の丘

愛媛県今治市の唐子山(からこやま)山頂に残る古い城跡。標高105メートルの小高い丘で、戦国時代から江戸時代初期にかけての歴史を秘めた場所である。この山頂には国分山城が築かれ、かつて伊予国の支配拠点として機能していた。16世紀末の豊臣秀吉による四国征伐では、小早川隆景の軍勢による砲撃に城主が抵抗せず降伏した。その後、福島正則、池田秀氏、小川祐忠といった武将が城主として統治に当たったが、1600年の関ヶ原の戦いで功績を立てた藤堂高虎が二十万石に加増され、より海運統制に適した位置に新しい今治城を築造したため、この山城は廃城となった。現在、山上には石垣や土塁の跡が残り、連なる代々の今治藩主の墓所が山麓に位置している。古い時代に権力が集中していた場所が次の時代に放棄される際、そこに納められた期待や思いが留まるものなのか、訪問者の中には夜間の山道で落ち着かぬ感覚を覚える者も多い。山頂からは瀬戸内海が見渡せ、かつての統治者たちが眺めたであろう景色が今も変わらず広がっている。

今治市廃造船所跡
廃墟・残骸·愛媛県 今治市

今治市廃造船所跡

今治市の造船業は波止浜湾での船舶修繕から発展した産業遺産である。来島海峡の急潮を航行する船舶が潮待ちで立ち寄り、その間の船舶修理が修繕技術の蓄積へと結実した。1901年の檜垣造船所創業に始まり、1940年代に複数の造船所が統合、今治造船株式会社へと成長した。太平洋戦争中の操業停止を経て、1955年に再スタート。戦後の海運需要拡大に応じて、波止浜地区では金属加工音と溶接作業が日常的に響き渡る産業現場となった。1960年代から1970年代の高度成長期には「20日で1隻建造」のペースで船舶を量産し、やがて「瀬戸の4強」と呼ばれる競争力を持つに至った。現在も多くの造船施設が稼働する一方で、廃止・遺棄された造船所跡も市内各地に残存している。 ただし、当該廃止施設及び周辺地域は私有・管理区域であり、足場の不安定性、残置物、および有害物質が存在する。無断立ち入りは重大な人身事故および法的責任を招くため厳に控えること。

瀬戸内海・来島海峡
山道・峠·愛媛県 今治市

瀬戸内海・来島海峡

愛媛県今治市と大島の間の来島海峡は、瀬戸内海でも有数の急潮流を抱える難所である。一に来島、二に鳴門、三とさがって馬関瀬戸──かつての航海者たちにそう謳われた海峡で、潮流は時に秒速5メートルを超え、渦潮や湧潮が発生する。古来より多くの船舶がこの海域で遭難してきた。 14世紀中頃から戦国時代にかけて、瀬戸内海を支配した村上水軍のうち、来島村上氏がこの海峡を本拠として拠城を構えた。激流に守られた天然の要塞であり、彼らは平時には水先案内と海上警固の任にあたり、複雑な潮流を読む知識と技術で知られていた。江戸期以降、近代の来島海峡では一日千隻を超える船舶が行き交うようになり、1994年から2003年の間だけで百トン以上の船舶の座礁が20件以上記録されている。1998年の交通管制センター設置後、事故は大幅に減少した。現在、来島海峡大橋は三連吊橋として世界的に知られ、橋上からは激流と多島の景観が望める。