
月山富田城跡
島根県安来市、富田川のほとりにそびえる月山に築かれた戦国の山城跡。山陰・山陽の広い地域を支配した尼子氏の本拠で、天然の要害を生かした難攻不落の堅城として知られた。しかし1565年からの毛利元就による兵糧攻めの末、翌年ついに開城し、尼子氏は滅亡へと向かう。主家再興を願い「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったという尼子十勇士・山中鹿介の逸話でも名高い。幾度もの攻防で多くの将兵が散った地と
城址や古戦場の上に整備された公園は、笑い声の下に幾百年の血を埋蔵する二重の地である。落城の悲劇、戦国の戦死者、処刑された武将の無念が、芝生や桜並木の根に絡みつく。行楽地化された静けさほど、地の底のざわめきを際立たせる。
全国 54 件

島根県安来市、富田川のほとりにそびえる月山に築かれた戦国の山城跡。山陰・山陽の広い地域を支配した尼子氏の本拠で、天然の要害を生かした難攻不落の堅城として知られた。しかし1565年からの毛利元就による兵糧攻めの末、翌年ついに開城し、尼子氏は滅亡へと向かう。主家再興を願い「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったという尼子十勇士・山中鹿介の逸話でも名高い。幾度もの攻防で多くの将兵が散った地と

鳥取市の中心部、久松山にそびえる戦国の城跡。1581年(天正9年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉がこの城を兵糧攻めにした「鳥取の渇え殺し(かつえごろし)」は、日本の戦史でも屈指の凄惨な籠城戦として知られる。秀吉は周辺の米をあらかじめ高値で買い占めたうえで城を包囲し、四か月近くにわたって食料を断った。城内では草木や牛馬を食い尽くして餓死者が続出し、ついには人の肉さえ口にしたと伝えられ、城主・吉川経家

東京都八王子市、多摩川を見下ろす丘陵に築かれた戦国の山城跡。武蔵守護代・大石氏の居城を継いだ北条氏照が大規模に改修した堅城で、1569年(永禄12年)には小田原を目指す武田信玄の大軍に攻め寄せられ、激しい攻防(滝山合戦)が繰り広げられた。氏照はのちに防御に優れた八王子城へ本拠を移し、滝山城は役目を終えた。多くの将兵が戦った地として、また都立公園として整備された今も、心霊スポットとして語られている。

吉良邸跡は、江戸時代の元禄15年(1702年)12月14日深夜に、赤穂藩の家臣たちが討ち入りを行った吉良上野介義央の屋敷跡である。討ち入りは、およそ3年前の刃傷事件に端を発していた。江戸城内で赤穂藩主・浅野長矩が、朝廷との儀式を担当していた高家肝煎・吉良義央を刃傷に及び、浅野が即座に処罰される一方で吉良は咎めなしとされたことから、旧藩士たちが主君の遺志を継ぐために綿密な計画を立てた。元禄時代当初、

皇居東御苑の本丸跡に残る天守台は、徳川家光の時代の1638年に完成した江戸城の中枢遺構である。東西約41メートル、南北約45メートル、高さ11メートルの壮大な石垣が、寛永期の築城技術の集大成を今に伝えている。 1657年の明暦の大火は江戸の大半を焼き尽くし、江戸城の天守も完全に焼失した。その後、幕府の重鎮・保科正之は、莫大な復興資金を城下の再建に充てるべきと主張。戦国の世が終わり、平和な時代にあ

広島県呉市の野呂山は、弘法大師が修業したと伝えられる古い霊山だ。730年には山麓に堂が建てられ、以降、行人が修行地として拠点を置いてきた。瀬戸内海国立公園の区域に指定される観光地だが、その一角に「魔女の館」と呼ばれる廃墟がひっそり立っている。 この建物は1970年代、野呂山の別荘地開発に伴って建設された。ドイツのドラッヘンブルク城を模した3階建ての西洋館で、当初はレクリエーション施設として計画さ

1909年(明治42年)に名古屋市初の公園として開園した鶴舞公園。翌年の第10回関西府県連合共進会に合わせて、旧噴水塔と奏楽堂が設置された。旧噴水塔はローマ様式の大理石造で、当初から公園の象徴的な建造物として機能してきた。2009年に公園全域が国登録名勝として指定され、近代造園史における重要な事例とされている。 第二次大戦中、鶴舞公園は軍事施設の拠点となった。名古屋公会堂には陸軍高射第二師団司令

大阪府南河内郡千早赤阪村の金剛山中腹に位置する千早城は、1332年に楠木正成が後醍醐天皇の倒幕運動に呼応して築城した山城である。翌1333年、南北朝時代初期の重要な戦いとして知られる千早城の戦いが起こった。籠城側が千人足らずであったのに対し、鎌倉幕府軍は約百万とされる大軍で約100日間にわたって攻城戦を展開したが、城は陥落しなかった。 現在、本丸・二の丸・三の丸・四の丸などの曲輪、堀切といった山

千葉県館山市の城山に残る館山城跡は、1580年代に戦国大名・里見氏が築城した山城である。里見氏は安房国(房総半島南部)をおよそ170年にわたって支配し、館山城はその統治の最終段階における居城となった。 1614年の慶長の改易により、里見忠義は国を没収され転封を命じられた。改易決定直後、江戸幕府は迅速に館山城を接収。将軍秀忠の軍令に基づき、城を取り巻く堀は全て埋めたてられ、城郭は徹底的に破却される

東京都八王子市鑓水、大塚山公園の一角に道了堂跡がある。かつてこの地は横浜港へ生糸を運ぶ交易路「絹の道(神奈川往還)」の中継地としてにぎわい、1874年に鑓水商人が道了尊を勧請、翌1875年に道了堂が建てられた。峠を行き交う人馬や旅商人が手を合わせた信仰の拠点だったが、1908年の横浜鉄道(現JR横浜線)開通で交易路は急速に衰え、堂も人の絶えた静かな旧跡へと移り変わっていった。 この場所が怪異の舞

沖縄県南部・糸満市摩文仁にある平和祈念公園は、1945年6月、沖縄戦の組織的戦闘が終結した地に1970年代に整備された追悼施設である。1972年に本格的な都市公園化が始まり、1978年に正式な広域公園として指定された。園内には1995年に建立された「平和の礎」があり、沖縄戦における戦没者の名前が約24万人分刻まれている。また各都道府県が建立した50基の慰霊塔、戦没者の遺骨を安置する納骨堂、1975

高知市中心の高知城は現存天守を持つ国の重要文化財で、日中は観光地として賑わっている。投稿では、訪問時に撮影した写真に白くもやのようなものが映り込んだ例が報告されており、撮影機器の不具合の可能性も指摘されている。また、地元で育った人が大人になって改めて訪れた際に、子ども時代に「近づいてはいけない場所」として聞かされた記憶が蘇ったという経験が寄せられている。城と地域が結びついた、人々の記憶の中の場所と