
水辺·和歌山県 広川町
広川町旧稲むらの火の舞台
1854年11月の安政南海地震により、和歌山県広川町は大津波に襲われた。庄屋の濱口梧陵は、高台へ導く懐中電灯代わりに稲むらに火をつけ、その光を目印に村民を誘導し、約30人の犠牲で済むという逆境の中で多くの命を救った。 その後、梧陵は私財4,665両を費やして広村堤防を築造した。1858年に完成した高さ約5メートル、長さ約600メートルの堤防は、88年後の1946年昭和南海地震の津波からも町を守った。梧陵の事跡は明治30年、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)によって「生ける神」として世界に伝えられ、戦前の国語教科書にも採用されている。 現在、海岸近くの稲むらの火の館は梧陵の遺志を継承する防災教育施設として機能している。一方、沿岸部は津波と向き合う歴史の舞台として、多くの訪問者を迎える。