
耶馬渓・青の洞門
江戸時代、曹洞宗の僧・禅海が川沿いの危険な難所「青野渡」で人馬の転落事故を目撃したことをきっかけに、1735年から30年近い年月をかけてノミと槌だけで岩壁を掘り続け、1764年に完成させた全長342メートルの洞門である。耶馬渓は火山灰からなる台地が浸食された地形で、奇岩や洞窟に富む景観が特徴であり、この地形的な厳しさが人馬の通行を困難にしていた。完成後は「人4文、牛馬8文」の通行料が徴収され、日本初の有料道路とも言われている。 1919年に菊池寛が発表した短編小説『恩讐の彼方に』は、この洞門と禅海の逸話を題材としており、以来、この場所は文学と歴史の象徴として語り継がれてきた。1894年には福沢諭吉が景観保護のため競秀峰の土地を買い取り、耶馬渓の名勝地としての地位が確立された。その後、1923年に名勝耶馬渓に含まれる史跡として指定され、大分県を代表する観光地となった。 洞門の開削は単なる土木事業ではなく、僧侶の慈悲心に基づいた行為であり、危険な渓谷の地形に対して人間の信念が長期間にわたって立ち向かった記録である。明治39~40年の大改修により、当初の手掘り痕跡は部分的に失われたが、トンネル内の一部や明かり採り窓に当時の痕跡が残されている。この場所は、自然の厳しさを前にした人間の営為と精神性が交差する地点として、信仰と歴史の重層性を象徴する空間となっている。


