山口県

下関市の心霊スポット

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下関市の人気スポット TOP5

1

下関市の壇ノ浦の平家霊

1185年4月25日、関門海峡の壇ノ浦で源義経率いる源氏軍と平家軍が激突し、源平合戦に終止符が打たれた。潮流の急変により戦況が源氏に傾く中、二位の尼は幼帝・安徳天皇を抱いて入水。平知盛ら主要な一門もこれに続き、約八百年前のこの海戦で平家は滅亡した。 現在、壇ノ浦周辺には弔いの施設が複数残存する。赤間神宮は1191年に安徳天皇の廟所として創建され、戦地で没した平家一門を祀る「七盛塚」が設置されている。みもすそ川公園として整備された現地では、毎年先帝祭が営まれ、当時の生存者が始めた追善供養が今日まで継続されている。 海峡の地形的特性―狭隘で潮流が急激に変わる空間―は、中世の戦闘記録と民俗伝承の重ね合わせの舞台となった。暗闇の中での視覚的な誤認識(波形や月光の反射が人影に見える)や、強い潮音が声状の音に聞こえるといった物理的な環境因子と、八百年を超える歴史的記憶の蓄積が、この地を「亡者が現れる場所」として固定化させてきた。

水辺
2

旧関門トンネル

山口県下関市と福岡県北九州市門司区を隔てる関門海峡の海底に、世界初の海底道路トンネルが通っている。関門国道トンネルである。一般道路用トンネルの下部に約60メートル下の海底を貫く全長3,461メートルの本坑(車両用)と、その上部に並行して走る歩行者・自転車用の人道トンネル(780メートル)の二層構造になっている。 計画は昭和初期に始まる。1936年(昭和11年)に内務省土木局が本格的な調査に着手、1937年に着工した。海底トンネルとしては前例のない難工事で、関門海峡の急潮流、深い海底地質、戦時下の資材不足、米軍の空襲被害、複数回にわたる工事中断を経た。終戦後の1947年に工事再開、車両用本坑は1958年(昭和33年)3月9日に開通し、人道トンネルも同年3月10日に供用開始した。着工から開通まで実質21年を要した。 本坑は車両用国道トンネル、人道トンネルは下関側、門司側それぞれにエレベーターが設置され、歩行者と自転車(押し歩き)で渡ることができる。通行料金は人道トンネルが歩行者無料、自転車・原付(押し歩き)は20円。本坑は普通車が160円。これは関門海峡を渡る選択肢のなかで最も安価で、現在も日常的に観光客と地元住民の両方が利用している。 工事中の労働災害については、内務省・建設省の公式記録に詳細な記述が残されている。海底掘削特有の地下水流入や圧縮空気作業中の潜水病など、当時の労働衛生基準では困難な作業環境だった。慰霊碑が下関側坑口近くに設置されており、毎年関係者による慰霊式典が継続されている。 人道トンネルの中央部には山口県と福岡県の県境ラインが床面に描かれており、観光客が両足を別の県に置いた記念撮影をするスポットになっている。徒歩約15分で対岸へ渡ることができる、世界的にもユニークな県境体験ができる場所として、観光案内サイトでも紹介されている。

隧道・トンネル
3

角島(角島灯台・角島大橋)

角島は山口県下関市の北西端、響灘に浮かぶ島で、2000年に開通した角島大橋によって本州と結ばれている。通行無料の橋としては国内でも有数の長さを持ち、青い海の上へまっすぐ伸びる景観から観光地として広く知られる。島の北西端には1876年(明治9年)に初点灯した角島灯台が立つ。技師リチャード・ヘンリー・ブラントンが設計した日本海側で最初の洋式灯台とされ、無塗装の総御影石造りという珍しい姿を今に残し、2020年には現役灯台として国の重要文化財に指定された。 その一方でこの島は、海と結びついた怪異の舞台として紹介されることもある。外洋に開けた響灘は昔から海難と隣り合わせで、灯台や海岸線には海で命を落とした人々のイメージが重ねられてきた。霧の濃い時間帯に波打ち際へ目をやると白い人影が立って見える、海の方から呼ぶような声を聞いた、といった話が心霊スポットの紹介記事に見られる。角島大橋についても、渡っている最中に車内が急に冷え込む、という類の話が挙げられることがある。いずれも特定の事件に結びついた伝承というより、海と岬の景観が呼び起こす情景的な語りとして扱われている。

山道・峠
4

赤間神宮

赤間神宮は下関市の関門海峡沿いに鎮座し、壇ノ浦の合戦で祖母とともに入水し崩御した安徳天皇を祀る神社である。龍宮を模した朱塗りの水天門が特徴で、境内には壇ノ浦で命を落としたと伝わる平家一門十四名の墓とされる七盛塚が並ぶ。伝承によれば、天明年間に海峡で嵐が続き船の往来が絶えたころ、夜ごと海上に武者や女官の姿が現れたため、これを祟りと恐れた住民が墓を京都の方角に向けて改葬し供養したところ嵐が収まったという。境内の芳一堂には、小泉八雲の『怪談』に収められた「耳なし芳一」の主人公とされる盲目の琵琶奏者の像が祀られている。かつて当地が阿弥陀寺と呼ばれていた頃、芳一は夜ごと請われるまま平家の墓前で琵琶を弾いていたが、経文を書き忘れた両耳だけを引きちぎられたと伝わる。合戦の記憶と鎮魂の物語が重なり、この一帯は心霊の伝承が語られる場所として知られている。

神域・霊場
5

角島大橋

角島大橋は、山口県下関市豊北町の神田と角島の間、海士ヶ瀬戸に架かる全長およそ1,780メートルの道路橋である。1993年に着工し2000年に開通した。架橋以前は渡船が唯一の連絡手段で、冬季の風浪時には欠航が続き、医療や消防の面で島の暮らしに支障が生じていたという。澄んだ海をほぼ一直線に渡る景観で広く知られる一方、この海峡には古い伝説が残る。本土側の高壺山から鬼が石や岩を投げ入れて瀬ができたとされ、その「海士ヶ瀬」、鬼の頭領の角を沖に埋めたことに由来するという「角島」、若い鬼が丘を投げ入れたとされる「鳩島」など、周辺の地名がこの鬼の物語と結び付けて説明されてきた。頭領の鬼はやがて社を守る役目を担って生涯を終えたとも伝えられる。さらに橋の上から海を見ると、響灘と日本海の潮がぶつかる境目が一本の線のように浮かび上がることがあり、この「あるはずのない線」もまた、海峡にまつわる不思議として話題にされることがある。

橋・高架

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下関市の壇ノ浦の平家霊
水辺·山口県 下関市

下関市の壇ノ浦の平家霊

1185年4月25日、関門海峡の壇ノ浦で源義経率いる源氏軍と平家軍が激突し、源平合戦に終止符が打たれた。潮流の急変により戦況が源氏に傾く中、二位の尼は幼帝・安徳天皇を抱いて入水。平知盛ら主要な一門もこれに続き、約八百年前のこの海戦で平家は滅亡した。 現在、壇ノ浦周辺には弔いの施設が複数残存する。赤間神宮は1191年に安徳天皇の廟所として創建され、戦地で没した平家一門を祀る「七盛塚」が設置されている。みもすそ川公園として整備された現地では、毎年先帝祭が営まれ、当時の生存者が始めた追善供養が今日まで継続されている。 海峡の地形的特性―狭隘で潮流が急激に変わる空間―は、中世の戦闘記録と民俗伝承の重ね合わせの舞台となった。暗闇の中での視覚的な誤認識(波形や月光の反射が人影に見える)や、強い潮音が声状の音に聞こえるといった物理的な環境因子と、八百年を超える歴史的記憶の蓄積が、この地を「亡者が現れる場所」として固定化させてきた。

旧関門トンネル
隧道・トンネル·山口県 下関市

旧関門トンネル

山口県下関市と福岡県北九州市門司区を隔てる関門海峡の海底に、世界初の海底道路トンネルが通っている。関門国道トンネルである。一般道路用トンネルの下部に約60メートル下の海底を貫く全長3,461メートルの本坑(車両用)と、その上部に並行して走る歩行者・自転車用の人道トンネル(780メートル)の二層構造になっている。 計画は昭和初期に始まる。1936年(昭和11年)に内務省土木局が本格的な調査に着手、1937年に着工した。海底トンネルとしては前例のない難工事で、関門海峡の急潮流、深い海底地質、戦時下の資材不足、米軍の空襲被害、複数回にわたる工事中断を経た。終戦後の1947年に工事再開、車両用本坑は1958年(昭和33年)3月9日に開通し、人道トンネルも同年3月10日に供用開始した。着工から開通まで実質21年を要した。 本坑は車両用国道トンネル、人道トンネルは下関側、門司側それぞれにエレベーターが設置され、歩行者と自転車(押し歩き)で渡ることができる。通行料金は人道トンネルが歩行者無料、自転車・原付(押し歩き)は20円。本坑は普通車が160円。これは関門海峡を渡る選択肢のなかで最も安価で、現在も日常的に観光客と地元住民の両方が利用している。 工事中の労働災害については、内務省・建設省の公式記録に詳細な記述が残されている。海底掘削特有の地下水流入や圧縮空気作業中の潜水病など、当時の労働衛生基準では困難な作業環境だった。慰霊碑が下関側坑口近くに設置されており、毎年関係者による慰霊式典が継続されている。 人道トンネルの中央部には山口県と福岡県の県境ラインが床面に描かれており、観光客が両足を別の県に置いた記念撮影をするスポットになっている。徒歩約15分で対岸へ渡ることができる、世界的にもユニークな県境体験ができる場所として、観光案内サイトでも紹介されている。

角島(角島灯台・角島大橋)
山道・峠·山口県 下関市

角島(角島灯台・角島大橋)

角島は山口県下関市の北西端、響灘に浮かぶ島で、2000年に開通した角島大橋によって本州と結ばれている。通行無料の橋としては国内でも有数の長さを持ち、青い海の上へまっすぐ伸びる景観から観光地として広く知られる。島の北西端には1876年(明治9年)に初点灯した角島灯台が立つ。技師リチャード・ヘンリー・ブラントンが設計した日本海側で最初の洋式灯台とされ、無塗装の総御影石造りという珍しい姿を今に残し、2020年には現役灯台として国の重要文化財に指定された。 その一方でこの島は、海と結びついた怪異の舞台として紹介されることもある。外洋に開けた響灘は昔から海難と隣り合わせで、灯台や海岸線には海で命を落とした人々のイメージが重ねられてきた。霧の濃い時間帯に波打ち際へ目をやると白い人影が立って見える、海の方から呼ぶような声を聞いた、といった話が心霊スポットの紹介記事に見られる。角島大橋についても、渡っている最中に車内が急に冷え込む、という類の話が挙げられることがある。いずれも特定の事件に結びついた伝承というより、海と岬の景観が呼び起こす情景的な語りとして扱われている。

赤間神宮
神域・霊場·山口県 下関市

赤間神宮

赤間神宮は下関市の関門海峡沿いに鎮座し、壇ノ浦の合戦で祖母とともに入水し崩御した安徳天皇を祀る神社である。龍宮を模した朱塗りの水天門が特徴で、境内には壇ノ浦で命を落としたと伝わる平家一門十四名の墓とされる七盛塚が並ぶ。伝承によれば、天明年間に海峡で嵐が続き船の往来が絶えたころ、夜ごと海上に武者や女官の姿が現れたため、これを祟りと恐れた住民が墓を京都の方角に向けて改葬し供養したところ嵐が収まったという。境内の芳一堂には、小泉八雲の『怪談』に収められた「耳なし芳一」の主人公とされる盲目の琵琶奏者の像が祀られている。かつて当地が阿弥陀寺と呼ばれていた頃、芳一は夜ごと請われるまま平家の墓前で琵琶を弾いていたが、経文を書き忘れた両耳だけを引きちぎられたと伝わる。合戦の記憶と鎮魂の物語が重なり、この一帯は心霊の伝承が語られる場所として知られている。

角島大橋
橋・高架·山口県 下関市

角島大橋

角島大橋は、山口県下関市豊北町の神田と角島の間、海士ヶ瀬戸に架かる全長およそ1,780メートルの道路橋である。1993年に着工し2000年に開通した。架橋以前は渡船が唯一の連絡手段で、冬季の風浪時には欠航が続き、医療や消防の面で島の暮らしに支障が生じていたという。澄んだ海をほぼ一直線に渡る景観で広く知られる一方、この海峡には古い伝説が残る。本土側の高壺山から鬼が石や岩を投げ入れて瀬ができたとされ、その「海士ヶ瀬」、鬼の頭領の角を沖に埋めたことに由来するという「角島」、若い鬼が丘を投げ入れたとされる「鳩島」など、周辺の地名がこの鬼の物語と結び付けて説明されてきた。頭領の鬼はやがて社を守る役目を担って生涯を終えたとも伝えられる。さらに橋の上から海を見ると、響灘と日本海の潮がぶつかる境目が一本の線のように浮かび上がることがあり、この「あるはずのない線」もまた、海峡にまつわる不思議として話題にされることがある。