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渋谷区の心霊スポット

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渋谷区の人気スポット TOP2

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千駄ヶ谷トンネル

千駄ヶ谷トンネルは、その真上に江戸期創建の仙寿院という日蓮宗の寺院と墓地が広がることから、古くから「霊が集まりやすい場所」として都内の心霊マニアの間で語り継がれてきたとされる。トンネル内で白い人影を目撃した、突然エンジンが止まった、後部座席に人が乗り込む気配がしたなどの体験談がネット上に散見され、「墓地の真下を走るトンネル」という特異な立地がそうした噂に拍車をかけているとも言われている。また、深夜に通行すると車内の温度が急激に下がる、ラジオに意味不明な声が混じるといった怪異も報告されているとされるが、いずれも確認された事実ではなく、あくまでも噂・伝承の域を出ない。 トンネルの成り立ちを辿ると、1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催に合わせて整備された、全長290メートルの自動車道であることがわかる。外苑東通りの慢性的な渋滞解消を目的として地下化が決定されたが、直上に正保元年(1644年)創建・徳川家康の側室お万の方ゆかりの仙寿院とその墓地が存在したため、墓地・境内を移転させず地下を貫通する形で建設された経緯がある。歩行者通行帯は設けられておらず徒歩での通過は不可。1964年当時の規格のまま現在も現役の都道として機能しており、オリンピック関連インフラとして土木史・都市計画史の観点からも貴重な構造物とされている。

隧道・トンネル
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玉井病院

渋谷区初台の駅近くに建つこの施設は、2003年頃に閉院するまで実際の医療機関として機能していた。建物には診療記録が散乱した状態で放置され、やがて廃墟愛好家やオカルト興味者の間で知られるようになった。かつて霊安室だったと推測される地下室での機材故障、誰も操作していないエレベーターの稼働、廊下での足音といった不可解な現象が多数報告されていた。 廃墟のままでは無許可侵入者が相次いだため、企業による買収を経て2000年代後半から撮影スタジオとしての用途に切り替わった。2013年から2014年にかけて、そして2018年以降、この建物を舞台にした文化的イベント「廃病院パーティー」が開催され、ライブ演奏や展示、各種ワークショップなどが並行して行われた。来場者の間ではスタジオ化後も奇妙な感覚が報告されており、撮影現場での不調や違和感についての証言がネット上で散見される。 2020年に元の建物は取り壊され、2021年には全く新しい設計による四階建てスタジオが跡地に完成した。新しい施設は当初、医療施設をモチーフとした撮影環境として意識的に構成されたもので、旧建物との直接的な連続性は物理的に失われている。ただし心霊スポット愛好者の間では、この場所に対する関心は現在も保持されており、その背景にある歴史的記憶が継続的に言及される傾向にある。

廃墟・残骸

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千駄ヶ谷トンネル
東京都 渋谷区·隧道・トンネル

千駄ヶ谷トンネル

千駄ヶ谷トンネルは、その真上に江戸期創建の仙寿院という日蓮宗の寺院と墓地が広がることから、古くから「霊が集まりやすい場所」として都内の心霊マニアの間で語り継がれてきたとされる。トンネル内で白い人影を目撃した、突然エンジンが止まった、後部座席に人が乗り込む気配がしたなどの体験談がネット上に散見され、「墓地の真下を走るトンネル」という特異な立地がそうした噂に拍車をかけているとも言われている。また、深夜に通行すると車内の温度が急激に下がる、ラジオに意味不明な声が混じるといった怪異も報告されているとされるが、いずれも確認された事実ではなく、あくまでも噂・伝承の域を出ない。 トンネルの成り立ちを辿ると、1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催に合わせて整備された、全長290メートルの自動車道であることがわかる。外苑東通りの慢性的な渋滞解消を目的として地下化が決定されたが、直上に正保元年(1644年)創建・徳川家康の側室お万の方ゆかりの仙寿院とその墓地が存在したため、墓地・境内を移転させず地下を貫通する形で建設された経緯がある。歩行者通行帯は設けられておらず徒歩での通過は不可。1964年当時の規格のまま現在も現役の都道として機能しており、オリンピック関連インフラとして土木史・都市計画史の観点からも貴重な構造物とされている。

玉井病院
東京都 渋谷区·廃墟・残骸

玉井病院

渋谷区初台の駅近くに建つこの施設は、2003年頃に閉院するまで実際の医療機関として機能していた。建物には診療記録が散乱した状態で放置され、やがて廃墟愛好家やオカルト興味者の間で知られるようになった。かつて霊安室だったと推測される地下室での機材故障、誰も操作していないエレベーターの稼働、廊下での足音といった不可解な現象が多数報告されていた。 廃墟のままでは無許可侵入者が相次いだため、企業による買収を経て2000年代後半から撮影スタジオとしての用途に切り替わった。2013年から2014年にかけて、そして2018年以降、この建物を舞台にした文化的イベント「廃病院パーティー」が開催され、ライブ演奏や展示、各種ワークショップなどが並行して行われた。来場者の間ではスタジオ化後も奇妙な感覚が報告されており、撮影現場での不調や違和感についての証言がネット上で散見される。 2020年に元の建物は取り壊され、2021年には全く新しい設計による四階建てスタジオが跡地に完成した。新しい施設は当初、医療施設をモチーフとした撮影環境として意識的に構成されたもので、旧建物との直接的な連続性は物理的に失われている。ただし心霊スポット愛好者の間では、この場所に対する関心は現在も保持されており、その背景にある歴史的記憶が継続的に言及される傾向にある。