
旧筑豊炭鉱廃墟群
福岡県嘉麻市を含む筑豊地域には、明治期から昭和30年代まで採掘されていた炭鉱の遺構が今も散在する。坑口跡、ボタ山、選炭場、ホッパーといった施設は、かつて日本全体の産炭量の約半分を占めた筑豊炭田の規模を物語っている。 この地域では、ガス爆発や落盤といった鉱山事故が繰り返された。1914年の方城炭鉱爆発事故では687人が、1907年の豊国炭鉱爆発では365人が亡くなっており、筑豊は日本の近代化を支える一方で、多くの人命が失われた現場でもあった。坑内での高温多湿と粉塵環境での労働は、当時の記録に見る通り、極めて過酷な条件であった。 昭和51年までの約100年間で約8億トンの石炭を産出した後、エネルギー革命に伴う閉山を経て、これらの施設は産業遺産として残された。2018年、筑豊炭田遺跡群は国指定史跡に指定され、後世への教育的価値が公式に認識されている。各地の慰霊碑や寺院では、坑夫の追悼が今も続けられている。
