埼玉県

飯能市の心霊スポット

7 スポット4 カテゴリ

飯能市の人気スポット TOP7

1

旧正丸峠トンネル

埼玉県飯能市と秩父郡横瀬町の境に、奥武蔵の主要峠のひとつ正丸峠が位置する。標高636メートル、関東山地の前衛にあたるこの峠は、江戸期から秩父地方の生糸・絹織物を江戸へ運ぶ重要な経路として使われてきた。秩父往還と呼ばれた街道のルートのひとつである。 自動車時代に入り、1936年(昭和11年)に旧道の正丸峠経由の県道が開削された。九十九折の急坂を上り、峠頂上付近を越えて秩父側に下る路線で、走行は厳しいが眺望に優れる。1982年(昭和57年)、峠の下を貫通する全長1,918メートル(一部資料では1,928メートル)の新正丸トンネルが国道299号として開通し、旧道は秩父観光と峠道走行を目的とした補助的な道に役割が変わった。 旧道は1990年代以降、走り屋やバイク愛好者の聖地として知られるようになり、深夜走行や事故が多発したため、飯能市と横瀬町、警察が継続的に注意喚起と取り締まりを行ってきた。現在も交通量は限定的だが、九十九折の急カーブが連続するため、悪天候時や夜間の走行は避けるよう公式に呼びかけられている。 旧道沿いに残るトンネルや橋梁の構造物は、昭和初期の山岳道路建設技術を示す土木遺産として記録されている。一部は飯能市の郷土史資料に取り上げられているが、文化財指定は受けていない。新正丸トンネルは2022年から2024年にかけて大規模補修工事が実施され、夜間通行止めの期間が設けられた経緯がある。

隧道・トンネル
2

飯能廃病院

埼玉県飯能市は秩父山地の入口に位置し、林業と西川材の集散地として発展してきた土地である。市街地周辺の住宅地には、地域医療を支えた個人病院や中規模病院がかつて点在しており、経営者の世代交代や経営環境の変化により休院・廃院となった建物が一部に残されている。地域医療の記憶が静かに刻まれた土地であり、長年にわたり患者と医療従事者が向き合った歴史を今に伝えている。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、廃病院の前を夜間に通りかかると、無人のはずの上階の窓辺に人影の輪郭が一瞬立っているように感じられる、というものである。敷地境界の外から建物の方向に視線を向けた際に内部から微かな足音や呻きに似た響きを耳にした、空気が急に重く感じられた、消毒液に似た匂いを一瞬感じたと語る訪問者がいる。事件と直結する語りではない。 地元では、長年地域医療を担ってきた施設への敬意と、そこで治療を受け命を落とされた方々への弔いが、住民の記憶として静かに受け継がれてきた。廃病院を巡る話は怪異譚という以前に、地域医療の歴史と医療従事者への感謝を伝える側面が強く、住民は建物の今後について複雑な感情を抱いている。 廃病院敷地内は私有地であり、無断立ち入りは不法侵入として法的責任を問われるほか、老朽建物の崩落・床抜けによる重大事故の危険が極めて高い。心霊目的の侵入は厳に控え、公道からの遠景にとどめ、医療の記憶と患者への哀悼を欠かさないこと。

廃墟・残骸
3

飯能市旧炭鉱跡の地底霊

埼玉県飯能市の奥武蔵山地には、江戸期から近代にかけて小規模に採掘された旧坑道の跡が点在し、地域の燃料供給と暮らしの歴史を今に伝える土地として知られている。森に呑まれかけた坑口や石垣、ずり山の名残が静かに残り、地域の産業史と、坑内事故で命を落とされた坑夫の方々への弔いが、近隣の寺社や口碑を通じて世代を超えて静かに受け継がれてきた背景を持つ山域でもある。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、廃坑の入口付近を夜に通ると、地中深くから槌で岩を叩くような低い音が断続的に届き、山の斜面の闇の中に青白い光が小さく揺れているのを見た、というものである。坑口の前に立ったとき、内側から微かに湿った息のような冷気が吹き出してきた、自分の足音が地中で反響して一拍遅れて返ってきた、と語る訪問者もいる。 地元では、坑内事故で命を落とされた坑夫の方々への弔いが、山中の祠や供養碑への手向け、年中行事の供養を通じて、世代を超えて連綿と続けられている。現象の話は怪異というより、地域の産業史と、地中深くで逝かれた人々への深い敬意を伝え、山と暮らしの記憶を風化させないための寓話として、住民のあいだで穏やかに受け止められている。 旧坑道は崩落・落石・酸欠・有害ガスの危険が極めて高く、内部への侵入は重大事故に直結する。心霊目的の立ち入りは厳に控え、見学は地表の遺構を遠望する範囲に留め、祠や供養碑を粗末に扱わず、地中で逝かれた坑夫の方々への深い哀悼の念を欠かさないこと。

廃墟・残骸
4

埼玉県飯能市『飯能市立病院』

埼玉県飯能市にかつて存在した飯能市立病院は、戦後の地域医療の充実が求められた時期に開設され、奥武蔵の麓に暮らす人々の入院・外来診療を長く支えてきた医療施設である。山林業を生業とする地域の救急や慢性疾患の診療を担い、市の医療体制の再編や施設老朽化を経て役割を終え、跡地は再整備の経緯のなかで景観を変えていった。地域の医療史を語るうえで欠かせない場所であった。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、跡地の周辺を夜半に歩くと、空調機の作動音に似た低い響きが一瞬届く、というものである。窓のあった方角から人の気配を感じたと語る者、廊下の足音に似たリズミカルな響きを聞いたと言う者、消毒薬の残り香に似た匂いを一瞬感じたと述べる者もいる。療養中に亡くなられた患者の方々と、その看取りに当たられた医療者の方々への、深い哀悼を伴って語られるべき話である。 地元では、病院は出生・治療・看取りの場として家族の記憶と深く結びついており、怪異話としてのみ語ることは慎まれてきた。地域医療の歴史として静かに継承する姿勢が、住民のあいだで広く共有されている。 跡地・建物は管理者の所有下にあり、無断立入は不法侵入に該当する。残された構造物は老朽化により事故の確率が高く、心霊目的の探訪は患者の方々の尊厳を損なう行為でもある。訪問は厳に控え、関心は飯能市の郷土資料館や市の医療史資料、地域図書館の文献を通じて表し、地域医療を支えた医療者と治療を受けた方々への祈りを大切にすること。

廃墟・残骸
5

天王山廃墟病院

埼玉県飯能市にある天王山病院跡は、高度経済成長期に地域医療を担うことを目的として開設された病院で、経営環境や医療体制の変化により閉鎖された後、長期間にわたって解体されないまま廃墟化が進んだ施設である。病棟や診察棟の建物が荒廃した状態で残り、内部には窓ガラスの破損や床材の劣化が広がっているため、地元では夜間の立入が危険視されるとともに、不可解な現象が語られる場所として広く知られてきた経緯を持つ。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、深夜に廃病院の外から建物を観察すると、旧病棟の窓に患者服を思わせる人影が複数浮かび上がる、というものである。影が廊下を移動した後、特定の病室の前で扉を開けるような動作を繰り返したように見えた、誰もいないはずの建物内から呻き声に似た低い音が漏れ届いた、夜風のなかに薬品の臭気のような匂いが一瞬漂った、と語る体験者がいる。 地元では、ここで治療を受けながら命を全うできなかった患者や、長年勤めた医療従事者の労苦を静かに偲ぶ気持ちが受け継がれてきた。現象の話は怪異だけでなく、地域医療の歴史を伝える語りとしての側面を持ち、土地の記憶として大切に受け止められている。 建物内部は床抜け・天井落下・有害物質などの危険が極めて高く、無断立入は不法侵入に該当する。心霊目的の侵入や深夜の徘徊は厳に控え、医療の場として人々の生死に向き合ってきた歴史への敬意を欠かさず、外から静かに通り過ぎる姿勢を保つことが求められる。

廃墟・残骸
6

達磨神社

埼玉県飯能市、奥武蔵の山あいに静かに佇む達磨神社では、「夜間に社殿の中の達磨がひとりでに動く」「無数の達磨の目がいっせいにこちらを向いている気がした」という体験談が語られているとされる。片目だけが入った達磨が整然と並ぶ光景は昼間でも異様な圧迫感を放つと言われており、「願いが叶わなかった達磨の念が境内に残っている」という噂もまことしやかに囁かれている。また、夕暮れ以降に参拝した人物が「背後から誰かに見られている感覚が消えなかった」と語ったという話も一部で伝わっており、心霊スポットとして訪れる者が後を絶たないとされる。 達磨神社は達磨大師を祀る民間信仰の小社で、禅宗の開祖への信仰を起源とする。日本では江戸時代以降、養蚕・農業の守護や開運招福のシンボルとして各地の小社に祀られるようになり、願掛けの際に片目を入れ、成就の折にもう一方の目を入れる風習で知られる。飯能市は江戸期から養蚕と林業で栄えた地域であり、こうした民間信仰の社が点在している。達磨神社もそのひとつで、創建の正確な記録は乏しいものの、戦前から戦後にかけて整備された社と郷土史では位置づけられている。社の周辺は私有地と公道が複雑に入り組むため、訪れる際は地元住民への十分な配慮が必要だ。

神域・霊場
7

正丸峠

埼玉県飯能市と秩父郡横瀬町の境に位置する正丸峠は、標高636メートル、奥武蔵の主要峠のひとつである。江戸時代から続く秩父往還の難所として、生糸・絹織物の輸送路として、また秩父三十四箇所観音霊場の巡礼路の一部として、長く利用されてきた。 1936年(昭和11年)、自動車交通のための旧道(県道)が開削され、急傾斜と九十九折を多用した山岳道路として整備された。1982年(昭和57年)、現在の国道299号の本線として全長1,918メートルの新正丸トンネルが開通し、旧道は峠経由の観光道路と地元住民の生活道としての性格に変わった。 旧道の九十九折は走行が困難な一方、走り屋・峠族と呼ばれる愛好家には人気を集めるルートとして知られている。1990年代後半から2000年代にかけて、漫画『頭文字D』のモデルとなった峠のひとつとされ、聖地巡礼の対象としても訪問者を集めた。 一方で、深夜走行による事故が継続的な課題となっている。埼玉県警と飯能市は重点取り締まりエリアとして指定し、夜間のスピード走行や暴走行為に対する取り締まりを続けている。地元住民への迷惑、事故時の救急搬送の困難、ガードレールや路面の破損など、複数の問題が長期化している。 旧道沿いには峠頂上付近の奥村茶屋など、地元住民が営む休憩施設がいくつかあり、平日の昼間は静かな観光道路として機能する。

山道・峠

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飯能市のすべてのスポット

旧正丸峠トンネル
隧道・トンネル·埼玉県 飯能市

旧正丸峠トンネル

埼玉県飯能市と秩父郡横瀬町の境に、奥武蔵の主要峠のひとつ正丸峠が位置する。標高636メートル、関東山地の前衛にあたるこの峠は、江戸期から秩父地方の生糸・絹織物を江戸へ運ぶ重要な経路として使われてきた。秩父往還と呼ばれた街道のルートのひとつである。 自動車時代に入り、1936年(昭和11年)に旧道の正丸峠経由の県道が開削された。九十九折の急坂を上り、峠頂上付近を越えて秩父側に下る路線で、走行は厳しいが眺望に優れる。1982年(昭和57年)、峠の下を貫通する全長1,918メートル(一部資料では1,928メートル)の新正丸トンネルが国道299号として開通し、旧道は秩父観光と峠道走行を目的とした補助的な道に役割が変わった。 旧道は1990年代以降、走り屋やバイク愛好者の聖地として知られるようになり、深夜走行や事故が多発したため、飯能市と横瀬町、警察が継続的に注意喚起と取り締まりを行ってきた。現在も交通量は限定的だが、九十九折の急カーブが連続するため、悪天候時や夜間の走行は避けるよう公式に呼びかけられている。 旧道沿いに残るトンネルや橋梁の構造物は、昭和初期の山岳道路建設技術を示す土木遺産として記録されている。一部は飯能市の郷土史資料に取り上げられているが、文化財指定は受けていない。新正丸トンネルは2022年から2024年にかけて大規模補修工事が実施され、夜間通行止めの期間が設けられた経緯がある。

飯能廃病院
廃墟・残骸·埼玉県 飯能市

飯能廃病院

埼玉県飯能市は秩父山地の入口に位置し、林業と西川材の集散地として発展してきた土地である。市街地周辺の住宅地には、地域医療を支えた個人病院や中規模病院がかつて点在しており、経営者の世代交代や経営環境の変化により休院・廃院となった建物が一部に残されている。地域医療の記憶が静かに刻まれた土地であり、長年にわたり患者と医療従事者が向き合った歴史を今に伝えている。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、廃病院の前を夜間に通りかかると、無人のはずの上階の窓辺に人影の輪郭が一瞬立っているように感じられる、というものである。敷地境界の外から建物の方向に視線を向けた際に内部から微かな足音や呻きに似た響きを耳にした、空気が急に重く感じられた、消毒液に似た匂いを一瞬感じたと語る訪問者がいる。事件と直結する語りではない。 地元では、長年地域医療を担ってきた施設への敬意と、そこで治療を受け命を落とされた方々への弔いが、住民の記憶として静かに受け継がれてきた。廃病院を巡る話は怪異譚という以前に、地域医療の歴史と医療従事者への感謝を伝える側面が強く、住民は建物の今後について複雑な感情を抱いている。 廃病院敷地内は私有地であり、無断立ち入りは不法侵入として法的責任を問われるほか、老朽建物の崩落・床抜けによる重大事故の危険が極めて高い。心霊目的の侵入は厳に控え、公道からの遠景にとどめ、医療の記憶と患者への哀悼を欠かさないこと。

飯能市旧炭鉱跡の地底霊
廃墟・残骸·埼玉県 飯能市

飯能市旧炭鉱跡の地底霊

埼玉県飯能市の奥武蔵山地には、江戸期から近代にかけて小規模に採掘された旧坑道の跡が点在し、地域の燃料供給と暮らしの歴史を今に伝える土地として知られている。森に呑まれかけた坑口や石垣、ずり山の名残が静かに残り、地域の産業史と、坑内事故で命を落とされた坑夫の方々への弔いが、近隣の寺社や口碑を通じて世代を超えて静かに受け継がれてきた背景を持つ山域でもある。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、廃坑の入口付近を夜に通ると、地中深くから槌で岩を叩くような低い音が断続的に届き、山の斜面の闇の中に青白い光が小さく揺れているのを見た、というものである。坑口の前に立ったとき、内側から微かに湿った息のような冷気が吹き出してきた、自分の足音が地中で反響して一拍遅れて返ってきた、と語る訪問者もいる。 地元では、坑内事故で命を落とされた坑夫の方々への弔いが、山中の祠や供養碑への手向け、年中行事の供養を通じて、世代を超えて連綿と続けられている。現象の話は怪異というより、地域の産業史と、地中深くで逝かれた人々への深い敬意を伝え、山と暮らしの記憶を風化させないための寓話として、住民のあいだで穏やかに受け止められている。 旧坑道は崩落・落石・酸欠・有害ガスの危険が極めて高く、内部への侵入は重大事故に直結する。心霊目的の立ち入りは厳に控え、見学は地表の遺構を遠望する範囲に留め、祠や供養碑を粗末に扱わず、地中で逝かれた坑夫の方々への深い哀悼の念を欠かさないこと。

埼玉県飯能市『飯能市立病院』
廃墟・残骸·埼玉県 飯能市

埼玉県飯能市『飯能市立病院』

埼玉県飯能市にかつて存在した飯能市立病院は、戦後の地域医療の充実が求められた時期に開設され、奥武蔵の麓に暮らす人々の入院・外来診療を長く支えてきた医療施設である。山林業を生業とする地域の救急や慢性疾患の診療を担い、市の医療体制の再編や施設老朽化を経て役割を終え、跡地は再整備の経緯のなかで景観を変えていった。地域の医療史を語るうえで欠かせない場所であった。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、跡地の周辺を夜半に歩くと、空調機の作動音に似た低い響きが一瞬届く、というものである。窓のあった方角から人の気配を感じたと語る者、廊下の足音に似たリズミカルな響きを聞いたと言う者、消毒薬の残り香に似た匂いを一瞬感じたと述べる者もいる。療養中に亡くなられた患者の方々と、その看取りに当たられた医療者の方々への、深い哀悼を伴って語られるべき話である。 地元では、病院は出生・治療・看取りの場として家族の記憶と深く結びついており、怪異話としてのみ語ることは慎まれてきた。地域医療の歴史として静かに継承する姿勢が、住民のあいだで広く共有されている。 跡地・建物は管理者の所有下にあり、無断立入は不法侵入に該当する。残された構造物は老朽化により事故の確率が高く、心霊目的の探訪は患者の方々の尊厳を損なう行為でもある。訪問は厳に控え、関心は飯能市の郷土資料館や市の医療史資料、地域図書館の文献を通じて表し、地域医療を支えた医療者と治療を受けた方々への祈りを大切にすること。

天王山廃墟病院
廃墟・残骸·埼玉県 飯能市

天王山廃墟病院

埼玉県飯能市にある天王山病院跡は、高度経済成長期に地域医療を担うことを目的として開設された病院で、経営環境や医療体制の変化により閉鎖された後、長期間にわたって解体されないまま廃墟化が進んだ施設である。病棟や診察棟の建物が荒廃した状態で残り、内部には窓ガラスの破損や床材の劣化が広がっているため、地元では夜間の立入が危険視されるとともに、不可解な現象が語られる場所として広く知られてきた経緯を持つ。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、深夜に廃病院の外から建物を観察すると、旧病棟の窓に患者服を思わせる人影が複数浮かび上がる、というものである。影が廊下を移動した後、特定の病室の前で扉を開けるような動作を繰り返したように見えた、誰もいないはずの建物内から呻き声に似た低い音が漏れ届いた、夜風のなかに薬品の臭気のような匂いが一瞬漂った、と語る体験者がいる。 地元では、ここで治療を受けながら命を全うできなかった患者や、長年勤めた医療従事者の労苦を静かに偲ぶ気持ちが受け継がれてきた。現象の話は怪異だけでなく、地域医療の歴史を伝える語りとしての側面を持ち、土地の記憶として大切に受け止められている。 建物内部は床抜け・天井落下・有害物質などの危険が極めて高く、無断立入は不法侵入に該当する。心霊目的の侵入や深夜の徘徊は厳に控え、医療の場として人々の生死に向き合ってきた歴史への敬意を欠かさず、外から静かに通り過ぎる姿勢を保つことが求められる。

達磨神社
神域・霊場·埼玉県 飯能市

達磨神社

埼玉県飯能市、奥武蔵の山あいに静かに佇む達磨神社では、「夜間に社殿の中の達磨がひとりでに動く」「無数の達磨の目がいっせいにこちらを向いている気がした」という体験談が語られているとされる。片目だけが入った達磨が整然と並ぶ光景は昼間でも異様な圧迫感を放つと言われており、「願いが叶わなかった達磨の念が境内に残っている」という噂もまことしやかに囁かれている。また、夕暮れ以降に参拝した人物が「背後から誰かに見られている感覚が消えなかった」と語ったという話も一部で伝わっており、心霊スポットとして訪れる者が後を絶たないとされる。 達磨神社は達磨大師を祀る民間信仰の小社で、禅宗の開祖への信仰を起源とする。日本では江戸時代以降、養蚕・農業の守護や開運招福のシンボルとして各地の小社に祀られるようになり、願掛けの際に片目を入れ、成就の折にもう一方の目を入れる風習で知られる。飯能市は江戸期から養蚕と林業で栄えた地域であり、こうした民間信仰の社が点在している。達磨神社もそのひとつで、創建の正確な記録は乏しいものの、戦前から戦後にかけて整備された社と郷土史では位置づけられている。社の周辺は私有地と公道が複雑に入り組むため、訪れる際は地元住民への十分な配慮が必要だ。

正丸峠
山道・峠·埼玉県 飯能市

正丸峠

埼玉県飯能市と秩父郡横瀬町の境に位置する正丸峠は、標高636メートル、奥武蔵の主要峠のひとつである。江戸時代から続く秩父往還の難所として、生糸・絹織物の輸送路として、また秩父三十四箇所観音霊場の巡礼路の一部として、長く利用されてきた。 1936年(昭和11年)、自動車交通のための旧道(県道)が開削され、急傾斜と九十九折を多用した山岳道路として整備された。1982年(昭和57年)、現在の国道299号の本線として全長1,918メートルの新正丸トンネルが開通し、旧道は峠経由の観光道路と地元住民の生活道としての性格に変わった。 旧道の九十九折は走行が困難な一方、走り屋・峠族と呼ばれる愛好家には人気を集めるルートとして知られている。1990年代後半から2000年代にかけて、漫画『頭文字D』のモデルとなった峠のひとつとされ、聖地巡礼の対象としても訪問者を集めた。 一方で、深夜走行による事故が継続的な課題となっている。埼玉県警と飯能市は重点取り締まりエリアとして指定し、夜間のスピード走行や暴走行為に対する取り締まりを続けている。地元住民への迷惑、事故時の救急搬送の困難、ガードレールや路面の破損など、複数の問題が長期化している。 旧道沿いには峠頂上付近の奥村茶屋など、地元住民が営む休憩施設がいくつかあり、平日の昼間は静かな観光道路として機能する。