
高取城跡
奈良県高取町の高取城跡は、南北朝時代の1332年に南朝方の豪族・越智邦澄が築いたとされる山城で、江戸時代には高取藩の藩庁として使われ、現在は国の史跡に指定されている。投稿では、地元に住む人たちが「近づいてはいけない場所」として見なし、特に夜間の訪問を勧めない慣行があると報告されている。複数の投稿者が、この場所が昔から地元で何らかの注意の対象だったことを述べており、その理由の詳細は不明だが、訪問時には地形と照明の乏しさが関係しているとも考えられる。城の歴史をたどると、戦国期の1532年には一向一揆勢に城を包囲される激戦があり、関ヶ原の戦い前夜の1600年にも石田三成方の軍勢が攻め寄せたが撃退されたと伝わる、戦の記録が残る山城でもある。明治6年(1873年)の廃城令によって天守や櫓など建物の大半は解体・売却され、以後は人が住まない状態のまま石垣や石塁だけが山中に残された。高取城跡は標高が高く登山道が急峻で、特に夜間は落石や滑落のリスクが高い。現地の案内でも、石垣の一部には崩落する可能性のある箇所が多いため不用意に近づかないよう注意が呼びかけられている。訪問は日中、届け出のうえ安全装備を整えての登山が推奨される。