宮崎県

宮崎市の心霊スポット

8 スポット6 カテゴリ

宮崎市の人気スポット TOP8

1

久峯隧道(コツコツトンネル)

久峯隧道は宮崎市佐土原町下那珂の国道10号沿いにある1962年竣工、全長73メートルほどの隧道で、照明のない直線トンネルである。通称「コツコツトンネル」として知られ、この呼び名は、クラクションを3回鳴らすとコツコツという足音が響き女性の霊が近づいてくる、あるいは車の窓ガラスを叩く音が聞こえるという噂に由来する。噂の由来としては、この付近に住むある女性が許されない相手と密会する際、相手がトンネル内でクラクションを3回鳴らして合図を送っていたとする話がある。ある時、いたずらで同じ回数のクラクションを鳴らした車が通り、合図と思い込んで駆け出した女性が走行中の車にはねられて亡くなったとする筋立てが紹介されている。加えて、トンネル周辺にはかつて防空壕や火葬場の跡地があったとする説も紹介され、戦時の記憶がこの場所の不気味さを補強する要素として結び付けられている。ただしこれらはいずれも検証されていない噂であり、実際の被害者や事件の記録は確認されていない。

隧道・トンネル
2

平和台公園

宮崎市下北方町の丘陵地に整備された都市公園で、園内には1940年に紀元二千六百年記念事業として完成した高さ36メートル余りの「平和の塔」がそびえる。塔は当初「八紘之基柱」と呼ばれ、正面には秩父宮雍仁親王の筆による「八紘一宇」の文字が刻まれていた。終戦後、GHQの指示で文字と四隅の像が撤去され、1960年代になって復元された経緯を持つ。園内のはにわ園には多数の埴輪が並び、深夜になると埴輪が動き出したり目が光るという噂が伝えられている。平和の塔の周辺では女性の霊が目撃されるとの話があり、園内の池では入水した女性の霊が現れるという話も語られている。戦争で亡くなった人々を慰霊する目的で整備された経緯から、戦死者の霊が成仏できずにいるとする説や、終戦時に集団自殺があったという噂と結び付け、その人数分の埴輪が置かれているとする話も伝えられている。はにわ園に並ぶ埴輪は400体余りとされ、目撃談では深夜に目が光ったり首が動いたりするといった現象が伝えられている。平和の塔周辺で目撃される女性の霊に関しては、遭遇すると体が動かなくなったり頭痛に見舞われたりするという体験談も伝えられている。園内の池では女性のすすり泣くような声が夜間に聞こえるとの報告もあり、入水した霊の話とあわせて語られている。これらの噂は複数の心霊情報サイトで取り上げられ、戦争慰霊の性格を持つ塔と人の姿を模した埴輪という組み合わせが怪談として定着しやすい要因になっているとみられる。公園自体は現在も日中は一般開放されており、立入禁止等の措置は特に取られていないが、夜間は人通りが少なくなることが噂の繰り返される背景になっている。

公園・城址
3

青島断崖

宮崎市青島周辺の断崖は、新生代新第三紀に海底に堆積した砂岩と泥岩が規則正しく互層をなす「宮崎層群」が地殻変動により傾斜・露出し、長年の波浪侵蝕によって形成された海岸地形である。地層の岩質の硬度差により砂岩と泥岩の溝が深く刻まれ、干潮時には幅20メートルから100メートルにわたって波状の凹凸が連なり、遠景から洗濯板に見立てた「鬼の洗濯板」という名称で知られている。国指定天然記念物に指定され、宮崎から南方8キロメートルにわたって連続する地質学的遺産である。 青島神社は「彦火火出見命が海神宮から帰還した際に青島に上陸して宮を営んだ」という山幸彦・海幸彦の神話に基づき創祀されたと伝えられ、天津日高彦火火出見命、豊玉姫命、塩筒大神を祀る。縁結びと航海安全の神として信仰されており、断崖一帯は信仰と歴史が層状に積み重なる場所である。 断崖の自然美と信仰の結合は、海を生活圏とする歴史を持つ地域社会の記憶を濃厚に反映している。一方で急傾斜・波浪・強風による転落危険が極めて高く、訪問者の安全と地域への敬意が必須である。

山道・峠
4

仏舎利塔(紫波洲崎城址)

仏舎利塔は宮崎市南部の折生迫、青島の南に隣接する城山公園の山頂に建つ仏塔である。この地はかつて紫波洲崎城の本丸があった場所で、室町時代に長井氏が築いた城は伊東氏四十八城の一つとされ、以後は伊東氏と島津氏による争奪の舞台となった。1480年に島津方が一時奪取したが伊東氏が奪還し、1577年に伊東義祐が豊後へ逃れた後は島津方の上井薫兼が城主を務めた。1587年の豊臣秀吉による九州征伐後は再び伊東氏の所領に戻り、江戸時代の一国一城令により廃城となった。1972年、インドのネルー首相から贈られた仏舎利を納めるため、旧本丸跡に高さ21メートルの仏舎利塔が建立された。この城跡には、戦で命を落とした武士の霊が甲冑姿で目撃されるという噂があり、塔の周辺では女性の霊の目撃談も伝えられている。塔の周りを歩くと後ろから足音が一つ多く聞こえるという体験も複数のサイトで報告されている。近隣には強盗による事件があったとされる廃屋の噂も付随しているが、こちらは裏付けとなる記録が確認されておらず、宮崎県内の別の仏舎利塔(日向市)にまつわる話と混同されている可能性も指摘されている。

神域・霊場
5

堀切峠

堀切峠は宮崎市南部、国道220号の旧道沿いに位置する峠道で、太平洋を望む絶景と海岸の奇岩「鬼の洗濯板」で知られる観光地である。峠の急カーブが続く区間は、2008年にトンネルを含む新道が開通する以前、日南方面へ抜ける主要道路として利用されていた。この峠では昭和40年代、幼稚園児を乗せたバスがカーブを曲がりきれず崖下に転落し、乗員全員が死亡する事故が起きたとされる。この事故を契機に、峠周辺では子どもの霊にまつわる噂が広まったという。目撃情報としては、通行する車のボディやフロントガラスに小さな手形のようなものが浮かぶ、子どもの笑い声のような音が聞こえるといった話が伝えられている。峠道が交通の難所として利用されていた時期には、特定のカーブでの死亡事故が相次いだとの証言もあり、その事故後に赤いテールランプが不自然に現れて消えたという体験談も残されている。景勝地としての知名度と、峠道特有の事故の記憶が結びつき、堀切峠は宮崎県内で知られる心霊スポットの一つとして扱われている。

山道・峠
6

旧宮崎廃海軍基地跡

宮崎県宮崎市の現在の宮崎ブーゲンビリア空港一帯には、太平洋戦争中に旧日本海軍が建設した赤江飛行場の遺構が残されている。1943年に練習航空隊の基地として開設された当地は、翌1944年からは九州最大級の前線基地として機能し、3本の滑走路を持つ大規模な施設だった。1945年3月から終戦までの間、約380人の特攻隊員がここから出撃した。 現在、宮崎空港の周辺部には複数の掩体壕(えんたいごう)が存在している。特に本郷地区に散在する6基のコンクリート製掩体壕は、航空機を空襲から守るために戦中に構築された施設であり、終戦から80年以上経た今も、その直線的な輪郭を保ったまま草地に埋もれている。基地跡の北西から南東方向へ走っていた滑走路の痕跡も部分的に確認でき、西側の旧滑走路上には現在、一ツ葉有料道路が走っている。 慰霊碑が建立され、戦没者への追悼が地域に根付く場所として扱われている。

水辺
7

ホテルアイランド

宮崎市青島に近い加江田地区に、かつて「ホテルアイランド」と呼ばれる廃墟が存在した。ラブホテルとして営業していたが、建物はもともと昭和初期の結核療養施設、あるいは傷病兵を収容した陸軍病院だったという説が伝わり、廊下の奥には見取り図にない螺旋階段が続き、その先に手術室があったという噂が語られている。ただし建物の建設時期については1975年当時同じ場所に建物が確認できないとの指摘もあり、病院転用説そのものの信憑性を疑う見方も出ている。営業中に怪奇現象が相次いだために経営者が撤退し廃業したとされ、廃墟化した後は暗がりに老婆の姿を目撃した、うめき声や助けを求める声が響いたといった話が広まった。心霊写真が撮影されたとの報告もあり、稲川淳二の怪談企画「恐怖の現場」シリーズで宮崎の廃墟として紹介されたことで全国的な知名度を得た。一方で病院時代の詳細や死亡事故について自治体史や報道による裏付けは確認されておらず、これらの噂は廃墟化後に訪れた者たちの間で広まった都市伝説的な側面が強いとみられる。建物は倒壊の危険を理由に2005年に解体され、現在は跡形をとどめていない。

廃墟・残骸
8

青島神社周辺海岸

宮崎県宮崎市の青島周辺に広がる断崖は、新生代の砂岩と泥岩が交互に積み重なる「宮崎層群」が傾斜露出し、波食によって硬度差が顕著になった結果、規則正しい波状の凹凸が長さ8キロメートルにわたって連続する。この波状岩は「鬼の洗濯板」と呼ばれ、干潮時には最大100メートル幅に及ぶ景観が出現する。国指定天然記念物に指定されている。青島神社は日向神話の舞台として、彦火火出見命(山幸彦)が海神宮から帰還した地点とされ、縁結びと航海安全の守護神として祀られている。江戸期以来、潮待ちの船乗りや地域の漁業者に厚い信仰を集めてきた。 夜間の海岸では、波と風、岩の不規則な反射音が複合的に作用する。人工光が少ない環境で暗順応が進むと、岩肌の凹凸が人の顔や体に見えやすくなり、小さな音の定位が曖昧になる。これらの知覚特性と、古来からこの地に根ざした海難への記憶や神話的世界観が結びつくことで、「何かが見えた」「声が聞こえた」という主観的な報告が生まれる。地域の海運と信仰の歴史の重さが、感覚体験を通じて感じ取られている。

水辺

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久峯隧道(コツコツトンネル)
隧道・トンネル·宮崎県 宮崎市

久峯隧道(コツコツトンネル)

久峯隧道は宮崎市佐土原町下那珂の国道10号沿いにある1962年竣工、全長73メートルほどの隧道で、照明のない直線トンネルである。通称「コツコツトンネル」として知られ、この呼び名は、クラクションを3回鳴らすとコツコツという足音が響き女性の霊が近づいてくる、あるいは車の窓ガラスを叩く音が聞こえるという噂に由来する。噂の由来としては、この付近に住むある女性が許されない相手と密会する際、相手がトンネル内でクラクションを3回鳴らして合図を送っていたとする話がある。ある時、いたずらで同じ回数のクラクションを鳴らした車が通り、合図と思い込んで駆け出した女性が走行中の車にはねられて亡くなったとする筋立てが紹介されている。加えて、トンネル周辺にはかつて防空壕や火葬場の跡地があったとする説も紹介され、戦時の記憶がこの場所の不気味さを補強する要素として結び付けられている。ただしこれらはいずれも検証されていない噂であり、実際の被害者や事件の記録は確認されていない。

平和台公園
公園・城址·宮崎県 宮崎市

平和台公園

宮崎市下北方町の丘陵地に整備された都市公園で、園内には1940年に紀元二千六百年記念事業として完成した高さ36メートル余りの「平和の塔」がそびえる。塔は当初「八紘之基柱」と呼ばれ、正面には秩父宮雍仁親王の筆による「八紘一宇」の文字が刻まれていた。終戦後、GHQの指示で文字と四隅の像が撤去され、1960年代になって復元された経緯を持つ。園内のはにわ園には多数の埴輪が並び、深夜になると埴輪が動き出したり目が光るという噂が伝えられている。平和の塔の周辺では女性の霊が目撃されるとの話があり、園内の池では入水した女性の霊が現れるという話も語られている。戦争で亡くなった人々を慰霊する目的で整備された経緯から、戦死者の霊が成仏できずにいるとする説や、終戦時に集団自殺があったという噂と結び付け、その人数分の埴輪が置かれているとする話も伝えられている。はにわ園に並ぶ埴輪は400体余りとされ、目撃談では深夜に目が光ったり首が動いたりするといった現象が伝えられている。平和の塔周辺で目撃される女性の霊に関しては、遭遇すると体が動かなくなったり頭痛に見舞われたりするという体験談も伝えられている。園内の池では女性のすすり泣くような声が夜間に聞こえるとの報告もあり、入水した霊の話とあわせて語られている。これらの噂は複数の心霊情報サイトで取り上げられ、戦争慰霊の性格を持つ塔と人の姿を模した埴輪という組み合わせが怪談として定着しやすい要因になっているとみられる。公園自体は現在も日中は一般開放されており、立入禁止等の措置は特に取られていないが、夜間は人通りが少なくなることが噂の繰り返される背景になっている。

青島断崖
山道・峠·宮崎県 宮崎市

青島断崖

宮崎市青島周辺の断崖は、新生代新第三紀に海底に堆積した砂岩と泥岩が規則正しく互層をなす「宮崎層群」が地殻変動により傾斜・露出し、長年の波浪侵蝕によって形成された海岸地形である。地層の岩質の硬度差により砂岩と泥岩の溝が深く刻まれ、干潮時には幅20メートルから100メートルにわたって波状の凹凸が連なり、遠景から洗濯板に見立てた「鬼の洗濯板」という名称で知られている。国指定天然記念物に指定され、宮崎から南方8キロメートルにわたって連続する地質学的遺産である。 青島神社は「彦火火出見命が海神宮から帰還した際に青島に上陸して宮を営んだ」という山幸彦・海幸彦の神話に基づき創祀されたと伝えられ、天津日高彦火火出見命、豊玉姫命、塩筒大神を祀る。縁結びと航海安全の神として信仰されており、断崖一帯は信仰と歴史が層状に積み重なる場所である。 断崖の自然美と信仰の結合は、海を生活圏とする歴史を持つ地域社会の記憶を濃厚に反映している。一方で急傾斜・波浪・強風による転落危険が極めて高く、訪問者の安全と地域への敬意が必須である。

仏舎利塔(紫波洲崎城址)
神域・霊場·宮崎県 宮崎市

仏舎利塔(紫波洲崎城址)

仏舎利塔は宮崎市南部の折生迫、青島の南に隣接する城山公園の山頂に建つ仏塔である。この地はかつて紫波洲崎城の本丸があった場所で、室町時代に長井氏が築いた城は伊東氏四十八城の一つとされ、以後は伊東氏と島津氏による争奪の舞台となった。1480年に島津方が一時奪取したが伊東氏が奪還し、1577年に伊東義祐が豊後へ逃れた後は島津方の上井薫兼が城主を務めた。1587年の豊臣秀吉による九州征伐後は再び伊東氏の所領に戻り、江戸時代の一国一城令により廃城となった。1972年、インドのネルー首相から贈られた仏舎利を納めるため、旧本丸跡に高さ21メートルの仏舎利塔が建立された。この城跡には、戦で命を落とした武士の霊が甲冑姿で目撃されるという噂があり、塔の周辺では女性の霊の目撃談も伝えられている。塔の周りを歩くと後ろから足音が一つ多く聞こえるという体験も複数のサイトで報告されている。近隣には強盗による事件があったとされる廃屋の噂も付随しているが、こちらは裏付けとなる記録が確認されておらず、宮崎県内の別の仏舎利塔(日向市)にまつわる話と混同されている可能性も指摘されている。

堀切峠
山道・峠·宮崎県 宮崎市

堀切峠

堀切峠は宮崎市南部、国道220号の旧道沿いに位置する峠道で、太平洋を望む絶景と海岸の奇岩「鬼の洗濯板」で知られる観光地である。峠の急カーブが続く区間は、2008年にトンネルを含む新道が開通する以前、日南方面へ抜ける主要道路として利用されていた。この峠では昭和40年代、幼稚園児を乗せたバスがカーブを曲がりきれず崖下に転落し、乗員全員が死亡する事故が起きたとされる。この事故を契機に、峠周辺では子どもの霊にまつわる噂が広まったという。目撃情報としては、通行する車のボディやフロントガラスに小さな手形のようなものが浮かぶ、子どもの笑い声のような音が聞こえるといった話が伝えられている。峠道が交通の難所として利用されていた時期には、特定のカーブでの死亡事故が相次いだとの証言もあり、その事故後に赤いテールランプが不自然に現れて消えたという体験談も残されている。景勝地としての知名度と、峠道特有の事故の記憶が結びつき、堀切峠は宮崎県内で知られる心霊スポットの一つとして扱われている。

旧宮崎廃海軍基地跡
水辺·宮崎県 宮崎市

旧宮崎廃海軍基地跡

宮崎県宮崎市の現在の宮崎ブーゲンビリア空港一帯には、太平洋戦争中に旧日本海軍が建設した赤江飛行場の遺構が残されている。1943年に練習航空隊の基地として開設された当地は、翌1944年からは九州最大級の前線基地として機能し、3本の滑走路を持つ大規模な施設だった。1945年3月から終戦までの間、約380人の特攻隊員がここから出撃した。 現在、宮崎空港の周辺部には複数の掩体壕(えんたいごう)が存在している。特に本郷地区に散在する6基のコンクリート製掩体壕は、航空機を空襲から守るために戦中に構築された施設であり、終戦から80年以上経た今も、その直線的な輪郭を保ったまま草地に埋もれている。基地跡の北西から南東方向へ走っていた滑走路の痕跡も部分的に確認でき、西側の旧滑走路上には現在、一ツ葉有料道路が走っている。 慰霊碑が建立され、戦没者への追悼が地域に根付く場所として扱われている。

ホテルアイランド
廃墟・残骸·宮崎県 宮崎市

ホテルアイランド

宮崎市青島に近い加江田地区に、かつて「ホテルアイランド」と呼ばれる廃墟が存在した。ラブホテルとして営業していたが、建物はもともと昭和初期の結核療養施設、あるいは傷病兵を収容した陸軍病院だったという説が伝わり、廊下の奥には見取り図にない螺旋階段が続き、その先に手術室があったという噂が語られている。ただし建物の建設時期については1975年当時同じ場所に建物が確認できないとの指摘もあり、病院転用説そのものの信憑性を疑う見方も出ている。営業中に怪奇現象が相次いだために経営者が撤退し廃業したとされ、廃墟化した後は暗がりに老婆の姿を目撃した、うめき声や助けを求める声が響いたといった話が広まった。心霊写真が撮影されたとの報告もあり、稲川淳二の怪談企画「恐怖の現場」シリーズで宮崎の廃墟として紹介されたことで全国的な知名度を得た。一方で病院時代の詳細や死亡事故について自治体史や報道による裏付けは確認されておらず、これらの噂は廃墟化後に訪れた者たちの間で広まった都市伝説的な側面が強いとみられる。建物は倒壊の危険を理由に2005年に解体され、現在は跡形をとどめていない。

青島神社周辺海岸
水辺·宮崎県 宮崎市

青島神社周辺海岸

宮崎県宮崎市の青島周辺に広がる断崖は、新生代の砂岩と泥岩が交互に積み重なる「宮崎層群」が傾斜露出し、波食によって硬度差が顕著になった結果、規則正しい波状の凹凸が長さ8キロメートルにわたって連続する。この波状岩は「鬼の洗濯板」と呼ばれ、干潮時には最大100メートル幅に及ぶ景観が出現する。国指定天然記念物に指定されている。青島神社は日向神話の舞台として、彦火火出見命(山幸彦)が海神宮から帰還した地点とされ、縁結びと航海安全の守護神として祀られている。江戸期以来、潮待ちの船乗りや地域の漁業者に厚い信仰を集めてきた。 夜間の海岸では、波と風、岩の不規則な反射音が複合的に作用する。人工光が少ない環境で暗順応が進むと、岩肌の凹凸が人の顔や体に見えやすくなり、小さな音の定位が曖昧になる。これらの知覚特性と、古来からこの地に根ざした海難への記憶や神話的世界観が結びつくことで、「何かが見えた」「声が聞こえた」という主観的な報告が生まれる。地域の海運と信仰の歴史の重さが、感覚体験を通じて感じ取られている。