富山県公園・城址系 心霊スポット

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富山県の心霊文化

立山連峰と日本海に挟まれた富山県は、古来より立山地獄信仰の聖地として死者の魂が集う土地とされてきた。黒部峡谷の最奥に立ちはだかる黒部ダムは、171人の殉職者を出した昭和の大工事の記念碑であり、コンクリートの巨壁の底には今も男たちの労苦と無念が封じ込められている。雪と岩壁の沈黙が、北陸の闇を一層深くしている。

公園・城址という場所

城址や古戦場の上に整備された公園は、笑い声の下に幾百年の血を埋蔵する二重の地である。落城の悲劇、戦国の戦死者、処刑された武将の無念が、芝生や桜並木の根に絡みつく。行楽地化された静けさほど、地の底のざわめきを際立たせる。

松倉城跡
公園・城址·富山県 魚津市

松倉城跡

松倉城跡は魚津市南部、標高約430メートルの松倉山山頂に築かれた山城の跡である。築城は南北朝期の14世紀前半とされ、太平記にもその名が記されている。以後、桃井氏や越中守護代・椎名氏の居城として、新川地方の政治・軍事の中心を約250年にわたって担った。永禄11年(1568)、城主椎名康胤が主家の上杉謙信から離反すると、翌年上杉勢の攻撃を受けて100日に及ぶ攻防となったが持ちこたえ、謙信はいったん兵を引いた。その後も抗争が続き、元亀年間(1570年代前半)に至って松倉城は開城し、以後は上杉方の河田長親が城将となった。天正10年(1582)には麓の魚津城が織田方連合軍に攻められて落城、翌天正11年には佐々成政の軍によって松倉城も攻略され、その後慶長年間(1596~1615)頃には廃城になったと伝えられる。約250年間に及ぶ抗争の舞台となったこの城跡は、心霊が現れる場所としても知られており、合戦で命を落とした武者の霊が姿を見せるという話が伝えられている。訪れた人の間では、帰り道の車内に白い顔をした女性の姿が映り込んだという目撃談も残されている。現在は空堀や土塁、虎口などの遺構とともに山桜の名所として整備され、往時の激しい攻防の記憶を静かに残す史跡となっている。

公園・城址·富山県 魚津市

魚津城跡

魚津城は建武2年(1335年)頃に築かれたとされ、後に上杉氏の支城として北陸道を扼する要衝を守った。天正10年(1582年)、上杉景勝方の守備隊約3800人が織田軍約4万に包囲され、3ヶ月に及ぶ籠城戦の末、落城が避けられぬと悟った山本寺孝長・吉江宗信・吉江景資ら守将13人が6月3日に自刃し、多くの将兵も討死したと伝わる。実はその前日の6月2日に本能寺の変が起きていたが、守将たちはこれを知らぬまま自刃したとされ、数日後に明智光秀の謀反を知った織田軍は動揺して撤退し、空城となった城には上杉勢が再び入った。現在は遺構のほとんどが失われ、本丸跡には旧大町小学校(2018年統合)、二の丸跡には簡易裁判所などが立地し、石碑や模擬石垣、歌碑が往時を偲ばせるのみである。こうした激戦の跡地として、甲冑姿の武士のような人影が一瞬見える、風にうめき声のような音が混じる、背後に人の気配を感じるといった話が複数のサイトで紹介されている。また城跡周辺の山道を車で通過中にハンドルが不意に動かなくなり事故につながったとする話も繰り返し取り上げられており、多くの命が失われた戦場であることと結び付けて語られている。

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