新府城跡
新府城跡は、天正9年(1581年)に武田勝頼が甲斐国内での本拠移転を目的に築いた城で、七里岩と呼ばれる台地上に位置する。翌年、織田・徳川連合軍の侵攻を受けた勝頼は、わずか68日で本拠を放棄することとなり、天正10年3月、自ら城に火を放って退去した。この際、城内にいた人質の多くが焼死したことが『信長公記』に記されており、泣き悲しむ声が天に響くほどであったと伝わる。ネット上では、この落城の際に多数の人質が地下に閉じ込められたまま焼き殺されたとする説も語られているが、確かな史料による裏付けは見当たらない。廃城後の跡地は徳川氏と北条氏による争奪の場となり、そのまま使われることなく荒れ果てた経緯も、跡地の陰惨な印象を強めているとされる。この短命かつ悲劇的な落城と結びつく形で、城跡には武将や兵の霊が現れるとの噂が広まっている。目撃談としては、鎧姿の武者や、子を連れた女性の姿、夜間に浮かぶ火の玉などが挙げられ、女性の霊については赤らんだ顔で着物を着ているとの話も伝わる。本丸へ続く石段では、13段目で後ろを振り返ると落ち武者が駆け上がってくるという話が広く知られており、心霊写真が撮れやすい場所としても言及されることが多い。ネット上の投稿では、目撃される霊の多くは男性の落ち武者だとする声も見られる。現在は国指定史跡として整備され、本丸跡には勝頼を祀る神社が建てられており、日中は見学地として訪れる人も多い。