山梨県宿泊・居住跡系 心霊スポット

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山梨県の心霊文化

富士山と南アルプスに囲まれた山梨県は、霊峰の影が深く落ちる甲斐武田の旧領である。富士五湖周辺に点在する廃業旅館の代名詞・廃ホテル藤屋旅館、明治以来多くの命を呑み込んできた旧笹子トンネルと現笹子トンネル——御坂峠の濃霧、青木ヶ原樹海の静寂、そして武田滅亡の落人伝承が、富士の威容と共に山国の闇を今も色濃く保ち続けている。

宿泊・居住跡という場所

廃旅館や廃ホテルは、無数の他人が一夜の眠りと欲望を残していった「念の貯蔵庫」である。家主の急死、廃業、長期滞在者の執着が、色褪せた壁紙や朽ちた寝具に沈殿する。誰のものでもない部屋ほど、誰かの気配で満たされている。

上野原市旧甲州街道の旅人霊
宿泊・居住跡·山梨県 上野原市

上野原市旧甲州街道の旅人霊

1602年に開設された甲州街道は、江戸日本橋から信州下諏訪を結ぶ五街道の一つ。山梨県東部の上野原市には、この街道沿いに上野原宿・鶴川宿・野田尻宿・犬目宿の四つの宿場が置かれた。桂川に沿ったこの地は、大名の参勤交代、商人や行商、御嶽信仰の修験者や富士講の信者など、時代を通じて多くの旅人が行き交う要衝であった。 旧街道筋には、今日も本陣跡や脇本陣跡、一里塚、常夜灯が残存し、道脇には旅路で急病や疲労のために倒れた者を供養する地蔵や馬頭観音が多数祀られている。深夜に旧街道を歩くと、自分の足音に続いて藁草履のような乾いた音が背後に聞こえる、常夜灯の光の中に菅笠と道中合羽の人影が見える、といった現象がしばしば報告されている。本来、これらは宿場を支えた人々と旅の途上で命を失った者への記憶の痕跡であり、街道文化の中で供養と敬意の対象として静かに受け継がれてきた伝承である。

廃ホテル 藤屋旅館
宿泊・居住跡·山梨県 富士吉田市

廃ホテル 藤屋旅館

山梨県富士吉田市の北東部、富士山の北麓に広がる森林帯のなかに、廃旅館が一軒残っている。藤屋旅館と呼ばれてきた木造二階建ての小宿で、富士講と呼ばれる江戸時代以来の富士山信仰の参拝者を主な客として営業していた歴史を持つ。 富士講は、江戸時代中期から明治期にかけて関東一円に広まった富士山への信仰登拝の組織である。江戸の町人たちが講と呼ばれる集団を作って、毎年代表者が富士山頂への登拝に出かけた。北麓の吉田口は主要な登拝路のひとつで、麓の北口本宮冨士浅間神社で参拝してから、御師の宿坊や旅館で身を清めて山に向かうのが習わしだった。藤屋旅館もそうした宿のひとつとして、近代まで営業を続けた。 富士登山が大衆化し、ホテルや山小屋が整備されるに伴って、御師宿や旧来の宿坊系の宿は徐々に役目を終えていった。藤屋旅館も平成期に営業を停止したと地元では言われているが、正確な閉業年は記録に残っていない。木造建築のため雨風による劣化が早く、現在は屋根の一部に損傷、壁面のひび割れ、窓枠の歪みなどが進行している。 敷地は私有地で立入禁止である。富士吉田市はかつての富士講関連の建造物を文化資源として保存する取り組みを段階的に進めており、御師の家屋群のいくつかは市の指定文化財として整備された。藤屋旅館自体は文化財指定の対象になっていないが、富士講の宿として営業してきた歴史を示す建物として、地域の郷土史研究家による調査が行われた経緯がある。 敷地外周は山道に接しており、外観のみであれば道路から見学が可能。ただし周辺には民家もあり、深夜の訪問や私有地への立入は迷惑行為に当たる。富士吉田市は富士信仰の歴史を学ぶ目的の見学であれば、市営の御師の家「外川家住宅」(指定文化財、一般公開)を勧めている。

真田邸跡
宿泊・居住跡·山梨県 甲府市

真田邸跡

山梨県甲府市に現存する真田邸跡は、戦国時代に甲斐の武田家に仕えた真田氏の一族が居住していたとされる屋敷の遺構である。真田幸綱は武田信玄の配下として「武田二十四将」に数えられ、その子・昌幸は天文22年(1553年)7歳で甲斐へ人質として下り、武田信玄の側近衆として約20年間を甲府で過ごした。昌幸は信玄の信頼を得て足軽大将から奉行人へと昇進し、甲府での長期滞在を通じて戦国大名の統治術を学んだ。邸跡周辺は甲府の城下町整備に際して武田家臣団の屋敷地が集中した地域であり、石垣の断片や土塁の痕跡が現在も地層に残されている。この地で培われた経験は、昌幸が後年、独立した大名として信州に君臨する基盤となった。邸跡はネット上で心霊現象の報告を受けることがあるが、目撃談は一般化・形式化されたもので、実質的な根拠の確認は難しい。

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