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金沢市の心霊スポット

6 スポット5 カテゴリ

金沢市の人気スポット TOP6

1

旧金沢廃花街跡

金沢市の旧市街に残る廃屋群は、江戸期から昭和初期にかけて栄えた花街の痕跡である。用水路沿いに立ち並んでいた格子戸の町家は、その後の都市開発の中で部分的に保存され、部分的に放棄されてきた。金沢は東茶屋街、西茶屋街、主計町茶屋街という三つの著名な茶屋文化地区を擁する城下町で、この廃花街跡はそれらの周辺に位置する。廃屋化した木造建築が生み出す夜間の音響環境は、家屋の隙間や用水を通じた風音・水音が複雑に反響することに由来する。低照度環境では、風に揺れる古い建具の影や用水の暗い水面が視覚的な不確実性を増幅させる。街の急速な変化に取り残された場所として、廃屋と水辺のコンビネーションが特異な空間的印象を形成している。

水辺
2

鷹の巣トンネル

鷹の巣トンネルは石川県金沢市上辰巳町、犀川ダムへ向かう道路沿いに位置する平成7年(1995年)完成、全長291メートルの隧道である。付近には戦国期に鷹巣城という山城が存在したとされ、佐久間盛政や前田利家が城主として名を連ねたと伝わる。築城は16世紀後半、廃城は16世紀末とされ、天正13年(1585年)頃にはこの一帯で合戦があったという伝承も残っている。トンネルが開通する以前の旧道でも、幽霊を見たという声があったと複数の記録に見られる。現在のトンネルについては、内部を行き来する女性の姿を見たという目撃情報が繰り返し報告されており、危害や事故につながる話は特に確認されていない。トンネル入口付近には小さな祠が設けられ、菩薩像とともに供養のための品が置かれている。整備の行き届いた比較的新しい構造物であるにもかかわらず、こうした目撃談が絶えないことから、周辺の歴史的背景と結び付けて語られることが多い。

隧道・トンネル
3

旧陸軍第九師団司令部庁舎(石川県庁舎石引分室・現 国立工芸館)

石川県金沢市にある旧陸軍第九師団司令部庁舎は、日清戦争後の師団増設にともない明治三十一年に置かれた第九師団の中枢である。庁舎そのものは金沢城の二の丸跡に木造二階建ての洋館として建てられ、のちに移築されて両翼が縮められ、長く県庁舎石引分室として保存・利用された。第九師団は富山・石川・福井の北陸各県から集められた兵で編成され、日露戦争では旅順攻囲戦に投入されて連隊長級にも及ぶ大きな損害を出したほか、太平洋戦争末期には沖縄防衛の第三十二軍に編入されたのち台湾へ転出している。金沢が「軍都」と呼ばれた時代、この司令部からは数多くの将兵が動員・出征し、戻ることのなかった者も少なくなかった。 現在の建物は登録有形文化財であり、令和二年からは移築・復元のうえ国立工芸館として活用され、隣接する赤煉瓦の旧兵器庫群(現・石川県立歴史博物館)とともに近代金沢の軍事遺構をなしている。戦地で失われた命の記憶と結びつくことから、動員と出征の場を今に伝える建築として、亡き将兵をめぐる話に重ねて語られることがある。もっとも個々の怪異を裏づける確かな記録は乏しく、むしろ戦争の惨禍と平和の意味を後世へ伝える歴史遺産としての役割が大きい場所である。

廃墟・残骸
4

熊走大橋

熊走大橋は石川県金沢市熊走町、辰巳ダムより上流の犀川に架かる橋で、水面までの高さは約50メートルに及ぶ。1977年(昭和52年)に架橋され、それ以前は地元の人々が日常的に利用する吊り橋がこの場所にあったとされる。橋の名は、かつて熊がこの橋を走って渡ったという逸話に由来するという説が伝わる。 現在は転落防止のため欄干が高く改修されているが、以前は容易に乗り越えられる高さだったとされ、飛び降りによる事故が繰り返し起きた場所として知られてきた。ネット上の記事では、以前は年間に複数件の投身事故が発生していたとする記述もある。こうした経緯から、橋の上に男性らしき人影が立っているのを見たという目撃談が複数のまとめで伝えられており、写真撮影時に光の輪のようなものが写り込むとする報告も多い。橋のたもとに設置されたカーブミラーに映る女性の姿を見た者は帰路で事故に遭うという話も広まっている。 橋には小学生が描いたとされる絵が掲示されており、自殺防止対策の一環とも考えられているが真意は定かでない。明るい絵柄と夜間の橋の雰囲気との落差が却って不気味さを増すと指摘する記事もある。現在も道幅が狭く交通量は少なく、積雪や落石で通行止めになることもあるという。

橋・高架
5

卯辰山公園(解剖体墓地・長崎キリシタン殉教者の碑)

金沢市街を見下ろす卯辰山公園には、性質の異なる二つの慰霊地が並んで残る。一つは明治16年(1883)に建てられた「解剖体墓地」で、当時の医学生が解剖実習に用いた献体を弔うために造られた。もう一つは1968年に金沢カトリック教会が建立した「長崎キリシタン殉教者の碑」で、明治3年(1870)に長崎浦上のキリシタン約500人が加賀藩へ流され、監禁生活の末に100人以上が命を落とした史実を伝える。1998年には付近のトンネル工事で人骨が発見され、当時の犠牲者との関連が指摘された。こうした背景から、解剖された遺体の魂が自らの身体の一部を探し求めて霧の中を彷徨う、成仏できない霊が出るなどの噂が広まっている。日中は静かな公園だが、夜になると雰囲気が一変するとの声もある。

神域・霊場
6

野田山墓地(加賀藩主前田家墓所)

野田山は金沢城から南西へ約3.5キロ、標高175メートルほどの丘陵地にある金沢市最大級の墓地である。1587年、加賀藩祖前田利家が兄・利久をこの地に葬ったことに始まり、以後歴代藩主とその正室の多くがここに埋葬された。前田家墓所は約8.6ヘクタールに及び、土を四角く盛り上げた古墳のような形状の墓が約80基並び、江戸時代の大名墓所としては会津藩に次ぐ規模とされる。2009年には国の史跡に指定されている。明治以降は金沢市が管理する市営墓地や、戊辰戦争から太平洋戦争期の陸軍関係者や日露戦争のロシア人捕虜も葬られた戦没者墓苑が併設され、時代の異なる多くの死者が眠る場所となった。近年は明治期に金沢を離れた人々の先祖の墓が無縁化する例も増えているという。こうした背景から、この一帯では落ち武者姿の霊や、参勤交代の列をなす武士の霊、白い着物の女性の霊を見たという報告があり、女性の霊が車内を覗き込んで「違う」と言い残して消えたという話や、駐車した車に手のひらの跡や刃物で付けたような傷が残っていたとする話、車のエンジンが動かなくなったという体験も伝えられている。墓地で騒いだ帰り道に事故に遭うという噂も語られており、複数の心霊系サイトで石川県を代表するスポットの一つとして紹介されている。

神域・霊場

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旧金沢廃花街跡
水辺·石川県 金沢市

旧金沢廃花街跡

金沢市の旧市街に残る廃屋群は、江戸期から昭和初期にかけて栄えた花街の痕跡である。用水路沿いに立ち並んでいた格子戸の町家は、その後の都市開発の中で部分的に保存され、部分的に放棄されてきた。金沢は東茶屋街、西茶屋街、主計町茶屋街という三つの著名な茶屋文化地区を擁する城下町で、この廃花街跡はそれらの周辺に位置する。廃屋化した木造建築が生み出す夜間の音響環境は、家屋の隙間や用水を通じた風音・水音が複雑に反響することに由来する。低照度環境では、風に揺れる古い建具の影や用水の暗い水面が視覚的な不確実性を増幅させる。街の急速な変化に取り残された場所として、廃屋と水辺のコンビネーションが特異な空間的印象を形成している。

隧道・トンネル·石川県 金沢市

鷹の巣トンネル

鷹の巣トンネルは石川県金沢市上辰巳町、犀川ダムへ向かう道路沿いに位置する平成7年(1995年)完成、全長291メートルの隧道である。付近には戦国期に鷹巣城という山城が存在したとされ、佐久間盛政や前田利家が城主として名を連ねたと伝わる。築城は16世紀後半、廃城は16世紀末とされ、天正13年(1585年)頃にはこの一帯で合戦があったという伝承も残っている。トンネルが開通する以前の旧道でも、幽霊を見たという声があったと複数の記録に見られる。現在のトンネルについては、内部を行き来する女性の姿を見たという目撃情報が繰り返し報告されており、危害や事故につながる話は特に確認されていない。トンネル入口付近には小さな祠が設けられ、菩薩像とともに供養のための品が置かれている。整備の行き届いた比較的新しい構造物であるにもかかわらず、こうした目撃談が絶えないことから、周辺の歴史的背景と結び付けて語られることが多い。

旧陸軍第九師団司令部庁舎(石川県庁舎石引分室・現 国立工芸館)
廃墟・残骸·石川県 金沢市

旧陸軍第九師団司令部庁舎(石川県庁舎石引分室・現 国立工芸館)

石川県金沢市にある旧陸軍第九師団司令部庁舎は、日清戦争後の師団増設にともない明治三十一年に置かれた第九師団の中枢である。庁舎そのものは金沢城の二の丸跡に木造二階建ての洋館として建てられ、のちに移築されて両翼が縮められ、長く県庁舎石引分室として保存・利用された。第九師団は富山・石川・福井の北陸各県から集められた兵で編成され、日露戦争では旅順攻囲戦に投入されて連隊長級にも及ぶ大きな損害を出したほか、太平洋戦争末期には沖縄防衛の第三十二軍に編入されたのち台湾へ転出している。金沢が「軍都」と呼ばれた時代、この司令部からは数多くの将兵が動員・出征し、戻ることのなかった者も少なくなかった。 現在の建物は登録有形文化財であり、令和二年からは移築・復元のうえ国立工芸館として活用され、隣接する赤煉瓦の旧兵器庫群(現・石川県立歴史博物館)とともに近代金沢の軍事遺構をなしている。戦地で失われた命の記憶と結びつくことから、動員と出征の場を今に伝える建築として、亡き将兵をめぐる話に重ねて語られることがある。もっとも個々の怪異を裏づける確かな記録は乏しく、むしろ戦争の惨禍と平和の意味を後世へ伝える歴史遺産としての役割が大きい場所である。

橋・高架·石川県 金沢市

熊走大橋

熊走大橋は石川県金沢市熊走町、辰巳ダムより上流の犀川に架かる橋で、水面までの高さは約50メートルに及ぶ。1977年(昭和52年)に架橋され、それ以前は地元の人々が日常的に利用する吊り橋がこの場所にあったとされる。橋の名は、かつて熊がこの橋を走って渡ったという逸話に由来するという説が伝わる。 現在は転落防止のため欄干が高く改修されているが、以前は容易に乗り越えられる高さだったとされ、飛び降りによる事故が繰り返し起きた場所として知られてきた。ネット上の記事では、以前は年間に複数件の投身事故が発生していたとする記述もある。こうした経緯から、橋の上に男性らしき人影が立っているのを見たという目撃談が複数のまとめで伝えられており、写真撮影時に光の輪のようなものが写り込むとする報告も多い。橋のたもとに設置されたカーブミラーに映る女性の姿を見た者は帰路で事故に遭うという話も広まっている。 橋には小学生が描いたとされる絵が掲示されており、自殺防止対策の一環とも考えられているが真意は定かでない。明るい絵柄と夜間の橋の雰囲気との落差が却って不気味さを増すと指摘する記事もある。現在も道幅が狭く交通量は少なく、積雪や落石で通行止めになることもあるという。

神域・霊場·石川県 金沢市

卯辰山公園(解剖体墓地・長崎キリシタン殉教者の碑)

金沢市街を見下ろす卯辰山公園には、性質の異なる二つの慰霊地が並んで残る。一つは明治16年(1883)に建てられた「解剖体墓地」で、当時の医学生が解剖実習に用いた献体を弔うために造られた。もう一つは1968年に金沢カトリック教会が建立した「長崎キリシタン殉教者の碑」で、明治3年(1870)に長崎浦上のキリシタン約500人が加賀藩へ流され、監禁生活の末に100人以上が命を落とした史実を伝える。1998年には付近のトンネル工事で人骨が発見され、当時の犠牲者との関連が指摘された。こうした背景から、解剖された遺体の魂が自らの身体の一部を探し求めて霧の中を彷徨う、成仏できない霊が出るなどの噂が広まっている。日中は静かな公園だが、夜になると雰囲気が一変するとの声もある。

野田山墓地(加賀藩主前田家墓所)
神域・霊場·石川県 金沢市

野田山墓地(加賀藩主前田家墓所)

野田山は金沢城から南西へ約3.5キロ、標高175メートルほどの丘陵地にある金沢市最大級の墓地である。1587年、加賀藩祖前田利家が兄・利久をこの地に葬ったことに始まり、以後歴代藩主とその正室の多くがここに埋葬された。前田家墓所は約8.6ヘクタールに及び、土を四角く盛り上げた古墳のような形状の墓が約80基並び、江戸時代の大名墓所としては会津藩に次ぐ規模とされる。2009年には国の史跡に指定されている。明治以降は金沢市が管理する市営墓地や、戊辰戦争から太平洋戦争期の陸軍関係者や日露戦争のロシア人捕虜も葬られた戦没者墓苑が併設され、時代の異なる多くの死者が眠る場所となった。近年は明治期に金沢を離れた人々の先祖の墓が無縁化する例も増えているという。こうした背景から、この一帯では落ち武者姿の霊や、参勤交代の列をなす武士の霊、白い着物の女性の霊を見たという報告があり、女性の霊が車内を覗き込んで「違う」と言い残して消えたという話や、駐車した車に手のひらの跡や刃物で付けたような傷が残っていたとする話、車のエンジンが動かなくなったという体験も伝えられている。墓地で騒いだ帰り道に事故に遭うという噂も語られており、複数の心霊系サイトで石川県を代表するスポットの一つとして紹介されている。