
一条戻橋
一条戻橋は平安京造営当初から堀川に架かる橋で、現在の橋は1995年に架け替えられたもので、旧橋の親柱などの部材は晴明神社境内に移設され、小型の橋として復元・保存されている。橋の名は918年、文章博士・三善清行の葬列がこの橋を通った際、修行中だった息子の浄蔵が経を唱えると清行が一時息を吹き返したという故事に由来するとされる。陰陽師・安倍晴明は使役する式神の姿を妻が恐れたため、橋の下に隠して必要な時だけ呼び出していたという伝承も残る。また源頼光の家臣・渡辺綱がこの橋で美女と遭遇し、正体を現した鬼女に髪をつかまれ愛宕山の方へ引き上げられたのち、腕を切り落として撃退したという説話も知られる。天正19年(1591年)には千利休が切腹の後、その首が晒された場所とも伝わる。慶長元年(1597年)には豊臣秀吉の命によりキリスト教徒24名がこの橋で左耳を切り落とされ、市中を引き回された末に長崎で処刑された、日本二十六聖人の事件の現場ともされる。こうした経緯から、この橋は生者の世界と死者の世界を分ける境界とみなされ、平安時代には都から死者を送り出す葬送路の一部だったとする指摘もある。現在もこの橋を巡る噂として、夜間に人影や気配を感じたという声が伝えられている。
