神奈川県公園・城址系 心霊スポット

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神奈川県の心霊文化

幕末の開港地・横浜と鎌倉武士の古戦場を併せ持つ神奈川県は、海と山と異国の記憶が混じり合う土地である。三浦一族の壮絶な集団自害を伝える油壺、ダム湖底に集落と工事犠牲者を沈めた相模湖、夭折した青年の名を刻む旧善波トンネル、外国人墓地の眠る山手——戦国の海戦から近代の悲劇まで、多層の死者の声が湿った潮風に紛れて聞こえてくる。

公園・城址という場所

城址や古戦場の上に整備された公園は、笑い声の下に幾百年の血を埋蔵する二重の地である。落城の悲劇、戦国の戦死者、処刑された武将の無念が、芝生や桜並木の根に絡みつく。行楽地化された静けさほど、地の底のざわめきを際立たせる。

城ヶ島公園
神奈川県 三浦市·公園・城址

城ヶ島公園

三浦半島南端に位置する城ヶ島公園は、江戸時代後期の1808年に浦賀奉行が外国船を監視するために築いた砲台を起源とし、関東大震災後の1923年以降は東京湾要塞の一部として本格的な砲台が整備された。1926年には廃艦となった戦艦「安芸」の副砲塔2基が特殊起重機船で運び込まれて転用され、周囲は偽の民家で偽装されるとともに、地下には火薬庫や通路が構築された。1945年の終戦まで軍事施設として使われ、1958年に神奈川県立公園として開園し、1960年の城ヶ島大橋架橋以降は砲座跡の一部が駐車場や花壇に転用された。現在も園内には砲台跡や地下壕の入口が残されている。この歴史を持つ公園では、着物姿の女性が並木道や展望台付近から海を見つめている姿が目撃されるという噂がある。声をかけずに後を追うと崖の方向へ導かれるという話や、軍人らしき人影が敷地内を歩く姿を見たとする報告も伝わる。夜間には周囲に人の姿がないにもかかわらず口笛や歌声のような音、足音が聞こえたとする体験も複数のサイトで紹介されている。こうした女性の霊や気配に関する噂は複数の心霊系まとめサイトで取り上げられており、着物姿の霊が写り込んだとされる写真の話が紹介される場合もある。

小田原城跡(小田原城址公園)
神奈川県 小田原市·公園・城址

小田原城跡(小田原城址公園)

神奈川県小田原市に残る小田原城跡(小田原城址公園)は、戦国時代に北条氏五代の本拠として関東に勢力を誇った城の遺構である。1590年の小田原征伐では豊臣秀吉率いる大軍に包囲され、数ヶ月に及ぶ籠城戦の末に北条氏は滅亡した。明治の廃城令を経て公園として整備され、現在は復興天守や石垣、堀跡が残り、観光客の訪れる歴史公園となっている。 この地では複数の目撃談が伝えられている。園内の大木のそばで、白く煙のような輪郭をした人影が現れ、目撃者が石垣を越えて逃げると、その人影はなおも高い場所からこちらを見下ろしていた(それ以上追ってくることはなかった)という報告がある。目撃者はその人影を、かつて城を守っていた武士ではないかと推測している。また園内を訪れた一行のうち一人が急に様子を変え、後になって「落ち武者らしき人に追われた」と語ったとする話も残されている。 こうした噺は、大軍に囲まれて命を落とした城兵や領民の記憶が、復元された城郭の景観と重なり合うことで生まれたものとして語られることがある。

夢見ヶ崎動物公園
神奈川県 川崎市幸区·公園・城址

夢見ヶ崎動物公園

川崎市幸区の丘陵地にある夢見ヶ崎動物公園は、室町時代の武将・太田道灌がこの高台に築城を試みたものの、不吉な夢を見たために計画を断念したという伝承にちなんで名付けられたとされる。園内には加瀬台古墳群と呼ばれる複数の古墳が残り、東側の一角には戦没者慰霊塔が建立されている。1945年4月には川崎の市街地が空襲による被害を受けており、その記憶も土地の歴史に刻まれている。 こうした背景のもと、いくつかの心霊スポット紹介サイトでは、園内の公衆トイレや遊具、電話ボックス、慰霊塔の周辺で白っぽい服を着た女性の姿を見た、あるいは声を聞いたという目撃談が取り上げられている。園内に残る防空壕跡の付近では肩をつかまれる、あるいは内部へ引き込まれそうになったという体験談も紹介されており、慰霊塔付近でろうそくの火のようなものが見えたという話も見られる。過去に園内で人が発見されたとする記述も一部サイトにあるが、経緯を確認できる公的な記録は見当たらず、複数の紹介サイトで似た内容が繰り返される点にも留意が必要である。

小机城址
神奈川県 横浜市港北区·公園・城址

小机城址

小机城址は横浜市港北区に残る中世の城跡で、現在は「小机城址市民の森」として整備されている公園である。築城時期は15世紀前半とされ、正確な年代は判明していないが、上杉氏によって築かれたと伝わる。文明8年(1476年)に長尾景春が主家に反旗を翻した「長尾景春の乱」では、小机城は景春方の拠点となり、文明10年(1478年)に太田道灌の軍勢による攻城戦の末、約2ヶ月で落城したと伝わる。その後天正18年(1590年)の小田原征伐に際しても城は明け渡されたとされる。園内には竹林や空堀、土塁の遺構が残り、合戦で命を落とした者を弔うためとされる九養塚や十三塚、赤田谷戸と呼ばれる一帯が存在する。こうした戦没者供養の地を背景に、園内では黒猫を抱いた女性の姿をした霊や、鎧姿の武士の霊が竹林や空堀付近を歩いているという目撃談が伝えられている。竹林の奥から足音が響く、夜間に背後から冷たい気配を感じるといった体験も語られている。近年もSNSや心霊系サイトを通じて訪問者の体験談が投稿され続けている。

衣笠城址
神奈川県 横須賀市·公園・城址

衣笠城址

衣笠城址は横須賀市衣笠町にある中世の山城跡で、康平年間(1058~1064)に三浦為通が築いたとされ、以後為継・義継・義明と四代にわたり三浦氏の本拠として三浦半島経営の中心を担った。1180年8月、源頼朝の挙兵に応じた三浦義明が平家方の大軍を迎えて籠城したが衆寡敵せず落城し、義明は高齢の身で討死したと伝わる(享年は史料により「八十余」「79」「84」など諸説あり、衣笠合戦)。城は大谷戸川と深山川に挟まれた丘陵を天然の堀とした構造で、現在は境内に大善寺が建ち、最高所の物見岩には城跡碑が置かれている。1966年に市の史跡に指定された。この古戦場跡は心霊スポットとしても知られ、夜間に討死した武士の霊が現れるという噂がある。物見岩周辺では葉を踏むような足音や女性の叫び声のような声が聞こえるとの話があり、山の上から発する正体不明の呻き声や、後を付けられているような気配を感じたという報告も存在する。一部ではこうした物音を、山中に棚む天狗の仕業と結び付ける見方もある。実際に具体的な恐怖体験を詳細に記した投稿は少なく、噂の域を出ない部分も多いとされる。

塚山公園
神奈川県 横須賀市·公園・城址

塚山公園

塚山公園は横須賀市西逸見町・山中町・長浦町にまたがる標高133メートルの丘に位置する県立公園で、江戸時代に徳川家康の外交顧問を務めたイギリス人航海士ウィリアム・アダムス、和名三浦按針の墓「按針塚」があることで知られる。按針塚は江戸幕府の鎖国政策下で一時放置されたが、明治5年にイギリス人貿易商が発見し修復を進め、明治39年の大改修を経て大正12年に国の史跡に指定された。桜の名所であり「港の見える丘」と呼ばれる展望スポットも整備されている。一方でこの公園は、過去に起きた出来事から心霊スポットとしても知られている。1978年11月には園内北西の雑木林で身元不明の中年男性の遺体が発見され、自殺として処理された。さらに2008年9月には、園内で中年の男女2人が縄で首を吊った状態で発見され、近くの住居で若い女性の遺体も見つかったことから、両親が娘を手にかけた後に命を絶った事件とみられている。こうした経緯から、園内では男性の霊や、桜の木で自ら命を絶った女性の霊が出るという噂が伝えられている。

源氏山公園
神奈川県 鎌倉市·公園・城址

源氏山公園

源氏山公園は鎌倉市扇ガ谷に広がる都市公園で、1956年に都市計画決定され1966年に開園した。後三年の役の際、源義家(八幡太郎義家)がこの山に源氏の白旗を掲げて戦勝を祈願したという伝承にちなみ「旗立山」の別名でも呼ばれる。公園の北西に位置する葛原岡は古くからの刑場であったとされ、元弘2年(1332)、鎌倉幕府打倒の計画に加わった後醍醐天皇の側近・日野俊基がこの地で処刑されたと伝わる。俊基を祭神とする葛原岡神社と、国指定史跡となっている墓所(供養塔)が今も園内に残されている。こうした処刑場としての歴史を背景に、この一帯では落武者や処刑された者の霊が出没するという噂がインターネットの心霊スポット紹介サイトや動画配信を中心に語られており、夜間に供養塔付近で足音を聞いたという話や、撮影した写真に不可解な写り込みがあったとする報告も見られる。近年は自殺者の霊にまつわる話も加わっているとされ、複数の心霊系サイトや配信コンテンツで取り上げられる対象となっている。

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