神奈川県山道・峠系 心霊スポット

5 件の「山道・峠」に絞り込み

神奈川県の心霊文化

幕末の開港地・横浜と鎌倉武士の古戦場を併せ持つ神奈川県は、海と山と異国の記憶が混じり合う土地である。三浦一族の壮絶な集団自害を伝える油壺、ダム湖底に集落と工事犠牲者を沈めた相模湖、夭折した青年の名を刻む旧善波トンネル、外国人墓地の眠る山手——戦国の海戦から近代の悲劇まで、多層の死者の声が湿った潮風に紛れて聞こえてくる。

山道・峠という場所

峠は古来、村境を越える者を試す結界であった。修験道の行場、行き倒れの旅人、街道筋を彩った辻斬りや山賊の血が、杉木立の闇に折り重なる。山姥や天狗の伝承は、迷えば二度と戻れぬ山の不可知に対する、先人の畏れの結晶である。

南足柄市足柄峠の峠の亡者
神奈川県 南足柄市·山道・峠

南足柄市足柄峠の峠の亡者

神奈川県と静岡県の境に位置する足柄峠は、万葉集にも詠まれた古い峠道で、東海道の難所として知られている。中世から近世にかけては合戦の舞台にもなり、多くの人命が失われた土地である。 本サイトの投稿から報告されているのは、夜間に訪れた利用者がスマホの電池の急な消耗を経験した、また野生動物が逃げていくのを目撃したという観察である。地域の伝承では、昔から不気味な場所として認識されており、実際に訪問した人物が「二度と行かない」と語ったという報告も記録されている。 足柄峠は急勾配の山道で、霧と降雨に弱く、視界が悪くなりやすい。訪問する場合は日中に正規の登山道を利用し、危険な時間帯の通行は避けること。

犬越路隧道
神奈川県 山北町·山道・峠

犬越路隧道

犬越路隧道は、神奈川県足柄上郡山北町中川と相模原市緑区、山梨県道志村を結ぶ交通路として1970年(昭和45年)3月に開通した、全長約800メートルの林道トンネルである。標高1060メートルの犬越路峠付近、標高約900メートルの地点に位置し、照明はなく、現在は南北両側の林道で土砂崩落が相次いだため車両の通行が禁止されている。峠へ至る道は開通当初から利用が限られ、現在は南側ゲートからトンネルまで徒歩で4〜5キロメートルを要する。 このトンネルについては、天井から女性の霊が逆さまに下がり、通行する者を見下ろすという話が伝わっている。女性がトンネルを通過すると霊に取り憑かれ、白目をむいて笑い出すといった噂も存在する。近隣の池で女性の遺体が発見されたという話も一部で伝わっているが、これを裏付ける公的な記録は確認されていない。峠の名は、戦国時代に武田信玄が北条氏の小田原を攻める際、犬を先導役として峠を越えたという伝承に由来するとされ、地名研究では険しい道を意味する方言「イノ」が転化したものとする説もある。

相模湖
神奈川県 相模原市緑区·山道・峠

相模湖

神奈川県相模原市緑区、相模川中流域に造成された相模ダムによってできた人造湖が相模湖である。湖面標高167メートル、満水面積3.26平方キロメートル、総貯水量約6,330万立方メートル。日本初の多目的ダム湖として、洪水調節、上水道、工業用水、発電を兼ねる目的で計画された。 ダム計画は昭和初期に始まる。神奈川県と東京府の急速な工業化・都市化に対応するため、神奈川県土木部が1938年(昭和13年)に相模川総合開発計画を策定した。建設工事は1940年(昭和15年)に着工し、第二次世界大戦の混乱を挟んで1947年(昭和22年)に完成、湛水を開始した。 建設工事には延べ約360万人の労働力が動員された。戦時下の資材難・労働力不足という背景のなか、内地の労働者だけでは到底まかなえず、当時の国家動員体制の下、朝鮮半島出身の労働者と中国人捕虜が砂利採取や運搬作業に動員された。神奈川県と当時の各事業者の記録、戦後の調査によって、朝鮮人約800名、中国人約290名の動員規模が確認されている。 工事による殉職者は確認できる範囲で83名にのぼる。神奈川県は1990年代に湖畔の県立相模湖公園内に湖銘碑を建立、戦時動員の日本人・朝鮮人・中国人の名前を刻み、毎年慰霊行事を継続している。神奈川県と相模原市の郷土資料は、当時の動員と殉職の実態を後世に伝える資料として公開されている。 ダム湖の建設に先立ち、湖底に沈んだ集落として勝瀬地区が知られる。約100戸の住民が湖底化の補償を受けて湖畔の高台や他地域へ移住した。当時の地形図、移住前後の写真、住民の証言記録は相模原市立博物館に収蔵されている。 戦後、相模湖は首都圏近郊の観光地として整備され、ボート遊覧、釣り、ピクニックで親しまれてきた。湖畔には相模湖公園、相模湖プレジャーフォレスト、勝瀬橋などがあり、JR中央本線の相模湖駅から徒歩でアクセスできる。秋には湖畔の紅葉と県境の山々の眺望が楽しめる。湖を渡る遊覧船は通年運航している。

ヤビツ峠
神奈川県 秦野市·山道・峠

ヤビツ峠

ヤビツ峠は神奈川県秦野市を通る県道70号(秦野清川線)上、標高761メートルに位置する峠で、丹沢表尾根や大山への登山口であるとともに、自転車のヒルクライムコースとしても親しまれている。峠名の由来は、旧道の改修時に矢を収める箱「矢櫃」が出土したことによるとされ、戦国時代に甲斐の武田氏と小田原の北条氏が争った合戦に関連する遺物との伝承が残る。この歴史的背景から、合戦で命を落とした武者の霊が峠にとどまっているという話が、心霊スポットとしての噂の土台になっている。 具体的な怪異としては、深夜に峠道を車で走行中、後方から老婆や若い女性の霊が追いかけてくるという体験がしばしば紹介される。ほかにも、カーブミラーに女性の顔が映り込む、白い影が車体に取り憑く、菜の花台展望台付近の崖際で足元がすくわれるような感覚を覚えるといった現象が伝えられている。 峠は急カーブが連続する山道で、二輪車や自動車の走行が集まる場所としても知られ、こうした地での事故の多さが霊の仕業とする噂の一因になっているとも語られる。2018年3月30日夜には、菜の花台展望台の公衆トイレでロープに重みがかかった状態が発見され、居合わせた人物のSNS投稿と警察の対応の様子が広く拡散した。こうした実際の出来事が、峠に伝わる怪談と結び付けて語られている。

名越切通
神奈川県 逗子市·山道・峠

名越切通

名越切通は鎌倉市南東部から逗子市小坪にかけて続く古道で、鎌倉時代にはすでに鎌倉と三浦半島を結ぶ主要な交通路として使われていた。「名越」の地名は、道が険しく通行が困難だったことから「難越(なこし)」と呼ばれたことに由来するとされる。1966年に国の史跡に指定され、2016年には日本遺産の構成文化財にも認定された歴史ある峠道である。 沿道にあるまんだら堂やぐら群は、鎌倉時代から室町時代にかけて武士や僧侶らの墓所として使われた横穴群で、百数十基の墓穴が斜面に密集して残る。この一帯では鎌倉幕府にまつわる合戦も起きたとされ、そうした歴史的経緯から、切通を歩く鎧姿の人影を見た、背後から追ってくるような足音を聞いたという話が伝えられている。急に冷たい風を感じる、無数の視線を感じるといった体験も紹介され、撮影した写真に光の粒状のもの(オーブ)が写り込むとする報告もある。近隣の小坪トンネルと合わせて紹介されることが多い。

神奈川県の他のカテゴリ