
旧長野トンネル(長野峠)
三重県津市と伊賀市の境にある長野峠は、飛鳥・奈良時代に朝廷と伊勢神宮を結んだ奈良街道の要衝で、古くは馬野峠と呼ばれていたが、鎌倉時代後期に勢力を伸ばした長野工藤氏にちなみ長野峠と改められたと伝わる。江戸時代には藤堂藩が整備した伊賀街道の一部として利用された。峠には明治・昭和・平成の三世代のトンネルが残り、明治18年に竣工した花崗岩造りの初代トンネルは、着工から4年7か月、ノミとツルハシのみで掘り進めた難工事だったとされる。この工事中の崩落事故で亡くなった作業員の霊が、内部に残るとされる無数の白い手形の由来として語られている。昭和14年に完成した二代目トンネルでは、交通事故による死者の霊や、着物姿の女性、落ち武者、人魂などの目撃情報が複数報告されており、車の後部座席に何者かが座る気配や、フロントガラスに人影が現れたという体験も伝えられている。平成20年の新トンネル開通後、旧トンネルは崩落の危険から封鎖され、現在は立ち入りができない状態にある。

