群馬県水辺系 心霊スポット

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群馬県の心霊文化

上州の山々と利根川に抱かれた群馬県は、明治の鉄道開通と峠越えの労苦が刻まれた地である。明治期に碓氷峠を貫いた旧熊ノ平駅では昭和の落盤事故で死者を出し、レンガ造りのめがね橋には工事犠牲者の影が漂う。新田義貞の故地でもある旧三国峠、地元で最恐と語られる畑トンネル——峠と鉄路に染みついた労働者と武者たちの記憶は、今もこの上州に息づいている。

水辺という場所

湖沼や淵は龍神を宿す聖域とされ、同時に水底へ人を引き込む境界でもあった。入水・水難・ダムに沈んだ集落の記憶が水面下に堆積し、河童や船幽霊として語り継がれてきた。鏡のように凪いだ水面ほど、深い沈黙の中で何かを映している。

吹割の滝
水辺·群馬県 沼田市

吹割の滝

群馬県沼田市利根町追貝の片品川中流に位置する吹割の滝(ふきわれのたき)は、河床を侵食して形成された独特の滝である。一般的な滝のように川幅の端で落差を作るのではなく、片品川の流れが河床に走る亀裂を縫って横方向に流れ落ちるため、川幅全体が滝になっているような独特の景観を持つ。 地質は新第三紀の凝灰岩(白色から淡黄色のもの)で、約900万年前の海底火山活動で堆積した地層である。当時は海底だった場所が後の地殻変動で隆起し、片品川の浸食を受けて現在の地形が形成された。河床に多数の柱状節理と直交する節理が走っており、これに沿って水流が亀裂を深く削り進めて、長さ約30メートル、高さ約7メートルの大規模な亀裂群が現在の滝の姿になっている。 1937年(昭和12年)、国の名勝及び天然記念物に指定された。「東洋のナイアガラ」の通称で観光案内に登場するが、これは観光振興上の宣伝表現で、ナイアガラの滝とは規模も成因も大きく異なる。むしろ、河床の亀裂を縫う流れという珍しい滝形態として、地形学・水文学的に学術的価値の高い場所として位置づけられている。 滝の周辺は遊歩道が整備され、片品渓谷を周回するハイキングコースが利用できる。観光案内所、駐車場、土産物店、食事処などのインフラが整い、年間100万人を超える観光客が訪れる群馬県を代表する観光地のひとつとなっている。鱒飛びの滝、般若岩、千畳敷、伽藍岩などの見所が連続し、徒歩約1時間で渓谷を一周できる。 水流の至近距離まで遊歩道が近づくため、過去に滝つぼに転落する事故が起きており、沼田市と群馬県は遊歩道沿いに柵と注意看板を整備した。河床への立ち入りは安全のため禁止されており、夜間の立入も禁止。雨天や雪解け期は増水で遊歩道の一部が浸水することがある。 アクセスは関越自動車道沼田ICから車で約30分、または鉄道はJR上越線沼田駅からバスで約40分。冬季(12月から3月)は積雪と凍結のため、遊歩道の一部が通行止めとなる期間がある。

明智光秀公の首塚
水辺·群馬県 沼田市

明智光秀公の首塚

群馬県沼田市に所在するという首塚の記録は、学術的な歴史文献には見当たりません。一方、明智光秀の首埋葬に関しては複数の伝承が知られており、天正10年(1582年)の本能寺の変後、光秀が坂本城への敗走中に自刃した後、首が京都東山区梅宮町に埋葬されたとする記録が『兼見卿記』に残されています。また丹波の谷性寺(亀岡市)や盛林寺(宮津市)にも首塚と伝承する塚が存在します。沼田市が戦国期に真田昌幸の城下町として発展した歴史を持つことは事実ですが、この地に明智光秀の首が埋葬されたとする記録は、信頼できるソースでは確認できません。

神流町旧炭鉱跡の坑夫
水辺·群馬県 神流町

神流町旧炭鉱跡の坑夫

群馬県神流町を貫流する神流川は、関東山地の深い山々に源を発する河川である。その流域の急峻な山間地では、明治から昭和初期にかけて小規模な採掘事業が営まれていた。主にマンガン鉱石を採掘した鉱山跡が複数残存しており、地域の近代産業史を示す遺構となっている。 採掘作業は常に危険と隣り合わせであった。傾斜地での掘削、坑内での落盤、有毒ガス、地滑りなどの災害が広く鉱業全体で知られており、命を落とした労働者も少なくなかったとされる。神流町周辺でも、坑口周辺に静かに立つ小ぶりな祠や供養塔が、そうした労働に従事した人々の存在を伝えている。 閉山後、多くの坑口は自然に塞がれ、地表から察知しにくい状態へと変わっていった。地下に残された坑道網は、かつての作業の痕跡を今も保ったまま、山中に眠っている。

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