
大日影トンネル
山梨県甲州市勝沼、ぶどう畑の広がる丘陵を貫く旧国鉄中央本線の煉瓦造りトンネル。1903年(明治36年)に開通し、急勾配の難所として長く列車を通してきたが、新線への切り替えにより1997年に役目を終えた。その後は遊歩道として整備された時期もあったが、老朽化のため立ち入りが制限され、ひんやりと暗い廃隧道として、心霊スポットとしても語られるようになった。全長は約1.3kmあり、内部に入ると外の光がまった
山腹を貫くトンネルは、自然の境界を強引にこじ開けた人工の異界である。明治以降の鉄道・道路開削に伴う落盤事故、過酷な労役に倒れた工夫、人柱の伝承が地中に積層し、闇の奥に沈殿する。出口の光が遠ざかる錯覚は、訪れる者を時間ごと飲み込んでいく。
全国 56 件

山梨県甲州市勝沼、ぶどう畑の広がる丘陵を貫く旧国鉄中央本線の煉瓦造りトンネル。1903年(明治36年)に開通し、急勾配の難所として長く列車を通してきたが、新線への切り替えにより1997年に役目を終えた。その後は遊歩道として整備された時期もあったが、老朽化のため立ち入りが制限され、ひんやりと暗い廃隧道として、心霊スポットとしても語られるようになった。全長は約1.3kmあり、内部に入ると外の光がまった

大阪府能勢町、兵庫県との境に近い国道173号の天王峠に残る旧トンネル。新道とトンネルの整備によって幹線の役目を終えた旧道沿いにあり、薄暗く狭い隧道として、大阪近郊では知られた心霊スポットとして語られている。府県境の山あいという立地と、峠道で繰り返されてきた事故とが、怪異の噂を育ててきた。都市部から車で気軽に行ける立地もあって、関西の若者の肝試しの定番として古くから名前が挙がってきた場所でもある。旧

長野県松本市と上田市を結ぶ国道254号、三才山峠を貫く三才山トンネル。1976年(昭和51年)に有料道路のトンネルとして開通し(2020年に無料開放)、松本平と東信地方を最短で結ぶ要路として多くの車が行き交う。一方で、トンネル内外で起きてきた事故とともに、長野県内でもよく知られた心霊スポットとして語られている。 トンネルを夜間に走ると、ミラーに女性の姿が映る、後部座席に人が座っている気配がする、

神奈川県秦野市と伊勢原市の境、国道246号が善波峠を貫く善波トンネル。古くからの交通の難所で、トンネルの開通以前から善波峠は事故や遭難の多い峠道として知られていた。現在も交通量の多い幹線でありながら、神奈川県内でも指折りの心霊スポットとして語られている。 最もよく知られるのは、トンネル付近で白い服や赤い服をまとった女性の霊が現れ、走行中の車やバイクの前に立つ、追い越していくバイクの後ろに人がまた

愛知県豊田市の伊勢神峠に遺る石造トンネル。1897年(明治30年)の完成から初めての隧道開削は、1960年の新線完通まで地域交通の生命線だった。 構造は花崗岩を「二重迫石」で積み上げた堅牢な設計で、全長308m、幅3m。この明治期の土木技術遺産は2000年に国の登録有形文化財に指定され、現在も旧隧道として現役の新トンネルの脇に並び立つ。中馬(ちゅうま)の難所と呼ばれた伊勢神峠は、江戸期から昭和ま

札幌市西区の小別沢は、昭和初期まで中心部から2時間以上の山越え徒歩を要する隔絶した山村だった。1927年頃から地元住民が協力して手作業で掘り抜いた約100メートルのトンネルは、農産物輸送の時間を大幅に短縮させた生活インフラとして機能した。その後、鉄筋やコンクリートによる補強を経ながらも老朽化が進み、2003年の新トンネル開通により閉鎖された。 このトンネルが心霊スポットとして語られるようになった

盤滝トンネルは、兵庫県西宮市山口町と宝塚市を結ぶ県道82号線の重要な通路である。1987年から4年がかりで掘削された1.7km級の山岳トンネルで、従来の山越えルートに比べて大幅に迂回距離を短縮した。工事中は地中の予期しない湧水に見舞われたが、1991年3月に開通。当初の交通量予測を大きく上回り、現在では日12,500台以上が通行する。六甲山系を貫くこのトンネルは、冬季の凍結や霧による視界不良が起こ

大阪府河内長野市の滝畑地域を流れる石川上流部は、江戸時代の凍豆腐製造から現代のダム開発まで、水を中心に産業が営まれてきた場所である。1967年に滝畑ダム建設が着工され、山を切り開き流域の治水・灌漑・上水道供給のための道路整備が進められた。その過程で、すでに存在していた隧道が新たな府道へと組み込まれ、1932年竣工の滝畑第三トンネル(塩降隧道、全長158m)は現在も走行路として使われている。 石積

品川区上大崎に位置する古いトンネルで、心霊スポットとして知られている。目黒駅からほど近い閑静な住宅地に存在する。 このトンネルが心霊現象と結びつく背景には、周辺の複雑な土地利用の歴史が存在する。太平洋戦争前の1909年、この一帯には旧日本陸軍の衛生材料廠が置かれていた。1923年の関東大震災で被災した海軍大学校は、1932年にこの跡地へ移転。その後、敗戦による施設転換を経て、1955年には国立予

千葉県館山市の赤山地下壕跡は、太平洋戦争終盤にかけて建設された大規模な防空壕である。全長約1.6キロメートルの地下空間は、館山海軍航空隊の兵士らによって掘削され、本土決戦に備える軍事施設として機能していた。建設は1944年ごろから始まり、終戦の日まで工事が続けられた。一般的な防空壕の10~20メートル間隔に比べ、この壕は5~10メートルという極めて狭い間隔で構築されている。内部には発電所、病室、電

明治33年に起工され、4年の難工事を経て明治38年に開通した石造隧道。全長445.5メートルで、現存する日本の石造道路隧道としては最長である。伊豆半島を南北に貫く下田街道の改良工事の一環として、天城峠のほぼ中央、標高710メートル付近に穿たれた。側壁と天井のアーチはすべて切り石で構成され、明治後期の土木技術水準を示す重要な遺産として、平成13年に国の重要文化財に指定された。川端康成の小説『伊豆の踊

碓氷峠の横川~軽井沢間は日本の鉄道史において最難関の区間とされた。明治26年(1893年)に開通したこの路線は、66.7パーミルという日本最急勾配に対応するため、ドイツのハルツ山鉄道を参考にアプト式機関車を採用した。峠越えの実現には、複数のトンネルと煉瓦造の橋梁から成る高度な土木技術が必要とされ、建設期間を通じて多数の労働者が命を落とした。その後、1997年に北陸新幹線の開通に伴い廃止されるまで1