山道・峠

峠は古来、村境を越える者を試す結界であった。修験道の行場、行き倒れの旅人、街道筋を彩った辻斬りや山賊の血が、杉木立の闇に折り重なる。山姥や天狗の伝承は、迷えば二度と戻れぬ山の不可知に対する、先人の畏れの結晶である。

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都道府県別の山道・峠スポット

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妙見山(しおき場)
大阪府 能勢町·山道・峠

妙見山(しおき場)

大阪府豊能郡能勢町、能勢妙見山の山中に「しおき場」と呼ばれる一角がある。戦国時代、境界をめぐる領地争いから領民同士の対立が深刻化し、双方の代表者を交換したうえで斬首する「交換処刑」によって収束させたという逸話が地域に伝わっている。争いの舞台となったとされるこの場所は、後年「地獄谷」「生首谷」の異称でも呼ばれ、かつては「史跡 しおき場」と記した標柱が立てられていた時期もあったが、現在は撤去されている

灰ヶ峰
広島県 呉市·山道・峠

灰ヶ峰

広島県呉市に位置する標高737メートルの灰ヶ峰は、瀬戸内海と呉市街を一望できる夜景の名所として知られ、夜景100選にも選ばれている。山頂には気象レーダー観測所や電波塔が並び、展望台の基礎には第二次世界大戦中に置かれたとされる高射砲台の台座が転用されている。もとは「蝿ヶ峰」と表記されていたが、後に現在の字が当てられたとされる。 2013年には、山中で当時16歳の少女の遺体が発見される事件が起きた。

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名越切通
神奈川県 逗子市·山道・峠

名越切通

名越切通は鎌倉市南東部から逗子市小坪にかけて続く古道で、鎌倉時代にはすでに鎌倉と三浦半島を結ぶ主要な交通路として使われていた。「名越」の地名は、道が険しく通行が困難だったことから「難越(なこし)」と呼ばれたことに由来するとされる。1966年に国の史跡に指定され、2016年には日本遺産の構成文化財にも認定された歴史ある峠道である。 沿道にあるまんだら堂やぐら群は、鎌倉時代から室町時代にかけて武士や

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ヤビツ峠
神奈川県 秦野市·山道・峠

ヤビツ峠

ヤビツ峠は神奈川県秦野市を通る県道70号(秦野清川線)上、標高761メートルに位置する峠で、丹沢表尾根や大山への登山口であるとともに、自転車のヒルクライムコースとしても親しまれている。峠名の由来は、旧道の改修時に矢を収める箱「矢櫃」が出土したことによるとされ、戦国時代に甲斐の武田氏と小田原の北条氏が争った合戦に関連する遺物との伝承が残る。この歴史的背景から、合戦で命を落とした武者の霊が峠にとどまっ

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愛媛県 伊予市·山道・峠

犬寄峠

愛媛県伊予市の犬寄峠は、松山と大洲を結ぶ旧大洲街道の難所として江戸時代から知られ、標高306メートル付近を国道56号が通っている。峠の名は、かつて多数の山犬が旅人を襲ったとの伝承に由来するとされ、大洲藩の飛脚が深夜にこの峠で山犬の群れに襲われた際、松の大木に登って身を隠し、刀に施された鶏の細工から鳴き声のような音が響いたため、山犬たちが夜明けと勘違いして逃げ去ったという由来譚が伝わる。行き倒れた旅

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宮崎県 延岡市·山道・峠

愛宕山

延岡市中心部にそびえる愛宕山は、かつて笠沙山と呼ばれ、天孫降臨の神ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが出会い結ばれた地との伝承から出逢いの聖地として知られる。江戸期には女人禁制の山とされていたが、有馬家に嫁いだ国姫がみずから登拝し禁を破ったという逸話も残る。戦国時代には伊東氏と島津氏の争いの舞台となり多くの戦死者を出したとも伝えられ、山頂近くの水神社には島原の乱から逃れてきたキリシタンがかくまわれ

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埼玉県 越生町·山道・峠

顔振峠

顔振峠は埼玉県飯能市と越生町の境、奥武蔵に位置する標高530メートルの峠道である。名称の由来には諸説あり、源義経が奥州へ向かう途上、あまりの絶景に幾度も顔を振り返らせながら登ったためという説や、随行した武蔵坊弁慶が急坂に顔を振りながら登ったという説、山容が冠に似ていたことから「冠山」が転じたという説が伝わる。現在は関東ふれあいの道や奥武蔵グリーンラインが通り、茶屋や展望台を備えたハイキングスポット

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東京都 大島町·山道・峠

三原山

伊豆大島の中央にそびえる三原山は、江戸時代から続く噴火の火柱や火映を「御神火」と呼んで畏敬してきた活火山である。1933年1月から2月にかけて、女学生が同行者とともに火口を訪れ噴火口へ身を投げる出来事が相次いだ。この一件が新聞各社によって大きく報じられ、以後、火口への投身が相次ぐ社会現象に発展し、当時の記録では同年だけで100人を超える死者が出たとされる。事態を受け当局は火口周辺への立ち入り規制や

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鏡山
佐賀県 唐津市·山道・峠

鏡山

佐賀県唐津市にある標高284メートルの鏡山は、松浦佐用姫が恋人・大伴狭手彦の船を見送った領巾振山伝説で知られ、麓には鏡神社が鎮座する景勝地である。山の名は神功皇后が山頂に鏡を祀って戦勝を祈願したという伝承にも由来するとされる。観光地として親しまれる一方、近隣の虹の松原や七ツ釜と並んで名前が挙がることの多い場所でもある。噂の中心となっているのは、山道のカーブ付近で雨の日に濡れた髪の女性が目撃されると

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九千部山
佐賀県 鳥栖市·山道・峠

九千部山

佐賀県鳥栖市と福岡県那珂川市の境に位置する脊振山系の九千部山は、標高847.5メートルの山道・峠道として登山者に利用されている。山名の由来は天暦5年(951年)頃の伝説にさかのぼる。疫病や飢饉に苦しむ村人を救うため、若い僧・隆信が法華経一万部を49日間で読み上げる願をかけて山にこもった。しかし満願を目前にして白蛇や美しい女の幻影に心を乱され、読経は九千部に達したところで途絶えてしまったという。捜索

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三坂峠
愛媛県 松山市·山道・峠

三坂峠

愛媛県松山市と久万高原町の境、標高720mに位置する三坂峠は、江戸時代には松山と高知を結ぶ土佐街道の難所として知られ、道中には行き倒れた遍路の墓が今も点在する。明治期に旧国道として整備された後も急カーブが連続する地形は変わらず、現在の道路やトンネル(三坂隧道)周辺では交通事故がたびたび発生してきた。この事故の多さを背景に、峠を訪れた人々からは車の後部座席に見知らぬ女性が座り笑いかけてくる、事故で亡

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人形峠
鳥取県 三朝町·山道・峠

人形峠

鳥取県三朝町と岡山県鏡野町の境にある人形峠は、江戸時代には打札越と呼ばれた峠道の一つだった。峠の名は、旅人を襲っていた巨大な蜘蛛を、木地師が作った人形を囮にして退治したという伝説に由来するとされる。地誌『伯耆民談記』にはこの蜘蛛退治の話が記されており、別の記録では僧の助言を受けた村人が人形を建てて蜂の害を退治したとする異伝も残る。さらに濃い霧の中で母と娘が離れ離れになり、霧が晴れた後には娘の姿はな

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