石川県の心霊スポットランキング・一覧

14 スポット8 カテゴリ

加賀百万石の城下町・金沢を中心に発展した石川県は、藩政期の華やかさの裏に処刑場と一向一揆の血の記憶を秘める。日本三名園・兼六園周辺には前田家の権力闘争が、城下の用水路には咎人を裁いた刑場の跡が、能登の海岸線には海難者を祀る無数の祠が連なる。雅な金箔文化の影で、北陸の湿った闇は今も土地に染み込み続けている。

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ホテルなおき(能登観光ホテルなおき)
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ホテルなおき(能登観光ホテルなおき)

七尾市·159 views
旧陸軍第九師団司令部庁舎(石川県庁舎石引分室・現 国立工芸館)
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旧陸軍第九師団司令部庁舎(石川県庁舎石引分室・現 国立工芸館)

金沢市·114 views
旧金沢廃花街跡
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旧金沢廃花街跡

金沢市·71 views
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能登半島見附島

石川県珠洲市の沖合に浮かぶ見附島は、軍艦のような形状から「軍艦島」とも称される無人島である。島の名は、弘法大師が佐渡から能登への布教の途上で最初に発見したことに由来するという伝説に基づく。全長158.5m、周囲400m、標高約28mの小さな岩塊は、新第三紀中新世後期の泥岩と珪藻泥岩からなる堆積構造を有する。 島内には見附神社があり、かつて対岸の小島と一対で信仰の対象とされてきた。江戸時代の地誌『能登名跡志』には「風景たぐひなき地」と記され、古くから能登を代表する景勝地として認識されてきた。2017年には石川県の指定天然記念物および名勝に登録された。 2024年1月の能登半島地震(M7.6)により、島の南東部が大きく崩落し、その歴史的な輪郭は著しく変化した。震災以前、月夜に岸からこの島を眺めた際に青白い光が見えたという投稿や、読経のような音が聞こえたという報告がネット上で散見されるが、これらは揺らぎ続ける大規模な一次産業の衰退環境における、人間の無意識的な観察と暗示の作用として解釈される側面がある。

珠洲市·65 views
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白山比咩神社(白山比麻神社)

石川県白山市にある白山比咩神社は、全国約3000社の白山神社の総本宮である。創建は崇神天皇7年(前91年)に舟岡山に始まったと伝わり、717年には越前の修験僧・泰澄大師が白山に初登頂して開山を行い、白山妙理大権現が奉祀された。白山(標高2702m)を神体山とする山岳信仰の中心地として、加賀・越前・美濃三国の修験者や信仰者を集めた。 文明12年(1480年)の大火により社殿が全焼し、現在地(三宮町)に遷座した。江戸期には加賀藩の庇護下で再興され、神仏分離令後の明治時代に現在の名称となった。参道の杉並木と禊の場は、古い信仰景観として今に残る。 樹齢数百年の杉林に囲まれた境内の落ち着いた雰囲気は、霊峰白山の玄関口としての存在感を示している。深夜の訪問についての言及は稀だが、神域としての厳粛性と古い創建伝説が重なることで、時折心霊スポットとして触れられることがある。

白山市·58 views
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牛首トンネル

石川県河北郡津幡町の旧道にある牛首トンネルは、正式名称を宮島隧道といい、1928年(昭和3年)に竣工した石川・富山県境をつなぐ県道上の隧道で、狭い坑道と暗さが特徴です。訪問者の投稿では、夜中に通りかかった際に明かりのない建物の窓に光が見えたこと、スマホのカメラが勝手に起動して何枚も撮影されたことが報告されています。ネット上では、車に乗り込んでくる老婆の霊や、落ち武者に追いかけられる、ライトを消して点灯し直すとガラスに血の手形が残るといった噂が語られてきました。トンネル内の地蔵が血の涙を流すという話も広まっていますが、この地蔵は訪れた者によって何度か首を落とされ、現在のものは作り直された後のものとされます。焼身自殺した人物の怨念が由来とする噂もあるものの、そのような事件があった記録は確認されていないとの指摘があり、テレビの心霊番組で繰り返し取り上げられたことが心霊スポットとしての知名度を高めた面が大きいとされています。トンネルの構造上、照明が限定的で真っ暗な空間が広がる環境は、訪問者の知覚や機器の挙動に影響を与える可能性があります。トンネルは管理者が存在する旧道で、車一台分の幅しかなく途中で引き返せない上、冬季は積雪により通行止めとなる区間で老朽化も進み、深夜の通行は落石や対向車との接触事故の危険があります。訪れる場合は日中の通過にとどめ、近隣の生活道路としての配慮が必要です。

河北郡津幡町·52 views
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松任城址公園(おかりや公園)

石川県白山市の中心部、松任駅近くに位置する松任城址公園は、鎌倉時代初期に松任氏の居館として築かれたと伝わり、後に加賀一向一揆の拠点の一つとなった松任城の本丸跡を整備した公園である。1577年の手取川の戦い前後には上杉方の勢力が入城したとされ、1580年には織田信長の家臣柴田勝家の軍によって攻め落とされた。江戸時代の一国一城令により廃城となった後、跡地は官公庁施設などに転用され、2011年に公園として整備・開放された。現在も石垣の一部や堀跡が残る。この公園については、園内で甲冑姿の武者の霊を見たという噂や、霊感を持たない人でも急に肌寒さを覚えるといった話が伝えられている。落城の際に命を落とした武士たちの存在と結びつけて語られることが多い。

白山市·25 views
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白山スーパー林道

石川県と岐阜県にまたがる白山スーパー林道(2015年に「白山白川郷ホワイトロード」に改称)は、1977年に開通した延長33.3キロメートルの有料山岳道路である。白山国立公園の中核を東西に貫く全線舗装の2車線道路で、標高600~1450メートルの峻険な地勢を抜ける。 季節運行は6月初旬から11月初旬に限定され、ブナの原生林、7つの滝(うち「ふくべの大滝」は落差86メートル)、ワインディングコースから見える北アルプスの峰々が見どころとなっている。同時にカーブの多さと崖面からの落石、野生動物の飛び出し、冬季の断絶という厳しい走行条件を特徴とする。2020年以降、石川県側は土砂崩れの影響で長期閉鎖を経験し、道路の脆弱性を露呈させた。夜間走行時の視界不良と高度差による心理的圧迫感が、利用者の不安感に影響を与える要因である。

白山市·16 views
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白山比め神社

白山比咩神社は、崇神天皇7年(前91年)の創建と伝わる古社で、全国2000社以上の白山神社の総本宮です。白山比咩大神、伊邪那岐尊、伊弉冉尊の三柱を祀り、霊峰白山を遥拝する白山信仰の中核を担ってきました。 現在地への遷座は文明12年(1480年)10月の大火がきっかけです。この火災で社殿40余りが全焼し、その後手取川河畔の「安久濤の森」から現在の白山市三宮町へ移されました。江戸時代中期に建設された本殿は石川県指定有形文化財で、参道の石畳や市指定天然記念物の老杉、大ケヤキとともに、古社としての荘厳な雰囲気を保ち続けています。 白山信仰は8世紀初頭、僧・泰澄が山頂に奥宮を祀ったことに始まり、加賀・越前・美濃の三つの馬場(参拝拠点)が設けられ、多くの信仰者を集めました。同神社は地域の精神的中心地として今も大切に守られ、白山と里を結ぶ信仰の要となっています。

白山市·15 views
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熊走大橋

熊走大橋は石川県金沢市熊走町、辰巳ダムより上流の犀川に架かる橋で、水面までの高さは約50メートルに及ぶ。1977年(昭和52年)に架橋され、それ以前は地元の人々が日常的に利用する吊り橋がこの場所にあったとされる。橋の名は、かつて熊がこの橋を走って渡ったという逸話に由来するという説が伝わる。 現在は転落防止のため欄干が高く改修されているが、以前は容易に乗り越えられる高さだったとされ、飛び降りによる事故が繰り返し起きた場所として知られてきた。ネット上の記事では、以前は年間に複数件の投身事故が発生していたとする記述もある。こうした経緯から、橋の上に男性らしき人影が立っているのを見たという目撃談が複数のまとめで伝えられており、写真撮影時に光の輪のようなものが写り込むとする報告も多い。橋のたもとに設置されたカーブミラーに映る女性の姿を見た者は帰路で事故に遭うという話も広まっている。 橋には小学生が描いたとされる絵が掲示されており、自殺防止対策の一環とも考えられているが真意は定かでない。明るい絵柄と夜間の橋の雰囲気との落差が却って不気味さを増すと指摘する記事もある。現在も道幅が狭く交通量は少なく、積雪や落石で通行止めになることもあるという。

金沢市·14 views

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ホテルなおき(能登観光ホテルなおき)
石川県 七尾市·宿泊・居住跡

ホテルなおき(能登観光ホテルなおき)

石川県七尾市の和倉温泉にあった大型宿泊施設「ホテルなおき」は、明治期に「直木」として創業し、昭和期に「能登観光ホテルなおき」などの名称を経て規模を拡大した老舗の温泉ホテルである。最盛期には全七十数室・数百人規模を収容し、七尾湾を望む高台に九階建ての建物がそびえていた。バブル期には高い売上を記録したものの、その後は経営が悪化し、二〇一四年五月に資金繰りの行き詰まりから閉館した。以後は無人のまま残され、割れた窓や傷んだ内装をさらす大規模廃墟として、能登半島を代表する心霊スポットのひとつに数えられるようになった。 紹介されている怪異は、無人のはずの客室の窓越しに女性の姿を見たという話や、宴会場や廊下の方向から複数の話し声・物音が聞こえたというものが中心である。海に面した立地ゆえ、割れた窓を潮風が吹き抜けるときの音が、建物のうめき声のように感じられるとも言われる。華やいだ宿泊業という性格と、資金難による突然の閉館という結末の落差が、廃墟の重い空気とともに、こうした噂を呼び込む土壌になっていると見られる。なお建物は所有者のある廃墟であり、崩落や残置物による事故の危険が高いため、外部から望む範囲にとどめるのが妥当である。

牛首トンネル
石川県 河北郡津幡町·隧道・トンネル

牛首トンネル

石川県河北郡津幡町の旧道にある牛首トンネルは、正式名称を宮島隧道といい、1928年(昭和3年)に竣工した石川・富山県境をつなぐ県道上の隧道で、狭い坑道と暗さが特徴です。訪問者の投稿では、夜中に通りかかった際に明かりのない建物の窓に光が見えたこと、スマホのカメラが勝手に起動して何枚も撮影されたことが報告されています。ネット上では、車に乗り込んでくる老婆の霊や、落ち武者に追いかけられる、ライトを消して点灯し直すとガラスに血の手形が残るといった噂が語られてきました。トンネル内の地蔵が血の涙を流すという話も広まっていますが、この地蔵は訪れた者によって何度か首を落とされ、現在のものは作り直された後のものとされます。焼身自殺した人物の怨念が由来とする噂もあるものの、そのような事件があった記録は確認されていないとの指摘があり、テレビの心霊番組で繰り返し取り上げられたことが心霊スポットとしての知名度を高めた面が大きいとされています。トンネルの構造上、照明が限定的で真っ暗な空間が広がる環境は、訪問者の知覚や機器の挙動に影響を与える可能性があります。トンネルは管理者が存在する旧道で、車一台分の幅しかなく途中で引き返せない上、冬季は積雪により通行止めとなる区間で老朽化も進み、深夜の通行は落石や対向車との接触事故の危険があります。訪れる場合は日中の通過にとどめ、近隣の生活道路としての配慮が必要です。

能登半島見附島
石川県 珠洲市·水辺

能登半島見附島

石川県珠洲市の沖合に浮かぶ見附島は、軍艦のような形状から「軍艦島」とも称される無人島である。島の名は、弘法大師が佐渡から能登への布教の途上で最初に発見したことに由来するという伝説に基づく。全長158.5m、周囲400m、標高約28mの小さな岩塊は、新第三紀中新世後期の泥岩と珪藻泥岩からなる堆積構造を有する。 島内には見附神社があり、かつて対岸の小島と一対で信仰の対象とされてきた。江戸時代の地誌『能登名跡志』には「風景たぐひなき地」と記され、古くから能登を代表する景勝地として認識されてきた。2017年には石川県の指定天然記念物および名勝に登録された。 2024年1月の能登半島地震(M7.6)により、島の南東部が大きく崩落し、その歴史的な輪郭は著しく変化した。震災以前、月夜に岸からこの島を眺めた際に青白い光が見えたという投稿や、読経のような音が聞こえたという報告がネット上で散見されるが、これらは揺らぎ続ける大規模な一次産業の衰退環境における、人間の無意識的な観察と暗示の作用として解釈される側面がある。

白山比咩神社(白山比麻神社)
石川県 白山市·水辺

白山比咩神社(白山比麻神社)

石川県白山市にある白山比咩神社は、全国約3000社の白山神社の総本宮である。創建は崇神天皇7年(前91年)に舟岡山に始まったと伝わり、717年には越前の修験僧・泰澄大師が白山に初登頂して開山を行い、白山妙理大権現が奉祀された。白山(標高2702m)を神体山とする山岳信仰の中心地として、加賀・越前・美濃三国の修験者や信仰者を集めた。 文明12年(1480年)の大火により社殿が全焼し、現在地(三宮町)に遷座した。江戸期には加賀藩の庇護下で再興され、神仏分離令後の明治時代に現在の名称となった。参道の杉並木と禊の場は、古い信仰景観として今に残る。 樹齢数百年の杉林に囲まれた境内の落ち着いた雰囲気は、霊峰白山の玄関口としての存在感を示している。深夜の訪問についての言及は稀だが、神域としての厳粛性と古い創建伝説が重なることで、時折心霊スポットとして触れられることがある。

白山比め神社
石川県 白山市·神域・霊場

白山比め神社

白山比咩神社は、崇神天皇7年(前91年)の創建と伝わる古社で、全国2000社以上の白山神社の総本宮です。白山比咩大神、伊邪那岐尊、伊弉冉尊の三柱を祀り、霊峰白山を遥拝する白山信仰の中核を担ってきました。 現在地への遷座は文明12年(1480年)10月の大火がきっかけです。この火災で社殿40余りが全焼し、その後手取川河畔の「安久濤の森」から現在の白山市三宮町へ移されました。江戸時代中期に建設された本殿は石川県指定有形文化財で、参道の石畳や市指定天然記念物の老杉、大ケヤキとともに、古社としての荘厳な雰囲気を保ち続けています。 白山信仰は8世紀初頭、僧・泰澄が山頂に奥宮を祀ったことに始まり、加賀・越前・美濃の三つの馬場(参拝拠点)が設けられ、多くの信仰者を集めました。同神社は地域の精神的中心地として今も大切に守られ、白山と里を結ぶ信仰の要となっています。

石川県 白山市·公園・城址

松任城址公園(おかりや公園)

石川県白山市の中心部、松任駅近くに位置する松任城址公園は、鎌倉時代初期に松任氏の居館として築かれたと伝わり、後に加賀一向一揆の拠点の一つとなった松任城の本丸跡を整備した公園である。1577年の手取川の戦い前後には上杉方の勢力が入城したとされ、1580年には織田信長の家臣柴田勝家の軍によって攻め落とされた。江戸時代の一国一城令により廃城となった後、跡地は官公庁施設などに転用され、2011年に公園として整備・開放された。現在も石垣の一部や堀跡が残る。この公園については、園内で甲冑姿の武者の霊を見たという噂や、霊感を持たない人でも急に肌寒さを覚えるといった話が伝えられている。落城の際に命を落とした武士たちの存在と結びつけて語られることが多い。

白山比三岐神社
石川県 白山市·神域・霊場

白山比三岐神社

白山比三岐神社は、白山信仰の中心地である白山を遥拝・信仰する修験道の伝統に根ざした社である。白山信仰は奈良時代に越前の泰澄大師が白山を開山して以来、平安から室町にかけて約五百年にわたり隆盛した山岳信仰であり、加賀・越前・美濃の三地域に独立した信仰圏が形成されていた。白山山麓に鎮座するこの神社も、その信仰圏の一部として、白山への参拝・修行の起点あるいは遥拝所として機能してきたと考えられる。昼間でも杉木立に覆われて薄暗い参道と、苔むした石段は、山岳信仰における聖地としての異界性を物理的に体現している。かつて栄えた修験道の信仰体系が現在も静寂の中に保存されている場所として、多くの参拝者に認識されている。

白山スーパー林道
石川県 白山市·山道・峠

白山スーパー林道

石川県と岐阜県にまたがる白山スーパー林道(2015年に「白山白川郷ホワイトロード」に改称)は、1977年に開通した延長33.3キロメートルの有料山岳道路である。白山国立公園の中核を東西に貫く全線舗装の2車線道路で、標高600~1450メートルの峻険な地勢を抜ける。 季節運行は6月初旬から11月初旬に限定され、ブナの原生林、7つの滝(うち「ふくべの大滝」は落差86メートル)、ワインディングコースから見える北アルプスの峰々が見どころとなっている。同時にカーブの多さと崖面からの落石、野生動物の飛び出し、冬季の断絶という厳しい走行条件を特徴とする。2020年以降、石川県側は土砂崩れの影響で長期閉鎖を経験し、道路の脆弱性を露呈させた。夜間走行時の視界不良と高度差による心理的圧迫感が、利用者の不安感に影響を与える要因である。

旧金沢廃花街跡
石川県 金沢市·水辺

旧金沢廃花街跡

金沢市の旧市街に残る廃屋群は、江戸期から昭和初期にかけて栄えた花街の痕跡である。用水路沿いに立ち並んでいた格子戸の町家は、その後の都市開発の中で部分的に保存され、部分的に放棄されてきた。金沢は東茶屋街、西茶屋街、主計町茶屋街という三つの著名な茶屋文化地区を擁する城下町で、この廃花街跡はそれらの周辺に位置する。廃屋化した木造建築が生み出す夜間の音響環境は、家屋の隙間や用水を通じた風音・水音が複雑に反響することに由来する。低照度環境では、風に揺れる古い建具の影や用水の暗い水面が視覚的な不確実性を増幅させる。街の急速な変化に取り残された場所として、廃屋と水辺のコンビネーションが特異な空間的印象を形成している。

石川県 金沢市·隧道・トンネル

鷹の巣トンネル

鷹の巣トンネルは石川県金沢市上辰巳町、犀川ダムへ向かう道路沿いに位置する平成7年(1995年)完成、全長291メートルの隧道である。付近には戦国期に鷹巣城という山城が存在したとされ、佐久間盛政や前田利家が城主として名を連ねたと伝わる。築城は16世紀後半、廃城は16世紀末とされ、天正13年(1585年)頃にはこの一帯で合戦があったという伝承も残っている。トンネルが開通する以前の旧道でも、幽霊を見たという声があったと複数の記録に見られる。現在のトンネルについては、内部を行き来する女性の姿を見たという目撃情報が繰り返し報告されており、危害や事故につながる話は特に確認されていない。トンネル入口付近には小さな祠が設けられ、菩薩像とともに供養のための品が置かれている。整備の行き届いた比較的新しい構造物であるにもかかわらず、こうした目撃談が絶えないことから、周辺の歴史的背景と結び付けて語られることが多い。

旧陸軍第九師団司令部庁舎(石川県庁舎石引分室・現 国立工芸館)
石川県 金沢市·廃墟・残骸

旧陸軍第九師団司令部庁舎(石川県庁舎石引分室・現 国立工芸館)

石川県金沢市にある旧陸軍第九師団司令部庁舎は、日清戦争後の師団増設にともない明治三十一年に置かれた第九師団の中枢である。庁舎そのものは金沢城の二の丸跡に木造二階建ての洋館として建てられ、のちに移築されて両翼が縮められ、長く県庁舎石引分室として保存・利用された。第九師団は富山・石川・福井の北陸各県から集められた兵で編成され、日露戦争では旅順攻囲戦に投入されて連隊長級にも及ぶ大きな損害を出したほか、太平洋戦争末期には沖縄防衛の第三十二軍に編入されたのち台湾へ転出している。金沢が「軍都」と呼ばれた時代、この司令部からは数多くの将兵が動員・出征し、戻ることのなかった者も少なくなかった。 現在の建物は登録有形文化財であり、令和二年からは移築・復元のうえ国立工芸館として活用され、隣接する赤煉瓦の旧兵器庫群(現・石川県立歴史博物館)とともに近代金沢の軍事遺構をなしている。戦地で失われた命の記憶と結びつくことから、動員と出征の場を今に伝える建築として、亡き将兵をめぐる話に重ねて語られることがある。もっとも個々の怪異を裏づける確かな記録は乏しく、むしろ戦争の惨禍と平和の意味を後世へ伝える歴史遺産としての役割が大きい場所である。

石川県 金沢市·橋・高架

熊走大橋

熊走大橋は石川県金沢市熊走町、辰巳ダムより上流の犀川に架かる橋で、水面までの高さは約50メートルに及ぶ。1977年(昭和52年)に架橋され、それ以前は地元の人々が日常的に利用する吊り橋がこの場所にあったとされる。橋の名は、かつて熊がこの橋を走って渡ったという逸話に由来するという説が伝わる。 現在は転落防止のため欄干が高く改修されているが、以前は容易に乗り越えられる高さだったとされ、飛び降りによる事故が繰り返し起きた場所として知られてきた。ネット上の記事では、以前は年間に複数件の投身事故が発生していたとする記述もある。こうした経緯から、橋の上に男性らしき人影が立っているのを見たという目撃談が複数のまとめで伝えられており、写真撮影時に光の輪のようなものが写り込むとする報告も多い。橋のたもとに設置されたカーブミラーに映る女性の姿を見た者は帰路で事故に遭うという話も広まっている。 橋には小学生が描いたとされる絵が掲示されており、自殺防止対策の一環とも考えられているが真意は定かでない。明るい絵柄と夜間の橋の雰囲気との落差が却って不気味さを増すと指摘する記事もある。現在も道幅が狭く交通量は少なく、積雪や落石で通行止めになることもあるという。

石川県 金沢市·神域・霊場

卯辰山公園(解剖体墓地・長崎キリシタン殉教者の碑)

金沢市街を見下ろす卯辰山公園には、性質の異なる二つの慰霊地が並んで残る。一つは明治16年(1883)に建てられた「解剖体墓地」で、当時の医学生が解剖実習に用いた献体を弔うために造られた。もう一つは1968年に金沢カトリック教会が建立した「長崎キリシタン殉教者の碑」で、明治3年(1870)に長崎浦上のキリシタン約500人が加賀藩へ流され、監禁生活の末に100人以上が命を落とした史実を伝える。1998年には付近のトンネル工事で人骨が発見され、当時の犠牲者との関連が指摘された。こうした背景から、解剖された遺体の魂が自らの身体の一部を探し求めて霧の中を彷徨う、成仏できない霊が出るなどの噂が広まっている。日中は静かな公園だが、夜になると雰囲気が一変するとの声もある。

野田山墓地(加賀藩主前田家墓所)
石川県 金沢市·神域・霊場

野田山墓地(加賀藩主前田家墓所)

野田山は金沢城から南西へ約3.5キロ、標高175メートルほどの丘陵地にある金沢市最大級の墓地である。1587年、加賀藩祖前田利家が兄・利久をこの地に葬ったことに始まり、以後歴代藩主とその正室の多くがここに埋葬された。前田家墓所は約8.6ヘクタールに及び、土を四角く盛り上げた古墳のような形状の墓が約80基並び、江戸時代の大名墓所としては会津藩に次ぐ規模とされる。2009年には国の史跡に指定されている。明治以降は金沢市が管理する市営墓地や、戊辰戦争から太平洋戦争期の陸軍関係者や日露戦争のロシア人捕虜も葬られた戦没者墓苑が併設され、時代の異なる多くの死者が眠る場所となった。近年は明治期に金沢を離れた人々の先祖の墓が無縁化する例も増えているという。こうした背景から、この一帯では落ち武者姿の霊や、参勤交代の列をなす武士の霊、白い着物の女性の霊を見たという報告があり、女性の霊が車内を覗き込んで「違う」と言い残して消えたという話や、駐車した車に手のひらの跡や刃物で付けたような傷が残っていたとする話、車のエンジンが動かなくなったという体験も伝えられている。墓地で騒いだ帰り道に事故に遭うという噂も語られており、複数の心霊系サイトで石川県を代表するスポットの一つとして紹介されている。

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