群馬県の心霊スポットランキング・一覧

26 スポット9 カテゴリ

上州の山々と利根川に抱かれた群馬県は、明治の鉄道開通と峠越えの労苦が刻まれた地である。明治期に碓氷峠を貫いた旧熊ノ平駅では昭和の落盤事故で死者を出し、レンガ造りのめがね橋には工事犠牲者の影が漂う。新田義貞の故地でもある旧三国峠、地元で最恐と語られる畑トンネル——峠と鉄路に染みついた労働者と武者たちの記憶は、今もこの上州に息づいている。

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榛名神社奥宮
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榛名神社奥宮

高崎市·55 views
七輿山古墳
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七輿山古墳

藤岡市·53 views
旧太子駅
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旧太子駅

吾妻郡中之条町·46 views
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旧丸山変電所

群馬県安中市、信越本線の難所として知られた碓氷峠の旧線跡にたたずむ煉瓦造りの建物。1912年(明治45年)、急勾配を登るアプト式鉄道の電化にあわせて建てられた変電所で、二棟が向かい合う重厚な姿は重要文化財に指定されている。新線への切り替えで碓氷峠の旧線は廃止され、いまは遊歩道「アプトの道」として歩けるが、沿線に点在する廃トンネル群とともに、心霊・廃墟の語りが寄せられる場所でもある。二棟の煉瓦建築が森の中で向かい合って静かに建つ姿は、明治の鉄道遺産としての美しさと同時に、人気の絶えた廃線跡ならではの寂寥感を色濃く漂わせている。 旧線跡の暗いトンネルや変電所の周辺では、誰もいないのに足音や話し声が反響した、煉瓦のアーチの奥に人影が見えた、急にあたりの空気が冷えた、といった体験談が語られてきた。峠の急勾配で繰り返された事故や、難工事の歴史の記憶が、静まり返った廃線跡の気配と結びついている。観光客の去った夕暮れ以降、トンネルが連なる旧線跡は一気に闇へ沈み、昼間とはまったく別の表情を見せると言われる。 地元では、碓氷峠の鉄道に携わり命を落とした人々への敬意が受け継がれ、貴重な遺構を荒らす行為は強く戒められている。 遊歩道は整備されているが、トンネル内は照明が乏しく足元も悪い。夜間の立ち入りや遺構へのよじ登りは転落や事故を招く。訪れる際は日中に限り、文化財や遊歩道のルールを守り、亡くなった人々への敬意をもって静かに歩くこと。

安中市·37 views
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熊ノ平駅

熊ノ平駅は、群馬県安中市松井田町坂本、碓氷峠を通っていた旧信越本線に設けられた駅で、現在は遊歩道「アプトの道」沿いに廃駅として残る。1893年に信号場として開設され、1906年に駅へ昇格したが、1966年に信号場へ格下げされ、1997年に廃止された。この場所では過去に二つの大きな事故が起きている。1918年には勾配上で逆走した貨物列車が構内の岩壁に衝突する脱線事故が発生し、乗務員ら4人が死亡した。さらに1950年6月には大雨による土砂崩れが二度にわたって発生し、駅舎と職員宿舎が押し流され、作業員や職員の家族を含む50人以上(記録により50〜56人)が死亡する惨事となった。事故現場には犠牲者を慰霊する母子像の殉難碑が建てられている。こうした歴史を背景に、現在では廃墟となった駅構内やトンネル付近を訪れた人々の間で、正体不明の声や地鳴りのような音を聞いたという報告、撮影した写真に人影のようなものが写り込むといった話が伝えられている。

安中市·28 views
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磯部温泉廃旅館

磯部温泉は群馬県安中市の碓氷川沿いに開ける温泉地で、1661年に江戸幕府の評決文に記された温泉記号は、日本で現存する最古の記録であり、現在の温泉マーク(♨)の発祥とされている。江戸から明治にかけ、碓氷峠を越える旅人や湯治客が集まる地として認識されていたが、1783年の天明浅間山大噴火によって湯量が飛躍的に増し、本格的な温泉地として成立した。明治中期には信越線磯部駅の開通に伴い政治家や文学者が訪問するようになり、昭和から平成にかけて複数の旅館が操業してきた。廃業した旅館は、後継者難と観光ニーズの変化のなか、その役目を終えた建物として温泉街に残されている。

安中市·27 views
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吹割の滝

群馬県沼田市利根町追貝の片品川中流に位置する吹割の滝(ふきわれのたき)は、河床を侵食して形成された独特の滝である。一般的な滝のように川幅の端で落差を作るのではなく、片品川の流れが河床に走る亀裂を縫って横方向に流れ落ちるため、川幅全体が滝になっているような独特の景観を持つ。 地質は新第三紀の凝灰岩(白色から淡黄色のもの)で、約900万年前の海底火山活動で堆積した地層である。当時は海底だった場所が後の地殻変動で隆起し、片品川の浸食を受けて現在の地形が形成された。河床に多数の柱状節理と直交する節理が走っており、これに沿って水流が亀裂を深く削り進めて、長さ約30メートル、高さ約7メートルの大規模な亀裂群が現在の滝の姿になっている。 1937年(昭和12年)、国の名勝及び天然記念物に指定された。「東洋のナイアガラ」の通称で観光案内に登場するが、これは観光振興上の宣伝表現で、ナイアガラの滝とは規模も成因も大きく異なる。むしろ、河床の亀裂を縫う流れという珍しい滝形態として、地形学・水文学的に学術的価値の高い場所として位置づけられている。 滝の周辺は遊歩道が整備され、片品渓谷を周回するハイキングコースが利用できる。観光案内所、駐車場、土産物店、食事処などのインフラが整い、年間100万人を超える観光客が訪れる群馬県を代表する観光地のひとつとなっている。鱒飛びの滝、般若岩、千畳敷、伽藍岩などの見所が連続し、徒歩約1時間で渓谷を一周できる。 水流の至近距離まで遊歩道が近づくため、過去に滝つぼに転落する事故が起きており、沼田市と群馬県は遊歩道沿いに柵と注意看板を整備した。河床への立ち入りは安全のため禁止されており、夜間の立入も禁止。雨天や雪解け期は増水で遊歩道の一部が浸水することがある。 アクセスは関越自動車道沼田ICから車で約30分、または鉄道はJR上越線沼田駅からバスで約40分。冬季(12月から3月)は積雪と凍結のため、遊歩道の一部が通行止めとなる期間がある。

沼田市·26 views
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鬼押し出し原

群馬県吾妻郡中之条町から長野県境にかけて広がる鬼押し出し原は、1783年(天明3年)の浅間山大噴火によって形成された溶岩地形です。噴火の頂点を迎えた7月8日、山北側の斜面から流出した大規模な溶岩流は、幅800メートルから2キロ、延長5.5キロに及び、凝固後も6.8平方キロメートルの広大な台地として現在に至ります。 この噴火は上野国一帯に極めて甚大な被害をもたらし、死者は1,600人を超えました。被害は直接的な火砕流にとどまらず、岩屑なだれや天明泥流により関東平野全域に波及し、北麓の鎌原村(現群馬県嬬恋村)では人口570人のうち477人が亡くなるなど、地域の歴史に深刻な傷跡を残しています。 現在、奇形な溶岩塊が地平線まで続く独特の景観は、当時の火山活動の激烈さを物理的に示す存在として機能しており、多くの訪問者を引き付けています。夕暮れから夜間にかけての溶岩原では、岩間を通る風が不規則な音を発生させることが知られており、この音響現象が不安感を増幅する要因となっています。

嬬恋村·26 views·
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群馬の森

群馬県高崎市に位置する県立都市公園「群馬の森」は、1882年に設置された旧陸軍の岩鼻火薬製造所の跡地に、明治百年記念事業の一環として1974年に開園した。同製造所は黒色火薬やダイナマイトの生産を担い、日中戦争下の軍需増産期にあたる1938年には爆発事故が4件発生し、この年の死者は24人に達したとされる。同年12月の事故は黒色火薬約4800キログラムが誘爆したもので、死者13人、周辺の民家560軒に被害が及ぶ、創業以来最大の惨事だったと伝えられる。園内には爆風を防ぐための土塁や火薬工室、射場トンネルなどの当時の建物が今も保存されており、戦争の記憶を刻む場所として整備されている。こうした歴史的経緯から、跡地には軍服姿の人影を見た、軍靴の足音だけが響いたという噂が伝わる。ほかにも夜間に子どもの足音や笑い声が聞こえるのに姿が見えない、園内の古墳付近で白い服の人影が瞬時に消える、うめき声が聞こえるといった話が各種の記録に残る。

高崎市·25 views
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二度上峠

群馬県高崎市と長野原町の境に位置する二度上峠は、標高約1380mの切り通しの峠で、群馬県道54号長野原倉渕線が通る道である。峠の名は、かつてこの付近を走っていた草軽電気鉄道の駅名に由来する。この駅は開業当初「浅間駅」と呼ばれていたが、Z字型のスイッチバックで二度方向を転換しながら高度を稼ぐ構造だったことから「二度上駅」に改称され、峠名もこれにちなむ。鉄道自体は1960年代に廃止されている。峠道は急なカーブが連続する道として知られ、この道では過去に自動車事故が発生し、祖父母と子供が同時に亡くなったとされる話が伝わっている。犠牲者の人数や関係については、伝えられる内容にいくつかの違いがある。これを背景に、走行中に側面のミラーへ生首が映り込む、特定のカーブでミラーを見てはいけないといった噂が広まっている。ミラーを見てはいけないカーブの番号については、伝聞によって食い違いがあり特定されていない。ほかにも、老婆の霊は人家のない深夜の道でも姿を見せるとされ、道の上空約5メートルに浮かぶ浴衣姿の女性の霊を見たという報告も寄せられている。景観の良い峠として知られる一方、こうした噂により肝試しの対象として取り上げられることもある。峠道自体は登山者や自転車のヒルクライムでも利用され、駒髪山への登山口には鳥居が設けられており、日中は観光客の姿も見られる。

長野原町·25 views

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群馬県 下仁田町·隧道・トンネル

下仁田トンネル(小坂坂トンネル)

下仁田トンネル(正式名称:小坂坂トンネル)は群馬県甘楽郡下仁田町下仁田に位置する、全長約100メートルの旧トンネル。素掘りの岩肌をコンクリートで補強した構造で、内部に照明設備がなく、日中でも出口の光がほとんど届かないほどの暗闇が続く。手掘りゆえに壁面は凹凸が多く、足音や声が反響しやすい環境になっている。このトンネル周辺では、暴行事件や、車から顔を出した若い女性がトンネル上部の岩に頭を打って死亡したといった事件が起きたとする話が伝わっているが、いずれも具体的な記録は確認されていない。一方、幕末期にはこの付近を水戸藩を脱藩した天狗党が進軍し、追跡していた高崎藩兵との間で死者が出たとされる下仁田戦争の記録が残る。トンネルのすぐ近くには火葬場があり、これが霊の噂と結び付けられる要因の一つとされる。訪れた者からは、暗闇の中で人の話し声や別の足音、オーブのような発光現象を体感したという報告が複数寄せられている。

赤城山南麓廃墟群
群馬県 伊勢崎市·宿泊・居住跡

赤城山南麓廃墟群

群馬県伊勢崎市の赤城山南麓に散在する複数の廃工場・廃旅館跡は、日本の繊維産業が栄華から衰退への転換点を迎えた時代の物質的痕跡である。伊勢崎は大正から昭和初期にかけて絹織物「銘仙」の一大産地として全国生産の半分を占めていたが、1970年代の円高とオイルショックが日本の繊維産業に構造的な危機をもたらした。この地域の工場群は、その衝撃から逃れることができず、産業構造の急速な転換のなかで次々と操業を停止していった。 廃墟となった建物群からは、かつての稼働時の痕跡が残っている。廃工場の内部には織機の遺骨、配電盤、作業台が放置されたままの状態で発見されることがある。廃旅館には湯治客や行商人をもてなした客室や浴室の設備が当時のまま残されており、産業従事者の移動・宿泊を支えた経済圏の一部を示している。昭和中期から後期にかけてのこうした施設群の廃棄は、地方の産業空洞化が物理的にどのような形態をとるのかを示す事例となっている。 廃工場・廃旅館は老朽化が著しく、床抜け・落下物・有害粉塵の危険が高い。多くは私有地で無断立入は不法侵入に該当する。訪れる場合は公道から静かに眺め、地域の歴史への敬意を欠かさないこと。

旧三国峠
群馬県 利根郡みなかみ町·山道・峠

旧三国峠

旧三国峠では、夜間に峠道を歩く人影が目撃されるという噂が登山者や地元住民の間で語られている。その人影はふいに霧の中へ消えると言われ、複数の登山者から「後ろから足音が聞こえたのに振り返ると誰もいなかった」という体験談が報告されているとされる。また、峠付近に点在する供養塔の近くで、夕暮れ時に甲冑姿の武者らしき影が現れるという言い伝えも残っており、戦国期に幾度もこの地を越えた兵たちの残留思念ではないかとも噂されている。冬季の深雪に閉ざされた往来で命を落とした旅人の霊が彷徨っているとも言われ、稜線上では理由のない強い寒気を感じるという声も聞かれる。 旧三国峠は群馬県利根郡みなかみ町と新潟県南魚沼郼湯沢町の境、上越国境の標高1,244メートルの稜線上に位置する。三国とは上野・越後・信濃の旧国名に由来し、奈良時代から東山道のルートとして、中世以降は「三国街道」として機能してきた歴史ある峠である。戦国期には越後の上杉謙信が関東出兵の際に繰り返し越えた経路としても知られ、江戸期には大名行列が往来する主要街道として栄えた。1959年に国道17号の三国トンネルが開通すると旧道は車両交通から外れ、現在は三国山や上越国境稜線縦走の登山道として整備されている。峠頂上の三国権現には当時の旅人の安全を願った神社や供養塔が今も残されており、その静寂が往時の記憶を色濃く漂わせている。

赤城山・小沼
群馬県 前橋市·山道・峠

赤城山・小沼

赤城山の山頂カルデラには大沼と小沼の2つの火口湖がある。小沼は約24,000年前に形成された火口湖で、標高1,470メートルの静寂した水域である。直径約700メートルの円形、最大水深7メートル程度で、冬季には結氷する。周囲は白砂礫と林に囲まれた透度の高い貧栄養湖として知られている。赤城山そのものは約50万年前に火山活動が始まり、20万年前ごろから爆発的噴火が頻発した大型火山である。古くから赤城神社で信仰されてきた山域であり、中世の宗教的習合により、大沼は観音菩薩、小沼は虚空蔵菩薩と結びつけられた。江戸時代には「赤城詣」と呼ばれる参拝がさかんになり、地域信仰の中心地として保護されてきた。地元の伝承には、赤城山麓の豪族の娘が16歳で小沼で溺死し、その後「小沼の主」となったという物語が伝わっている。周辺は標高が高く夜間の急な天候変化と気温低下の危険があり、火山地形ゆえに足場不安定な箇所も多いため、訪問時は日中に登山道を歩き、山への敬意を欠かさないこと。

畑トンネル
群馬県 吾妻郡·隧道・トンネル

畑トンネル

群馬県吾妻郡の山間部に潜む畑トンネルは、地元でも知る人ぞ知る心霊スポットとして、じわじわと噂が広がっている。坑内に足を踏み入れると、誰もいないはずなのに後ろから足音が聞こえてくるという体験談が複数報告されているとされる。また、トンネル内部で突然スマートフォンや懐中電灯の電源が落ちたという声もあり、「何かがいる」と感じて引き返した訪問者もいると言われている。さらに、坑門付近で白い人影を目撃したという噂や、夜間に女性の泣き声のようなものが聞こえるという伝聞情報も語り継がれている。かつてこの道が生活の命綱であった時代、山中での事故や行き倒れが少なくなかったとも伝わっており、そうした歴史的背景が怪談の温床となっているとも言われる。 畑トンネルは、浅間山と草津白根山に挟まれた標高の高い地帯に位置し、大正末期から昭和初期にかけて整備された小規模な隧道と推定されている。吾妻郡一帯では江戸期から養蚕業・林業が盛んで、このトンネルも集落間の物資輸送を担う連絡路として掘られた。戦後は林業の衰退と山村人口の減少が進み、広い県道・国道が整備されると旧道としての役割は薄れていった。現在は坑門に植生が迫り、坑内に照明はなく、壁面には苔が広がる。落石の痕跡も確認されており、訪れる際は明るい時間帯に複数人で行動することが地元でも推奨されている。冬季は積雪・凍結により通行不能となる時期もあるため、事前に地元自治体の最新情報を確認されたい。

旧太子駅
群馬県 吾妻郡中之条町·廃墟・残骸

旧太子駅

群馬県中之条町、草津や野反湖へ向かう山あいに残る旧太子(おおし)駅の跡。太平洋戦争のさなか、近くの群馬鉄山で採れる鉄鉱石を運び出すために敷かれた日本鋼管群馬鉄山専用線の起点で、1945年に開業した。戦後は旅客も運んだが1966年に廃止され、鉄鉱石を貨車へ積み込んだ巨大なホッパー(積込設備)の遺構だけが、コンクリートの骨組みをさらして山中に取り残された。戦時下の鉱山では過酷な労働が強いられ、命を落とした人も少なくなかったと伝えられる。鉱石を運んだ専用線にはトンネルや橋梁の跡も点在し、苔むした軌道跡をたどると、かつてにぎわった鉱山町の名残と、戦争に翻弄された人々の足跡とが静かに重なって浮かび上がる。日が傾く頃には巨大なホッパーの影が谷を覆い、訪れた者の多くが自然と言葉少なになると言われ、にぎわいの記憶と無人の静寂との落差が、この地に独特の重い空気をもたらしている。 苔むしたホッパー跡やトンネルの暗がりでは、誰もいないのに足音や金属を打つような音が響く、寒気とともに人の気配を感じた、写真に白い影が写り込んだといった体験談が語られてきた。山あいの静寂と、戦争と鉱山の記憶とが結びついて、独特の重い空気を訪れる者に感じさせる。 地元では、鉱山とともに生き、この地で亡くなった人々への鎮魂が長く受け継がれており、遺構を荒らす行為は強く戒められている。 ホッパー跡の一帯は遺構として保存・整備されているが、老朽化した構造物への無断のよじ登りや、夜間・冬季の立ち入りは滑落や落石の危険が大きい。訪れる際は公開されている範囲と時間を守り、遺構を傷つけず、亡くなった人々への敬意を第一に考えること。

鬼押し出し原
群馬県 嬬恋村·山道・峠

鬼押し出し原

群馬県吾妻郡中之条町から長野県境にかけて広がる鬼押し出し原は、1783年(天明3年)の浅間山大噴火によって形成された溶岩地形です。噴火の頂点を迎えた7月8日、山北側の斜面から流出した大規模な溶岩流は、幅800メートルから2キロ、延長5.5キロに及び、凝固後も6.8平方キロメートルの広大な台地として現在に至ります。 この噴火は上野国一帯に極めて甚大な被害をもたらし、死者は1,600人を超えました。被害は直接的な火砕流にとどまらず、岩屑なだれや天明泥流により関東平野全域に波及し、北麓の鎌原村(現群馬県嬬恋村)では人口570人のうち477人が亡くなるなど、地域の歴史に深刻な傷跡を残しています。 現在、奇形な溶岩塊が地平線まで続く独特の景観は、当時の火山活動の激烈さを物理的に示す存在として機能しており、多くの訪問者を引き付けています。夕暮れから夜間にかけての溶岩原では、岩間を通る風が不規則な音を発生させることが知られており、この音響現象が不安感を増幅する要因となっています。

草津白根山
群馬県 吾妻郡草津町·山道・峠

草津白根山

群馬県吾妻郡草津町に位置する活火山。標高2,160メートル。上信越高原国立公園内にあり、湯釜と呼ばれるエメラルドグリーンの火口湖で知られる。この湖は直径約300メートル、水深約30メートルで、火山性ガスが溶解することで世界的に最も酸性に近いpH 1.0という特異な環境を形成している。 火山活動は盛んで、1882年以降だけで19回の水蒸気噴火を記録。3,000~5,000年前の最大活動期には総噴出量が約5億トンに及んだ。2018年1月23日には本白根山火口で予期されない水蒸気噴火が発生し、火口から1キロ以上離れた地点に噴石が飛散し、自衛隊員1名が犠牲になるとともに、11名が負傷した。この噴火は監視体制が湯釜周辺に集中していたため、実際の噴火地点で十分な予警が得られなかった事実として重要である。 火山ガス(特に硫化水素)の危険も継続的に存在する。空気より重いガスは地表に沿って滞留し、窪地や沢で濃度が高まりやすい。1971年と1976年には山域でのガス中毒事故で複数の死亡者を出した。これ以降、自動警報装置が設置され、24時間体制で濃度が監視されている。 現在、気象庁の噴火警戒レベルはレベル1(活火山であることに留意)に位置づけられているが、火口から500メートル以内は立入禁止であり、火山ガスの危険は常に存在する。

鬼押出し園(浅間山観音堂)
群馬県 嬬恋村·山道・峠

鬼押出し園(浅間山観音堂)

鬼押出し園は群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原、浅間山の北麓に広がる溶岩台地で、1783年(天明3年)の浅間山大噴火によって噴出した溶岩流が冷え固まって形成された。この溶岩流は長さ5キロ、幅1〜2キロ、厚さ約30メートルに及び、噴火に伴う岩屑なだれは麓の鎌原村など複数の集落を襲い、当時の鎌原村の人口570名のうち477名を含め、1400名を超える死者を出す大災害となった。荒々しい奇岩が連なる景観は上信越高原国立公園内の景勝地として知られ、火山活動の激しさを今に伝えている。 園内中央には東叡山寛永寺別院「浅間山観音堂」が1958年に建立され、寛永寺伝来の聖観世音菩薩を本尊として、噴火の犠牲者を慰霊し続けている。2019年夏には、この観音堂本堂を会場に怪談師による怪談語りの催しが開かれたこともあり、多数の命が失われた土地としての記憶は、単なる観光地としての顔だけでなく、死者を弔う場として静かに語られる対象にもなっている。

旧碓氷峠鉄道施設
群馬県 安中市·路上・交差点

旧碓氷峠鉄道施設

廃線となった碓氷峠の旧鉄道施設では、夜間に作業員風の人影が線路跡をゆっくりと歩いているのを目撃したという話が複数語られている。特に「めがね橋」と呼ばれる碓氷第三橋梁の付近では、橋の上から誰かに見下ろされているような視線を感じたという体験談が絶えず、写真に不審な光の玉や白い靄が写り込んだとされる報告もある。また、アプトの道のトンネル区間では、照明が届かない奥から足音が近づいてくる音を聞いたという噂が地元で根強く残っており、工事中に命を落とした労働者たちの霊が今も峠に留まっているのではないかと言われている。 碓氷峠は群馬県安中市横川と長野県軽井沢町を結ぶ標高差553メートル、11.2キロメートルという日本屈指の急勾配区間で、明治期から鉄道技術の試金石となってきた難所である。1893年(明治26年)にアプト式ラックレールを採用して開通した旧線には、18基のトンネルや200近い橋梁が建設され、その工事規模の大きさから多くの犠牲者が出たとも伝えられる。碓氷第三橋梁は煉瓦約200万個を使った国内最大級の煉瓦造アーチ橋として完成し、現在は国の重要文化財に指定されている。旧線跡は「アプトの道」として遊歩道整備が進み、横川駅前の鉄道文化むらから熊ノ平まで約6キロメートルが開放されているが、湿度の高いトンネル内では足元への注意が必要とされている。

旧丸山変電所
群馬県 安中市·廃墟・残骸

旧丸山変電所

群馬県安中市、信越本線の難所として知られた碓氷峠の旧線跡にたたずむ煉瓦造りの建物。1912年(明治45年)、急勾配を登るアプト式鉄道の電化にあわせて建てられた変電所で、二棟が向かい合う重厚な姿は重要文化財に指定されている。新線への切り替えで碓氷峠の旧線は廃止され、いまは遊歩道「アプトの道」として歩けるが、沿線に点在する廃トンネル群とともに、心霊・廃墟の語りが寄せられる場所でもある。二棟の煉瓦建築が森の中で向かい合って静かに建つ姿は、明治の鉄道遺産としての美しさと同時に、人気の絶えた廃線跡ならではの寂寥感を色濃く漂わせている。 旧線跡の暗いトンネルや変電所の周辺では、誰もいないのに足音や話し声が反響した、煉瓦のアーチの奥に人影が見えた、急にあたりの空気が冷えた、といった体験談が語られてきた。峠の急勾配で繰り返された事故や、難工事の歴史の記憶が、静まり返った廃線跡の気配と結びついている。観光客の去った夕暮れ以降、トンネルが連なる旧線跡は一気に闇へ沈み、昼間とはまったく別の表情を見せると言われる。 地元では、碓氷峠の鉄道に携わり命を落とした人々への敬意が受け継がれ、貴重な遺構を荒らす行為は強く戒められている。 遊歩道は整備されているが、トンネル内は照明が乏しく足元も悪い。夜間の立ち入りや遺構へのよじ登りは転落や事故を招く。訪れる際は日中に限り、文化財や遊歩道のルールを守り、亡くなった人々への敬意をもって静かに歩くこと。

磯部温泉廃旅館
群馬県 安中市·宿泊・居住跡

磯部温泉廃旅館

磯部温泉は群馬県安中市の碓氷川沿いに開ける温泉地で、1661年に江戸幕府の評決文に記された温泉記号は、日本で現存する最古の記録であり、現在の温泉マーク(♨)の発祥とされている。江戸から明治にかけ、碓氷峠を越える旅人や湯治客が集まる地として認識されていたが、1783年の天明浅間山大噴火によって湯量が飛躍的に増し、本格的な温泉地として成立した。明治中期には信越線磯部駅の開通に伴い政治家や文学者が訪問するようになり、昭和から平成にかけて複数の旅館が操業してきた。廃業した旅館は、後継者難と観光ニーズの変化のなか、その役目を終えた建物として温泉街に残されている。

碓氷峠鉄道文化むら裏廃線
群馬県 安中市·隧道・トンネル

碓氷峠鉄道文化むら裏廃線

碓氷峠の横川~軽井沢間は日本の鉄道史において最難関の区間とされた。明治26年(1893年)に開通したこの路線は、66.7パーミルという日本最急勾配に対応するため、ドイツのハルツ山鉄道を参考にアプト式機関車を採用した。峠越えの実現には、複数のトンネルと煉瓦造の橋梁から成る高度な土木技術が必要とされ、建設期間を通じて多数の労働者が命を落とした。その後、1997年に北陸新幹線の開通に伴い廃止されるまで104年にわたって運行され続けた。現在、廃線敷は遊歩道として整備され、旧碓氷峠鉄道施設の遺構群は国の重要文化財として保存されている。特に第三橋梁(めがね橋)と呼ばれる煉瓦造4連アーチ橋をはじめ、6基の橋梁と11基の隧道が原形をとどめており、明治期から大正期にかけて段階的に建設・補強された遺産として、日本の近代化技術を象徴する存在となっている。

熊ノ平駅
群馬県 安中市·廃墟・残骸

熊ノ平駅

熊ノ平駅は、群馬県安中市松井田町坂本、碓氷峠を通っていた旧信越本線に設けられた駅で、現在は遊歩道「アプトの道」沿いに廃駅として残る。1893年に信号場として開設され、1906年に駅へ昇格したが、1966年に信号場へ格下げされ、1997年に廃止された。この場所では過去に二つの大きな事故が起きている。1918年には勾配上で逆走した貨物列車が構内の岩壁に衝突する脱線事故が発生し、乗務員ら4人が死亡した。さらに1950年6月には大雨による土砂崩れが二度にわたって発生し、駅舎と職員宿舎が押し流され、作業員や職員の家族を含む50人以上(記録により50〜56人)が死亡する惨事となった。事故現場には犠牲者を慰霊する母子像の殉難碑が建てられている。こうした歴史を背景に、現在では廃墟となった駅構内やトンネル付近を訪れた人々の間で、正体不明の声や地鳴りのような音を聞いたという報告、撮影した写真に人影のようなものが写り込むといった話が伝えられている。

富岡市旧製糸場の女工霊
群馬県 富岡市·その他

富岡市旧製糸場の女工霊

明治5年(1872)、明治政府は輸出用生糸の品質向上と技術普及を目的に、群馬県富岡に官営の器械製糸場を設立した。全国から募集した若い女性たちが、寄宿舎で集団生活を営みながら繰糸作業に従事した。当時としては恵まれた労働環境で、日曜日を含む週1日の休み、年間76日の休日、構内の診療所での無料医療、食事・寓泊費の無料化が実施されていた。 しかし、慣れない集団生活と過酷な労働により病に倒れる者が少なくなかった。富岡市内の龍光寺には、明治期に富岡製糸場で働き、帰郷できぬまま亡くなった52名の女性労働者の遺骨が埋葬されている。当時、帰郷の交通手段が限定的だったため、故郷に帰ることなく異郷で生涯を閉じた工女たちが存在した。施設は1987年の操業停止まで115年間稼働し、現在は世界遺産として保存されている。

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