東京都の心霊スポットランキング・一覧

80 スポット10 カテゴリ

千年の都を抱える東京都は、徳川幕府の城下町として栄え、その地層に膨大な怨念を堆積させてきた。大手町に祀られる平将門の首塚、新宿の四谷怪談お岩稲荷、北条氏照の悲劇を伝える八王子城跡、戦中戦後の闇を吸い込んだ千駄ヶ谷トンネル、薬王院旧参道——平安の怨霊から空襲の犠牲者までが、煌々と輝く高層ビル群の足元で今も静かに息をしている。

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千駄ヶ谷トンネル
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千駄ヶ谷トンネル

渋谷区·841 views
67%(6)
八王子城跡
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八王子城跡

八王子市·686 views
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巣鴨プリズン跡地(東池袋中央公園・サンシャインシティ)
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巣鴨プリズン跡地(東池袋中央公園・サンシャインシティ)

豊島区·536 views
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等々力渓谷の怪談

東京23区で唯一の自然渓谷である等々力渓谷は、谷沢川が武蔵野台地の南縁を浸食して形成された1キロメートル余りの谷である。渓谷内の崖地には7世紀から8世紀にかけて造られた横穴古墳群が存在し、古代の埋葬地として活用されていた痕跡が今も残る。地名の由来は、渓谷の崖から落ちる不動の瀧が、その水音で「とどろいた」ことに由来するとされる。渓谷は古くから信仰の対象であり、平安時代後期には等々力不動尊が創建され、商売繁盛や厄除けの信仰地として機能してきた。1999年に東京都指定名勝に指定され、保護されている。地層からは粘土、礫、関東ローム層が観察でき、武蔵野の自然が都市部に残された空間としての歴史的重要性を持つ。

世田谷区·483 views·
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玉川上水(太宰治入水の地)

玉川上水は、江戸時代の承応年間に江戸市中への給水を目的として開削された用水路で、多摩川の水を四谷方面までおよそ四十キロにわたって導いた歴史ある水路である。かつては水量が豊かで流れが速く、いったん落ちれば助かりにくい急流だったと伝えられ、近代以降は投身による死が相次いだ水辺としても知られた。東京都三鷹市を通る区間はその一部にあたる。 この流れが広く記憶されているのは、昭和二十三年六月、作家の太宰治が山崎富栄とともにこの水路で命を絶ったためである。二人の遺体は数日後に下流で発見され、発見日は太宰の誕生日にあたっていたとされる。太宰が水に入ったと考えられている付近には、郷里である青森の石を用いた玉鹿石の碑が置かれ、その一帯は現在「風の散歩道」として整備されて、三鷹駅からほど近い市民の散策路になっている。 急流ゆえに繰り返された死と、著名な作家の最期という記憶が同じ水辺に重なることで、この場所は哀切をまとった水辺として意識されてきた。穏やかな遊歩道の下を流れる水音のなかに、沈んだ気配や言葉にならない哀しみを感じ取るという受け止め方が生まれる場所として語られることがある。

三鷹市·385 views·
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世田谷区廃倉庫(用賀地区)

用賀は江戸時代の宿場町から、戦後の高度経済成長期に首都圏の物流拠点へと急速に変貌した。1969年の東名高速全線開通と1971年の首都高速との接続、同時期の環状八号線整備により、用賀地区は流通ネットワークの要所として位置づけられた。この時期、環状八号線と東名高速インターチェンジ周辺に多数の倉庫・物流施設が集積し、戦後日本の物資流通を支える重要な機能を担った。その後1977年の東急新玉川線(現・田園都市線)開業、1993年の世田谷ビジネススクエア竣工など、地区の再開発に伴い、物流機能は徐々に郊外へ移転。廃業した倉庫建築の一部は、かつての産業景観を今に伝える遺構として地区に点在している。これらの施設は、高い天井と広大な内部空間、複雑な構造を特徴とし、音響環境(低周波の残響や環境音)が独特である。敷地周辺の現在の様相は、活発な産業地から混合用途地域への移行期の状態を物理的に示している。

世田谷区·346 views
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永代橋

永代橋は、東京都中央区新川と江東区佐賀を結び、隅田川に架かる橋である。元禄十一年(一六九八年)に幕府が架けた木橋を起源とし、財政難による廃橋の危機を町方の負担で乗り越えて存続した経緯を持つ。現在の鋼鉄アーチ橋は、関東大震災で焼失した後、大正末から昭和初めにかけての震災復興事業で架け替えられたもので、国の重要文化財に指定されている。 この橋がしばしば死の記憶と結び付けて語られる背景には、文化四年(一八〇七年)の落橋がある。深川の富岡八幡宮で十二年ぶりの祭礼が行われた際、深川へ渡ろうとする群衆が殺到し、その重みに耐えかねた橋の中央付近が崩れ落ちた。川へ転落した人々の被害は行方不明を含めて千数百人にのぼったと伝えられ、江戸期でも最大級の惨事として記録に残る。犠牲者を悼む「永代橋沈溺諸亡霊塔」は目黒区の海福寺に現存する。 こうした史実を踏まえ、落命した人々の声が川面から聞こえるといった怪異が、この橋にまつわる話として語られることがある。橋の下を流れる隅田川と、供養が続けられてきた慰霊の歴史が、都市の記憶を今に伝えている。

中央区·340 views·
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8

江古田の森公園(旧国立療養所中野病院跡地)

東京都中野区にある江古田の森公園は、かつて結核患者の療養施設だった国立療養所中野病院の跡地に整備された防災公園である。前身は1920年に開設された東京市療養所で、当時不治とされた肺結核の患者を数多く受け入れた。戦前の療養環境は過酷で、入院した患者の多くが回復に至らず亡くなったと伝えられる。若くして結核に倒れた著名な詩人が最期を迎えた場としても記録されている。医療体制の変化を経て病院は1993年に役割を終え、建物の解体を経て、2007年に現在の公園として開かれた。 廃墟となっていた1990年代には、この一帯は東京でも指折りの心霊スポットとして名を知られた。地下に人体の臓物が液体に浸されて置かれていた、血に汚れた白衣の人物が現れる、赤い衣服の女性が木陰から立ち入りを拒むように現れる、といった噂が広まったとされる。ただし怪談を検証する書き手からは、廃病棟の写真が残っていないことや証言相互の食い違いが指摘されており、実際の医療現場をめぐる新聞報道が誇張されて怪異譚へ変質したとみる見方もある。史実と噂の境目は判然としないまま、跡地は静かな公園として日常の風景に戻っている。

中野区·309 views·
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9

八王子霊園

東京都八王子市元八王子町、武蔵野の西端にあたる加住丘陵に、東京都が運営する八王子霊園が広がっている。1971年(昭和46年)開園、面積約65ヘクタール、東京都営霊園としては最も新しい霊園のひとつである。 都営霊園は青山霊園、谷中霊園、染井霊園、雑司ヶ谷霊園、多磨霊園、小平霊園、八柱霊園、八王子霊園、瑞江葬儀所付属霊園の9園で構成され、東京都公園緑地部が一括管理を行っている。八王子霊園は都営霊園のなかで西端に位置し、丘陵地の地形を活かした公園型の墓地として設計された。 造成にあたっては、丘陵の自然林を約7割そのまま残す方針が取られた。コナラ、クヌギ、シイ、カシ類などの雑木林を維持しつつ、約500本の桜と670株のあじさいを園路沿いに植栽。春の桜、初夏のあじさい、秋の紅葉と、四季それぞれに見頃を迎える公園墓地としての性格が確立された。霊園というよりも自然公園としての散策ができる、東京都西部の隠れた花見スポットとしても知られている。 墓地区画は約2万区画、すべて統一規格の芝生墓地(4平方メートル)として設計された。従来の都営霊園に多い和型墓石・洋型墓石の自由設計を排し、規格化された墓石とプレート方式を採用することで、整然とした景観と効率的な維持管理を両立している。墓地区画の使用許可は東京都が公募制で抽選を実施しており、毎年数千件の応募が集まる。 霊園隣接地には歴史的に重要な遺跡が複数存在する。八王子城跡(国指定史跡、1590年落城)、北条氏照の墓、武蔵陵墓地(昭和天皇・香淳皇后が眠る武蔵野陵、大正天皇・貞明皇后が眠る多摩陵)が周辺数キロメートル圏内にある。武蔵陵墓地は宮内庁が管理する皇室の御陵で、八王子霊園からも近接距離にある。 戦国期の北条氏の歴史、明治以降の皇室の墓所、そして現代の都営霊園が、加住丘陵の同じエリアに集中していることは、東京都西部の歴史的・文化的特徴のひとつである。武蔵野の自然と、長い歴史の堆積を併せ持つこの地は、墓地公園というよりも「歴史と自然が交わる広大な森」として、年間を通して多くの墓参者と散策者を迎え入れている。 八王子霊園へのアクセスはJR中央線高尾駅、京王高尾線高尾駅から西東京バスで約20分。霊園内には管理事務所、駐車場、休憩所が整備され、墓参以外のハイキング目的の利用も可能である。開園時間と利用案内は東京都公園緑地部の公式サイトに掲載されている。

八王子市·306 views·
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高島平団地

東京都板橋区の高島平団地は、1972年に完成した、UR都市機構による日本最大級の公的住宅団地である。戦後の急速な人口流入に対応するため旧農地を開発し、1万170戸、約3万人が一度に入居した。地名は江戸時代の砲術家・高島秋帆に由来し、地下鉄との連携により都心へのアクセスが確保された。 1970年代後半から1980年初頭、団地は日本国内で自殺が集中する場所となった。1980年には133件に達し、報道機関によって「自殺の名所」と広く認識されるようになった。当局は1981年に転落防止柵やメッシュスクリーンを設置し、その後の件数は大幅に減少した。 現在、団地は高齢化が急速に進む課題に直面している。ピーク時(1991年)の約2万5千人から減少し、2012年には65歳以上が41.1%を占める状況が報告されている。高齢化に伴い孤立や見守りが地域の重要課題となり、自治会による福祉活動が日常的に展開されている。

板橋区·281 views

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東京都 三鷹市·橋・高架

どんどん橋(旧牟礼橋)

どんどん橋は、東京都三鷹市牟礼と杉並区久我山の境を流れる玉川上水に架かる小橋で、正式には「旧牟礼橋」と呼ばれる(下流側には現行の道路橋である牟礼橋が架けられている)。名称は、かつて橋の下を水が勢いよく「どんどん」と音を立てて流れていたことや、木造だった旧橋を渡ると足音が響いたことに由来するとされる。現在残る橋は大正時代中頃に架けられたとみられる煉瓦造りのアーチ橋で、下流側に新しい牟礼橋が架けられた後は歩行者専用として保存されている。玉川上水はかつて江戸の水源として利用された一方、流れが速く水量も多かったことから、古くから水難事故が伝えられる河川でもある。1959年9月には、三鷹市内に住む三姉妹が玉川上水に身を投げたとされ、長女の遺体がこの橋の付近で見つかったという言い伝えが心霊スポット紹介サイトなどに残る。こうした経緯から、どんどん橋周辺は玉川上水沿いの心霊スポットの一つとして紹介されるようになり、川辺にたたずむ少女の姿や、橋の周辺で聞こえる足音といった噂が伝えられている。

玉川上水(太宰治入水の地)
東京都 三鷹市·水辺

玉川上水(太宰治入水の地)

玉川上水は、江戸時代の承応年間に江戸市中への給水を目的として開削された用水路で、多摩川の水を四谷方面までおよそ四十キロにわたって導いた歴史ある水路である。かつては水量が豊かで流れが速く、いったん落ちれば助かりにくい急流だったと伝えられ、近代以降は投身による死が相次いだ水辺としても知られた。東京都三鷹市を通る区間はその一部にあたる。 この流れが広く記憶されているのは、昭和二十三年六月、作家の太宰治が山崎富栄とともにこの水路で命を絶ったためである。二人の遺体は数日後に下流で発見され、発見日は太宰の誕生日にあたっていたとされる。太宰が水に入ったと考えられている付近には、郷里である青森の石を用いた玉鹿石の碑が置かれ、その一帯は現在「風の散歩道」として整備されて、三鷹駅からほど近い市民の散策路になっている。 急流ゆえに繰り返された死と、著名な作家の最期という記憶が同じ水辺に重なることで、この場所は哀切をまとった水辺として意識されてきた。穏やかな遊歩道の下を流れる水音のなかに、沈んだ気配や言葉にならない哀しみを感じ取るという受け止め方が生まれる場所として語られることがある。

等々力渓谷の怪談
東京都 世田谷区·橋・高架

等々力渓谷の怪談

東京23区で唯一の自然渓谷である等々力渓谷は、谷沢川が武蔵野台地の南縁を浸食して形成された1キロメートル余りの谷である。渓谷内の崖地には7世紀から8世紀にかけて造られた横穴古墳群が存在し、古代の埋葬地として活用されていた痕跡が今も残る。地名の由来は、渓谷の崖から落ちる不動の瀧が、その水音で「とどろいた」ことに由来するとされる。渓谷は古くから信仰の対象であり、平安時代後期には等々力不動尊が創建され、商売繁盛や厄除けの信仰地として機能してきた。1999年に東京都指定名勝に指定され、保護されている。地層からは粘土、礫、関東ローム層が観察でき、武蔵野の自然が都市部に残された空間としての歴史的重要性を持つ。

東京都 世田谷区·水辺

烏山川緑道(本村橋下)

世田谷区船橋から三宿にかけて続く烏山川緑道は、かつて目黒川の支流であった烏山川を暗渠化し、遊歩道として整備した約7キロの緑道である。この川は世田谷区北烏山の高源院境内の池を水源とし、住民が水遊びや洗濯に利用していたと伝わるが、1970年代以降に下水道へ転用され、地表からは川の姿が消えた。現在は日中、散策やジョギングに利用される憩いの場となっている。 一方でこの緑道には怪異の噂が伴う。船橋七丁目付近、緑道が本村橋の下をくぐる区間はガード下特有の暗さから「お化けトンネル」と呼ばれ、白い服を着た若い女性の霊が夜間、無言で背後から追いかけてくるという噂がある。また通行中に足元から冷たい感触を覚え、地面から伸びた手に足を掴まれるという体験や、顔に目のない男の姿を見たという話も伝わる。橋の脇には墓石を思わせる形の石が並んでおり、その光景がトンネルへの恐怖感を強めているとされ、近隣では夜間このトンネルを避けて別の道を通る人もいるという。

世田谷区廃倉庫(用賀地区)
東京都 世田谷区·廃墟・残骸

世田谷区廃倉庫(用賀地区)

用賀は江戸時代の宿場町から、戦後の高度経済成長期に首都圏の物流拠点へと急速に変貌した。1969年の東名高速全線開通と1971年の首都高速との接続、同時期の環状八号線整備により、用賀地区は流通ネットワークの要所として位置づけられた。この時期、環状八号線と東名高速インターチェンジ周辺に多数の倉庫・物流施設が集積し、戦後日本の物資流通を支える重要な機能を担った。その後1977年の東急新玉川線(現・田園都市線)開業、1993年の世田谷ビジネススクエア竣工など、地区の再開発に伴い、物流機能は徐々に郊外へ移転。廃業した倉庫建築の一部は、かつての産業景観を今に伝える遺構として地区に点在している。これらの施設は、高い天井と広大な内部空間、複雑な構造を特徴とし、音響環境(低周波の残響や環境音)が独特である。敷地周辺の現在の様相は、活発な産業地から混合用途地域への移行期の状態を物理的に示している。

永代橋
東京都 中央区·橋・高架

永代橋

永代橋は、東京都中央区新川と江東区佐賀を結び、隅田川に架かる橋である。元禄十一年(一六九八年)に幕府が架けた木橋を起源とし、財政難による廃橋の危機を町方の負担で乗り越えて存続した経緯を持つ。現在の鋼鉄アーチ橋は、関東大震災で焼失した後、大正末から昭和初めにかけての震災復興事業で架け替えられたもので、国の重要文化財に指定されている。 この橋がしばしば死の記憶と結び付けて語られる背景には、文化四年(一八〇七年)の落橋がある。深川の富岡八幡宮で十二年ぶりの祭礼が行われた際、深川へ渡ろうとする群衆が殺到し、その重みに耐えかねた橋の中央付近が崩れ落ちた。川へ転落した人々の被害は行方不明を含めて千数百人にのぼったと伝えられ、江戸期でも最大級の惨事として記録に残る。犠牲者を悼む「永代橋沈溺諸亡霊塔」は目黒区の海福寺に現存する。 こうした史実を踏まえ、落命した人々の声が川面から聞こえるといった怪異が、この橋にまつわる話として語られることがある。橋の下を流れる隅田川と、供養が続けられてきた慰霊の歴史が、都市の記憶を今に伝えている。

哲学堂公園
東京都 中野区·公園・城址

哲学堂公園

哲学堂公園は、東洋大学の前身・哲学館を創設した哲学者・井上円了が1904年に「四聖堂」を建てたことに始まる公園で、ソクラテス・カント・孔子・釈迦の四聖人を祀っている。正門にあたる哲理門には仁王像の代わりに天狗と幽霊の木像が据えられ、前者は物質界、後者は精神界の不思議を表すとされることから「妖怪門」の通称で知られる。円了は妖怪学の研究者としても知られ、迷信の打破を目的に全国で講演を行った人物である。公園は1944年に東京都へ移管され、1975年から中野区立公園として管理されており、2020年には国の名勝に指定された。こうした経緯から公園には妖怪や幽霊にまつわる意匠が多く残り、園内の梅の木の一本は「幽霊梅」と呼ばれ、この木を撮影すると白い霧状の影が写り込むと噂される。夜間に林の奥から女性の泣き声が聞こえるとの報告や、桜広場ではかつて自ら命を絶った女性の霊が事故を引き起こすとの説、哲理門付近で一家が命を落としたためその霊が出るという話も伝わる。バイク事故で亡くなった人物の霊とされる「首なしライダー」が出現するとの噂もあり、由来の異なる複数の怪異譚が公園全体に重ねられている。

東京都 中野区·路上・交差点

野方第3号踏切

野方第3号踏切は、東京都中野区の西武新宿線野方駅近くに位置する踏切である。この踏切を含む野方駅と都立家政駅の間の区間は、開かずの踏切として知られる一方、人身事故が繰り返し発生する区間としても知られ、実際に列車と人が衝突する事故が複数回報道されている。西武新宿線ではこの区間を含む野方駅~井荻駅間について、踏切を解消するための連続立体交差事業の実施が計画されており、事業化に向けた準備が進められている。 心霊スポットとしては、この踏切で命を絶った人の霊が現れるという話が広く伝わっている。噂によれば、これまでに複数人がこの踏切で自ら命を絶っており、なかには誤って踏切内に入り列車に接触した高齢女性の遺体の一部がしばらく見つからず、後日近隣で発見されたという話も伝わっている。踏切に立つと突然身体が動かなくなる、線路の方を向いて立つ人影を見た数日後に事故が起きたなど、複数の噂が語られている。踏切を渡る際に、理由もなく線路に引き込まれるような感覚を覚えたという声もあり、亡くなった人の霊が関係しているのではないかとも噂される。

江古田の森公園(旧国立療養所中野病院跡地)
東京都 中野区·公園・城址

江古田の森公園(旧国立療養所中野病院跡地)

東京都中野区にある江古田の森公園は、かつて結核患者の療養施設だった国立療養所中野病院の跡地に整備された防災公園である。前身は1920年に開設された東京市療養所で、当時不治とされた肺結核の患者を数多く受け入れた。戦前の療養環境は過酷で、入院した患者の多くが回復に至らず亡くなったと伝えられる。若くして結核に倒れた著名な詩人が最期を迎えた場としても記録されている。医療体制の変化を経て病院は1993年に役割を終え、建物の解体を経て、2007年に現在の公園として開かれた。 廃墟となっていた1990年代には、この一帯は東京でも指折りの心霊スポットとして名を知られた。地下に人体の臓物が液体に浸されて置かれていた、血に汚れた白衣の人物が現れる、赤い衣服の女性が木陰から立ち入りを拒むように現れる、といった噂が広まったとされる。ただし怪談を検証する書き手からは、廃病棟の写真が残っていないことや証言相互の食い違いが指摘されており、実際の医療現場をめぐる新聞報道が誇張されて怪異譚へ変質したとみる見方もある。史実と噂の境目は判然としないまま、跡地は静かな公園として日常の風景に戻っている。

七人坊主の呪い
東京都 八丈町·その他

七人坊主の呪い

東京都八丈町の中之郷地区から東山(三原山)にかけて伝わる話である。江戸時代、上方から船で流れ着いた七人の僧侶が、当時大飢饉に苦しんでいた村から食料を求めたものの受け入れられず、東山へ追われて次々と山中で命を落としたとされる。流刑者だったという説、天然痘を患っていたため拒まれたという説など複数の伝承が存在する。僧侶らの死後、村の周辺では白装束姿の僧侶の霊が家々を歩き回るとの噂が広まり、農作物の不作や蚕・家畜の相次ぐ死が続いたという。村では供養のための塚が建てられたものの、それでも山頂付近で僧侶たちの悪口を言うと災いが起きるという言い伝えが残った。この伝承は、後年「七」という数字に関わる出来事とも結び付けられている。昭和二十七年には東山の道路工事現場で土砂崩れが発生し作業員七名が死亡、平成六年には八丈町の火葬場で身元不明の人骨七体分が発見される事件が起き、いずれも真相は解明されていない。こうした一致から、僧侶たちの祟りが今も続いているとする見方が語られている。

八王子霊園
東京都 八王子市·神域・霊場

八王子霊園

東京都八王子市元八王子町、武蔵野の西端にあたる加住丘陵に、東京都が運営する八王子霊園が広がっている。1971年(昭和46年)開園、面積約65ヘクタール、東京都営霊園としては最も新しい霊園のひとつである。 都営霊園は青山霊園、谷中霊園、染井霊園、雑司ヶ谷霊園、多磨霊園、小平霊園、八柱霊園、八王子霊園、瑞江葬儀所付属霊園の9園で構成され、東京都公園緑地部が一括管理を行っている。八王子霊園は都営霊園のなかで西端に位置し、丘陵地の地形を活かした公園型の墓地として設計された。 造成にあたっては、丘陵の自然林を約7割そのまま残す方針が取られた。コナラ、クヌギ、シイ、カシ類などの雑木林を維持しつつ、約500本の桜と670株のあじさいを園路沿いに植栽。春の桜、初夏のあじさい、秋の紅葉と、四季それぞれに見頃を迎える公園墓地としての性格が確立された。霊園というよりも自然公園としての散策ができる、東京都西部の隠れた花見スポットとしても知られている。 墓地区画は約2万区画、すべて統一規格の芝生墓地(4平方メートル)として設計された。従来の都営霊園に多い和型墓石・洋型墓石の自由設計を排し、規格化された墓石とプレート方式を採用することで、整然とした景観と効率的な維持管理を両立している。墓地区画の使用許可は東京都が公募制で抽選を実施しており、毎年数千件の応募が集まる。 霊園隣接地には歴史的に重要な遺跡が複数存在する。八王子城跡(国指定史跡、1590年落城)、北条氏照の墓、武蔵陵墓地(昭和天皇・香淳皇后が眠る武蔵野陵、大正天皇・貞明皇后が眠る多摩陵)が周辺数キロメートル圏内にある。武蔵陵墓地は宮内庁が管理する皇室の御陵で、八王子霊園からも近接距離にある。 戦国期の北条氏の歴史、明治以降の皇室の墓所、そして現代の都営霊園が、加住丘陵の同じエリアに集中していることは、東京都西部の歴史的・文化的特徴のひとつである。武蔵野の自然と、長い歴史の堆積を併せ持つこの地は、墓地公園というよりも「歴史と自然が交わる広大な森」として、年間を通して多くの墓参者と散策者を迎え入れている。 八王子霊園へのアクセスはJR中央線高尾駅、京王高尾線高尾駅から西東京バスで約20分。霊園内には管理事務所、駐車場、休憩所が整備され、墓参以外のハイキング目的の利用も可能である。開園時間と利用案内は東京都公園緑地部の公式サイトに掲載されている。

薬王院旧参道
東京都 八王子市·神域・霊場

薬王院旧参道

東京都八王子市の高尾山にある高尾山薬王院有喜寺は、関東屈指の修験道寺院である。1,200年以上の歴史を持ち、現在は真言宗智山派の大本山として位置づけられている。 寺伝によれば、開山は天平16年(744年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が薬師如来を本尊として開いたとされる。永和元年(1376年)、俊源大徳が入山して飯縄大権現を勧請し、修験道の道場としての性格が確立された。飯縄信仰は天狗信仰と結びつき、高尾山は天狗が住む霊山として中世以降広く信仰を集めるようになった。 戦国期には北条氏が薬王院を篤く崇敬し、戦乱が霊場に及ばないよう制札を立てて保護した。江戸期には徳川幕府の祈願寺として庇護され、明治以降は関東各地の信徒の参拝対象として継続的に栄えてきた。現在の本堂、大本堂、奥之院などは江戸後期から明治期にかけての建立で、東京都の有形文化財に複数指定されている。 参道は薬王院の表参道と旧参道に分かれる。表参道は現在のメインルートで、ケーブルカーやリフトと組み合わせて山頂までアクセスできる整備されたコース。旧参道は古くから修験者が辿った山道で、整備の程度は低いが原生林に近い杉並木の景観が楽しめる。 高尾山は2007年、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで三つ星を獲得し、年間300万人を超える登山者が訪れる山となった。修験道の聖地としての性格を保ちつつ、ハイキングコースとしても国際的に知られる、稀有な存在である。

旧小峰トンネル(小峰隧道)
東京都 八王子市·隧道・トンネル

旧小峰トンネル(小峰隧道)

旧小峰トンネル(小峰隧道)は、東京都あきる野市と八王子市の境、標高288メートルの小峰峠に架かる煉瓦造りの隧道で、大正5年(1916年)に完成した。生糸輸送路の整備を目的に開削され、2002年に新トンネルが開通した後は車両通行ができず、徒歩のみ通れる旧道として残る。 この場所が心霊スポットとして知られる経緯には複数の要因が絡む。ある大きな事件が発覚する以前、地元紙に「峠に幽霊が出る」という趣旨のコラムが掲載され、手首から先のない少女がトンネル付近に立ち、助けを求める声を発するという話が紹介されていた。この新聞の発行人は、後に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者として逮捕された人物の父親であったことが分かっている。 さらに事件発覚直後、大手紙が容疑者の潜伏先や遺体遺棄現場が小峰峠付近にあると報じたが、この報道は誤報であり、翌日には新聞社によるおわびが出され、後に取り消された。しかし影響は大きく、峠や隧道が事件現場であるかのような認識が広まった。実際の遺棄現場はトンネルから約2キロメートル離れており、隧道内に事件との直接の関わりはない。写真に不自然な光が写り込む、車が突然止まるといった体験が伝えられている。

絹の道(八王子・鑓水/道了堂跡)
東京都 八王子市·路上・交差点

絹の道(八王子・鑓水/道了堂跡)

東京都八王子市南部の多摩丘陵に残る古道は、幕末から明治にかけて八王子と横浜港を結び、輸出用の生糸を運んだ街道「絹の道」の一部である。養蚕と生糸取引で栄えた鑓水の商人たちが資金を出し合い、明治期にはこの道沿いの大塚山に道了堂が建てられ、周囲に土産物屋が並んで賑わったとされる。だが鉄道網と近代道路の整備によって街道は流通路としての役目を失い、堂も次第にさびれていった。 この道が心霊スポットとして名を知られるようになった背景には、道了堂跡で起きた複数の事件がある。1963年には堂を長く守っていた高齢の堂守が強盗に襲われて命を落とし、1973年には大学教授が教え子の女子学生を殺害し、この一帯に遺体を遺棄する事件が起きた。無人化した堂は1983年の不審火で焼失し、跡地はのちに大塚山公園として整備され、いまは礎石や奉献燈、延命地蔵尊などが残る。 怪異の面では、境内に残る地蔵が「首なし地蔵」と呼ばれ、怪談師の紹介を通じて広く知られるようになった。生糸の街道を行き交った人々の歴史と、跡地に重なった現実の事件の記憶とが結びつく場所として語られることがある。

東京都 八王子市·隧道・トンネル

八王子1トンネル

東京都八王子市鑓水、国道16号八王子バイパス沿いの竹林の奥に、通行止めとなった未完成のトンネルが残っている。周辺には霊園があり、この隧道はそこへ通じる道として計画・着工されたものだという。工事の最中に作業員が死亡する事故が起きたため計画は中止され、数十メートル分だけ掘り進められた状態のまま放置された、と伝えられている。現在は入口付近まで竹藪をかき分けなければ近づけず、内部は真夏でも冷え込むと言われる。噂では、トンネル内で白い人影がふらりと動く姿を見たという声や、誰もいないはずの奥から話し声や叫び声のようなものが聞こえたという声があり、撮影した写真に見知らぬ男性の顔が写り込んだという話も知られている。都内でも屈指の心霊スポットとして扱われ、肝試しに訪れる者が絶えない。ただし、作業員の死亡事故については複数の探索者が調査を試みているものの、それを裏付ける事件・事故の記録は見つかっておらず、由来自体が判然としないまま噂だけが広まっている点も指摘されている。近隣には八王子2〜4トンネルなど同様の未使用トンネルが複数存在し、まとめて紹介されることが多く、オカルト系サイトや探索ブログでは都内で心霊写真が撮れる場所として繰り返し取り上げられている。

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